歯車
「なぁ、昔の漫画とかアニメに出てくる奴隷がよく回してる棒について考えたことあるか?」
「何だよ急だな。それって円形の歯車っぽい棒が付いてる奴か?」
とある大企業の社員食堂。男はカラリと揚がった豚カツを口に含み堪能していると、背中越しに興味深い話が聞こえてきた。
下らないが考えたことのない話題。男はお盆横に置いていたスマホをポケットに仕舞うと、後方の二人の男達の会話に耳を傾けた。
「そうそう。周りに鞭持ってる雑魚が立ってる奴。あれって無理やり働かせられることが多いけど、何のためなんだろうなって思ったわけ。そんなこと考えてたら午前終わっててさ」
「下らねー。無難に発電とかじゃね? 電池に繋いで電力貯めるとか」
「いやいやいや、流石に効率悪いだろ。それなら自転車で良いじゃん」
確かに。
電力目的ならもっと良い方法がありそうだ。
「それもそうか。それならそばとかコーヒー豆でも挽いてんじゃねーか?」
悪くない、と男は小さく二度頷いた。
歯車の中心が下の空間と繋がっていて先は臼というわけだ。そばやコーヒーは丁寧に挽かないと香りに関わってくる。案としては悪くないだろう。
「コーヒーは知らないが、そば粉って熱が発生するほど早く回すと風味が落ちてダメなんだろ。人によって回す早さが違うだろうし、そんな繊細な作業奴隷にやらせるか?」
これも最もな意見である。
奴隷に粉を挽かせるような連中に些細な風味の差が分かるかどうかは置いておくとして。
「文句ばっかじゃねーかお前。じゃあお前はどう考えてんだよ」
片割れが強い語調で言う。反論ばかりぶつけられて、多少なりとも怒りのボルテージが溜まったのだろう。
「俺はステージギミックだと思うんだよ」
「ステージギミック?」
ステージギミック!?
思わずもう一人が吐き出した言葉と同じ内容が脳内に浮かぶ。思ってもみなかった意見に手が震え、ついキャベツの山を崩してしまった。
「ほら、大体ああいう施設があるのって悪の組織だったりするだろ」
「そりゃ無理やり奴隷を使役するぐらいだからな」
「つーことはだよ。悪の親玉が颯爽登場するためのエレベーターや正義の味方を陥れるための回転床なんかっていうのもアリじゃないかな!」
熱弁する男の説を耳に通しながらミニトマトを口の中に放る。甘酸っぱいトマトのエキスを楽しみながら、男は思考の海に沈んだ。
最古のエレベーターは手回しだったそうだ。エレベータ内に取り付けられたハンドルを操作し上昇または下降を行う。彼の理論は比較的現実的だ。
だが――、
ずっとエレベータを動かすことに意味も生産性も無い。回転床だってそうだ。敵を罠にハメるだけであれば敵が来てから歯車を回せばいい。
「いや、ねーよ。ずっと歯車回す意味ねーもん」
「それじゃあただの昇降機はどうだ? 鎖に対して等間隔に付けられたバケツが上下にループする奴。下の階で発掘された宝石とか石炭を上の階に運ぶのに使う」
「うーん……それはまあ案外ありかもな。ステージギミックよりは理にかなってる気がする」
確かに。残念ながら夢は全くないが。
「だろ――って、もうこんな時間か!? やべっ、次会議だ!」
「ゆっくり食い過ぎなんだよお前は。はよしろ」
唐突に雑談という名のおかずが消える。男は最後のご飯の塊を平らげると、「ごちそうさまでした」と丁寧に手を合わせた。
ゆっくりと席を立ち、食器が乗ったお盆を返却口に返す。
あ……。
自然と視界に入った簡素な壁掛け時計を見て思う。
時計というのはどうだろうか。
時計の長針であれば二十四時間回し続ける必要がある。しかしそばやコーヒーと同じで回すスピードが変化する可能性がある以上、候補の一つとしかなり得ないだろう。
男は作業部屋と戻ろうとして小さく溜息を吐いた。昼休みという安寧の時間が過ぎ去り、午後の作業が待っていると思うと、考えるだけど億劫だった。
「頑張る必要なんてないのが救いだけどな」
周囲の人間に聞かれないように小さくぼやく。作業部屋への階段を一段一段降りていくだけで気持ちが落ちていった。
俺は歯車の答えの一つを知っている。
世の中の刑罰の一つに空役というものがある。何の意味の無い労働を敢えて科す、拷問の一種だ。歯車を回すことに意味を見出す視点もあれば、歯車を回すことは何の意味も無いという観点もあるのだ。
男は作業部屋のドアを開くと自席に座った。そして午後の業務の開始を告げるチャイムを聞くと同時にキーボードを操作し始めた。
緩やかな動作で何も書かれていない文書ファイルを開く。続けて無駄な文や図を挿入しては削除する作業をただひたすら繰り返す。
その作業に飽きたら今度は表計算ソフトを起動し、今年のカレンダーを作っていく。そして作り終わったと直後にまた消し、今度は他の無意味なことに着手する。ただ業務時間が終わるまで黙々と。
そうして今日を終えれば明日もまた繰り返す。何度も何度も何度も。
他に選択肢のない奴隷のように、言われたことに対して従い続けるのだ。自分が堪えきれなくなるまで永遠に。何も考えず、ただ空虚な歯車を回すように。
男が働く場所は、所謂追い出し部屋と呼ばれる虚無の空間だった。
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