第8話

 ルドルフは宿屋を出て、オストガルトの大通りまで来た。


 今までに見てきたどの町よりも人が多い。

 波のように見える雑踏をしばらく眺めてみる。

 ほとんどは人間であったが、時々コボルトやドワーフの姿があった。


 あまり不用心なのもどうかと思ったので、一応剣を持ってきてはいたが、一般人と思われる軽装の人々は武装していない者の方が多い。治安の良い土地なのだと思った。


 雑踏の波に足を踏み入れ、そのまま流れにまかせて通りを歩いていく。

 いつの間にか日が沈んでいた。

 日没に気が付かなかった自分に少し驚いたが、それは大通りに数々の灯篭が掛けられていたからであった。

 灯籠は透かし彫りされた金属で作られていて、よく見るとそれはバラの花の意匠だ。


 声を掛けてきた屋台の少女に、今日は祭でもあるのかと尋ねると、こっちが驚いてしまうくらい高い声で笑われた。

 この街では、このくらいの賑やかさが毎日なのだそうだ。


「そうなんだ。来たばかりで知らなかった」


「あら、外の人? じゃあ知らなくても仕方ないわね」


 少女は榛色はしばみいろの目を上目遣いさせて、いたずらっぽく歯を見せて笑った。


「ひどい髪型。それ流行ってるの?」


「自分で切ったんだ」


 そう答えながらルドルフは自分の短い髪を摘んだ。確かにこうやって触ってみても長さはバラバラで、少女の言うとおり見た目は悲惨なものだろう。


 少女は屋台に少し身を乗り出して、灯籠の明かりに照らされたルドルフの髪をめつすがめつ眺めた。


「アンタの髪、真っ黒なのね。まさか染めてるわけじゃないんでしょ、それ」


「……地毛じげだよ」


「そうよね。染めるほど見た目に気を遣ってるなら、そんなふうには切らないわよね。髪を伸ばさないの? きちんと整えて伸ばしたらきっと綺麗よ」


「動くのに邪魔だから、もう伸ばさない」


 そう言ってちょっと笑ったルドルフの顔と目を、少女はまじまじと見つめた。

 逸らすのも変なのでルドルフも彼女の目を見たままでいると、少女はハッとした顔をして俯いてしまった。


「な、何か買ってってよ」


 少女の言葉を聞いて屋台を見る。売っているものは小さな焼き菓子のようであった。

 この街に入った時にセオドア達に連れられて両替商に行ったので、クターデン帝国の通貨は持っている。

 手持ちはあまりないが、少し空腹でもあったので少女に勧められるまま、三つほど買ってみた。

 薄く焼いた皮の中に、甘く煮詰めたペーストが入った菓子だった。


 屋台を離れようとするルドルフを少女が呼び止め、屋台の屋根から吊り下げられているドライフラワーの束から一本を抜き取って差し出してきた。


「あげる。いい匂いがするのよ」


 理由がわからずルドルフが花と少女を見比べていると、少女はさらに腕を突き出してきた。

 ルドルフが手を出して花を受け取ると、彼女は満足そうに笑った。


「それはオマケだから! また買いに来てね!」


 少女と別れ、ルドルフはさらに歩いていく。

 賑やかな街並みは終わらない。セオドアの言っていたとおり大きな街なのだ。

 耳慣れない音楽が聞こえた方を見ると、旅芸人と思われる一行が楽器と踊りを披露していた。やがて亜麻色の髪の少女が中央に立ち、美しい高音の歌声が響き始める。

 聞いたことのない歌詞と旋律に、本当に故郷を離れて来てしまったのだと妙に実感した。


 賑やかな通りを冷やかしながら歩いていると、ふと誰かに呼ばれたような気がして、ルドルフは雑踏の反対側へと顔を向けた。


 灯篭で明るく照らされる大通りとは正反対の濃い闇が広がっている。


 ルドルフは首を傾げた。

 誰かに呼ばれるといっても、故郷から遠く離れたこの地に知り合いなどいるはずもない。

 この街で自分を呼ぶ人間は二人しかいないはずである。


「……ロル」


 再び聞こえた声は確かにそう呼んでいた。

 低く抑えられた声は、成人した男性のそれに聞こえる。

 でも、二人のうちどちらの声なのかはわからなかった。


「セオドア? それともリード?」


 ルドルフは闇の方へと一歩踏み出した。


「そこにいるの? 何かあったのか?」


「ああ……、ちょっと来てくれ」


 姿は見えないが、暗闇の奥から返事は確かにあった。

 目を凝らすと、暗い路地はずっと奥のほうで直角に曲がっているようだ。

 見える範囲に人影はない。とすると、声はその角の向こうから呼び掛けてきているということになる。


 どうして姿を見せないのだろうと、ちらりと疑問が頭をかすめたが、もしかしたら何かの拍子に怪我でもして動けないのかもしれない。それとも自分にはわからない、何か重大な事件に巻き込まれたのだろうか。


「なあ、どうしたんだよ」


「ロル、早く来てくれ」


 その声が先ほどよりも少し焦っているように聞こえて、ルドルフの足は自然と動き出していた。

 あの二人のどちらであろうと、自分を助けてくれた恩人には違いない。


 ロル、ロルと自分を呼んでいる。


 ルドルフは徐々に駆け足になり、暗い路地を抜けて角を曲がった。

 その途端、前方の様子を確認する間もなく、背後から何者かに強く突き飛ばされた。


 普通の少年ならば派手に転んでいたのだろうが、ルドルフは勢いよく数歩踏み出しただけで踏みとどまった。


「何を……」


 そう呟いた時、顔に光が当てられて、一瞬目がくらんだ。

 とっさに顔の前に手をかざして光を遮ると、路地の奥でローブを目深まぶかに被った人物が杖の先端を自分に向けているのがわかった。

 魔力を込めた魔石を光らせて明かりとし、それをルドルフの方へと向けているのだ。


「何者か」


 しわがれた誰何すいかの声が投げかけられた。

 ルドルフは光に目を細めながら、前方を注視する。

 こちらに杖を向けている人物の背後に、さらに何人かの人影があった。


「……セオドア? リード? そこにいるのか?」


 状況が全く飲み込めないまま、ルドルフは二人の名を口にした。

 杖を持った男は鼻から息を吐いて、少し力を抜いたようだった。


 さわさわと背後の人影達が声を立てる。


「街の者か……」

「無関係のようだが……」

「しかし、話を聞かれたかも……」

「ならば……」

「仕方なし……」

「仕方なし……」


 かちゃり、かりゃり、と金属の冷たい音がして何人かの人影が前に出てくる。

 反対に杖を持ったローブの人物は闇に溶け込むようにスルスルと後退した。


「消せ」


 闇の中にしわがれた声が投げられた。

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