コスプレ

 うだるような暑さが身を焦がす夏日。某国際展示場の屋外に男はその他大勢の一人として立っていた。それもこの国の人間であれば誰もが一度は目にしたことのある国民的特撮アニメの主人公の格好に扮しながら。

 しかしながら誰も奇異の目を向けることはない。何故なら今日は毎年八月の二週目に行われる大型同人即売会。今日この場所に限ればフィクションキャラが現実に居ても何も可笑しくはなかった。


「すみません、隣宜しいですか?」


 声を掛けられたことに気付いたのは音がしてから数秒後だった。仮面という名のヘルメットによって音の指向性が分かり辛くなっていたのだ。


「あ、あぁ。大丈夫ですよ」

「ありがとうございます」


 隣は充分スペースがあったが自然と反対方向に一歩スライドしてしまう。声の若さからいって、どうやらまだ大人になりたての青年のようだ。


「初代のコス良いですね。惚れ惚れするほどの出来です」

「いえいえまだまだですよ。そちらも仮面シリーズですか?」


 見ると隣の青年もまた仮面で顔を覆っていた。加えて黒のライダースーツの上から赤と白を基調とした胸当てや肩パッドを付け、腕や足には装甲を身に纏っている。武器の剣も含めるとごちゃごちゃとしているが、一目で『格好良い』が伝わるデザインだった。


「最新作の主人公ですね。剣豪がモチーフのせいか殺陣が物凄く格好良くて一気に心を奪われてしまいました」


 言って彼は両手の剣で二度三度虚空を切る。


 最新作か……。

 シリーズに愛着はあるが近年観れていないな。オタクとしては失格だ。


「なるほど。仮面シリーズ好きとして恥ずかしい限りです。今度観てみようと思います」

「すみません、一枚良いですか」


 話は第三者の介入によって遮られる。

 一眼レフのカメラを首から下げた男性。コスプレ写真の収集に目的を置いた所謂カメコだ。


「はい、お願いします」


 回答すると同時に右腕を左方向に伸ばし、変身ポーズ兼決めポーズを取る。たったそれだけの動作だというのに男の表情は子供のように無邪気で明るいものへと変わった。


「ありがとうございます! すみません──」


 撮り終えたカメコが今度は隣の青年へと向かう。それも終わると、カメコはまたこちらに話を飛ばしてきた。


「あの。お二人一緒でも構わないですか?」


 突然の甘美な要求に思わず頬が緩む。

 男は咄嗟に青年の方を見るが、男が声を放つ前から青年は右手の親指を立ててきた。


 こいつ……!!


 それからはこのエリアに限れば男達の独壇場だった。衣装のクオリティに加えて男達のポーズのキレの良さと原作再現度、そして新旧ヒーローの共演に人が人を呼び瞬く間に人集りが出来た。

 矢継ぎ早に自分達がイメージする変身ヒーローの動作を取り続けていると、あっという間に時間が過ぎていった。流石に通気性の悪い衣装だけあって青年は水分補給のために時折仮面を脱いでいたが。その際に垣間見れた滝のような汗は今日の暑さを示しているようだった。


 暑さに強い体質で本当に良かったな。


 子供の頃から高い外気温には強かった。真夏でもあまり汗をかかずクーラーに頼った記憶はあまりない。その分寒さには弱いせいで、便利な身体かと言われればそうでもないのだが。


 撮影の波が一段落し、男はほんの少しだけ青年から距離を取った。

 人が散った今なら彼が休憩を取れる。傍に並んでいてはまた撮影依頼が来る可能性があったからだ。


「今のうちに水分補給しておいた方が良いですよ」

「あーすみません。それではお言葉に甘えて」


 男はまた仮面を取り、地面に置いていたスポーツドリンクを一気に流し込んでいった。その様子を見て男は小さく首を傾げる。

 青年は何処か見覚えのある顔をしていた。そして何故か懐かしい雰囲気も感じる。だが、男にはまるで記憶がなかった。


「そちらは休憩取らなくて大丈夫ですか? これだけ暑いと水分取らないと死んじゃいますよ」

「いえ、私は暑さには滅法強い体質でして。大丈夫ですよ」

「……そうですか。でも気を付けてくださいね。さっきSNSで見たんですが、太陽の照り返しで地表の温度は40度越えてるそうですよ」


 頷きながら試しに手を地面に伸ばしてみる。しかしながらこれといって熱を感じなかった。


 何だ、これは。


 ここで初めて自分に起こっている異変に気付く。確かに自分は暑さには強い。だが、ここまで無頓着なわけではない。今の手の感覚は衰えているよりも無いに等しかった。


 そういえば手袋のざらざらとした肌触りも分からない。それどころか皮膚が何も感じない。一体何がどうなっているんだ?


 自身の体調を不思議に思っていると青年が再び仮面を付けていた。どうやら休憩は終わったようだった。


 体調は良いのだから気にしても仕方ないか。


「あ」


 余計な不安を振り切ったところで更衣室の利用終了一時間前を告げるアナウンスが鳴り響いた。楽しかったせいか意外なほど時間が経っていたらしい。終了直前の更衣室は混むこともあってそろそろ終わりにすべきだろう。


「すみません」


 青年に話し掛けられすぐさま彼の方を見る。


「折角なので一枚良いですか。どうせですから一緒に」


 断る理由は無い。特に何も考えずに首を縦に振ると、彼は瞬時に隣のコスプレイヤーに話し掛け自身のスマホを預けていた。


「いきますよ」


 流れに身を任せて彼と共にポーズを取る。今日のどれよりも真剣に、自身が主人公になりきったように熱く。


「ありがとうございます」「ありがとうございました!」


 青年と一緒に撮ってくれたレイヤーにお礼を言う。

 相手の仮面で表情は読み取れないが、青年が嬉しそうなのは声の調子や体の動きから伝わってきた。そしてスマホを受け取った彼が疲れた様子も無く元気にこちらに寄って来る。


「今日はありがとうございました、良い思い出になりました」

「こちらこそありがとうございました。また何処かでご一緒しましょう」

「いえ。残念ながら多分、次は無いと思います」

「どうしてですか?」


 青年は一瞬躊躇いを見せる。

 だが、真っすぐな視線でこちらを見つめるとすぐに口を開いた。


「……貴方に成仏して欲しいから」


 瞬間、脳に激震が走り記憶がフラッシュバックした。

 男はもう死んでいる。

 数年前の同じイベント、同じ会場、同じ場所、そして今と同じコスプレをして熱中症になったことを思い出した。そして、医務室で息絶えてしまったことも全て。


「しかし、君は一体……?」


訳が分からなくなり反射的に言葉が出た。


「……何処かの特撮馬鹿の息子ですよ」


 言われて自然と口角が上がった。

 何故だが分からなかったが無性に嬉しくなり、不思議な満足感が込み上げてきたのだ。


「たまのお盆ぐらい家に帰って来いよ、馬鹿親父」


 男はイベントが終わるぎりぎりまで、新人ヒーローの小言を聞き続けた。

 仮面の下に作った笑みを隠しながら。

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