髪色

「聞いてよ教授!! また馬鹿にされた!!!!」


 エル教授が管理する研究室に顔見知りの女子中学生が飛び込んできたのは夕方のことだ。不満が生まれる度に彼女がやってくるのは毎度のことなので、エル教授の研究室に所属する学生は別段驚くことはなかったが。


「まったく。そんなことでここに来るなと何時も言ってるだろうユー」


 エルは文句を言いながら席を立つと教授室へと向かった。少女のフラストレーションを研究生のいる部屋で解き放つわけにはいかなかった。


「とかなんとか言ってもちゃんと話を聞いてくれる教授のこと、好きだよ」

「大人をからかうものじゃないよ」


 教授の後ろを付いていくユーはほんの少しむっとした表情をする。しかし学生への礼儀は忘れておらず、彼らへの浅いお辞儀は忘れていなかった。


「研究室は部外者立ち入り禁止だと何度も言っているだろう」

「教授の親戚なら関係者でしょ」


 入室してドアを閉めたピンク髪の少女が定位置の丸椅子に座りながら言う。


 理屈は通っているのがタチが悪い。


 大学は関係者以外の人間でも特に許可無く校内を歩き回ることが出来る。無論、荒くれ者やホームレスといった人種は速やかに出ていって貰うが基本は自由だ。エル教授が決めた『部外者立ち入り禁止』もただのハウスルールに過ぎなかった。


「ところで今度は何だ一体――いや、予想は付くが」

「ねー聞いて!! 新任の教師の奴、アタシの髪を見るなりやれ頭が悪そうだの、品位がないなど馬鹿にしてきたんだよ! しかもこっちの言い分も聞かずに勝手に決めつけてさ! 本当サイアクっ!」

「それは災難だったな。教師が生徒の言葉に耳を傾けんとは教育者とはあるまじき人物だな」

「でしょー!! 今思い出しても腹が立つ! ねぇ教授お茶!!」

「ここは喫茶店じゃないぞ」


 勢いよくバンバンと机を叩かれたことで、渋々冷蔵庫からお茶を取り出し紙コップに注ぐ。そして机の上に置いた途端、獣のように奪い取られた。

 エル教授の従妹である中学生ユーは生まれながら髪が桃色である。彼女の両親は黒髪。他の親族も普通の髪色であることから彼女の髪は突然変異によってもたらされたものである。

 滑らかで艶やか。誰もが見惚れるような美しい髪だが、一部の人間にはとても評判が悪かった。容姿は中の上だけに余計に鼻に付くのかもしれない。


「でもやってられないよ。地毛証明書まで出してるのに、いつもいっつも馬鹿にしてくる人間がいるんだもの」


 一気に緑茶を飲み干すと、不貞腐れたような口調でユーが不満を吐いた。


「だから気にするなって何時も言ってるだろ。そんな低俗な奴らはそこそこの高校に行けば大体消える」

「それは分かってるけど毎日誰かに『ビッチ』だったり『淫乱女』なんて言われてたら文句だって吐きたくなるよ」


 彼女の理屈も分かる。

 ユーはまだ中学生二年生だ。思春期真っ盛りの彼女が頻繁に陰口を言われていては、頭では構うだけ無駄だと分かっていてもやってられないだろう。


 だが、急に馬鹿な者達の意識を急に変えられるほど世の中都合良くない。


「奴等はお前の美しい髪に嫉妬してるんだよ。自分達には到底手に入れることの出来ない代物だから、非難したり馬鹿にしたりしか出来ないんだ」

「教授は私の髪綺麗だと思ってる?」

「それこそ何度も言わせるな。人工的ではない自然が作り出した美しさには尊敬の念すら覚える」


 教授が答えるなり「えへへ」と笑みを浮かべながらユーは両足を床から離しぶんぶんと前後に振る。


「だから今は面倒が多いかもしれんが適当に流しておけ。そのうちお前の良さを理解してくれる人間の方が多くなるさ」

「……うん、ありがと」

「分かったらもう来るなよ。学生の邪魔だ」

「やーだよ」


 こいつは……素直になったと思えばこれだ。


「アタシ頑張って将来外見で差別されない世の中を作るよ」


 少女が教授の目を見て告げた。先程までの明るい表情はすっかりと消え失せ真剣な顔つきになっていた。


「そうか。困難な道になるだろうがお前なら出来るよ」

「うん。そしたらハゲの教授も大手を振って外を歩けるね」


 一瞬思考が止まる。

 気付いた時には体が勝手に動き、近くにあった研究生のレポートでユーの頭をはたいていた。


「いったー!? 教授がぶったー!!!!」

「身体的特徴を馬鹿にされて愚痴を吐きに来た人間の言うこととは思えなくてな。大体ハゲと言うなスキンヘッドと言え」

「教授への暴言はノーカン!!!!」


 いらっと来たので次は両頬を掴み横に引っ張る。


「いふぁいいふぁいいふぁい!!」

「差別を受ける痛みを知る人間が冗談でもそんなことを口にするな」


 言うだけ言って彼女の頬から手を離す。

 涙目で赤みを帯びた頬を擦る少女に若干の罪悪感を覚えたが、これも教育のためだと正当化することにした。


「うぅ……ごめんなさい」

「分かればいい。私も叩いてすまなかった」

「……頬をつねったのは?」

「それはお前のためだからな。愛の鞭というやつだ」

「むぅ、納得いかないー」


 睨むユー。それでも不満よりも愚痴を聞いてもらえた満足感が勝ったようだった。


「教授、アタシ頑張るからね」

「ああ、無理せず頑張れ」

「見てろスキンヘッド。いつかアタシを凄さ認めさせてやるんだから」

「その言い方は止めろ。それからもうここには来るんじゃないぞ」

「えへへ、やーだ」


 彼女は自然な笑みのまま教授室から去っていった。取り残されたエル教授は少女の背中を見て僅かながらの寂しさを覚えるのだった。

 しかし一ヶ月後。そんなちっぽけな感情などすぐに消え去ることとなる。

 突如現れた桃色の髪を持つ女子中学生が外見による差別撲滅に向けて世界中を股に掛けて活動するという動画がSNSで話題となったのだ。顔の造形、肌の色、髪色など様々な外的要因による差別を無くそうとする活動は、親戚ながら胸に来るものがあった。


 行動力の化身かこいつ。


 素直に驚きながら彼女が作ったと思われるホームページを見ていたところ、とあるページを見てエル教授は苦い顔をした。それは彼女が差別だとする髪についての項である。

 彼女が記した項目にはそもそも髪が無いことに関する記述が書かれてなかった。

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