第49話 急ごう。
ほんの少し戸惑ったように固まったのち、クラウスは口を開いた。
「……少し、整理をさせてくれ。アイリーンにも話したいし」
その申し出を断る権利もない。どうせ明日の休みには皆で集まることになっている。
「別にクラウスの好きにしたらいい。僕の勝手な見解だからな。アイリーン嬢にだって話さなくても構わない」
「ああ、ただそういう可能性があるとは思わなかったから少し、な。もう少し考えるさ」
エーヴァルト家に関する話だ。本来であればカーティスが関与できる話でもない。
ただの相槌としてカーティスが頷いた時、予鈴が鳴った。
「うわ。急ごう。また校長に見つかると面倒だし」
「はは、違いない」
カーティスとクラウスは慌てて次の授業場所へと足を急がせた。
◇◇◇
女性三人組は学校外のカフェの個室を貸し切っていた。
テーブルに並べられたカラフルなお菓子を摘まみながら、部屋は楽しそうな笑い声で包まれる。
「アイリーンさん、いいんですか、貸し切ってしまって」
「いいも何も、そういうお店ですもの。ミアは何も心配なんていりませんよ。それにマリーさんもいらっしゃいますもの。人目がないほうがよろしいでしょう?」
愛嬌たっぷり色気もたっぷりなウインクを投げられるマリーは、言葉の意味を含めて、狼狽した。
「アイリーンさん! あたしはそんなつもりで貸し切りを提案したわけじゃ!」
「あらら。大丈夫、わかってますわ。カーティス様と会える時間を見知らぬ誰かに邪魔されたくないと思ってそう提案されたわけではないことくらい」
「だから! そうじゃないと!」
「ええ、違うのでしょう」
わかっていますわ、と繰り返してアイリーンはマリーを構い倒す。
マリーは氷の表情なんてどこかに置いて忘れてきてしまったように、頬を膨らませたり顔を赤くしたり笑ったり。
その姿をミアは黙って傍観する。
花畑で出会ったときのままのマリーの姿に安堵し、自分以外にもそうできる相手がいることに安心する。
願わくは、そういう相手が増えていきますようにと、こっそりミアは思うのだ。
「それにしても遅いですね、カーティス様とクラウス様」
「あら、別にいいじゃない、ミア。わたくしたちはわたくしたちで楽しみましょ。わたくしは久しぶりにミアとカフェに来られて楽しいのよ。ねえ、マリーさん」
「う、いちいちあたしに聞かなくてもいいじゃない。楽しいけど」
「反応がいちいち可愛らしいものだから、つい構いたくなっちゃうのよ」
口端を上げて見せるアイリーンにそろそろマリーが怒り始めそうだ。アイリーンはさらっと話題を変える。
「そうそう、こちらのお店では、フルーツの入った紅茶が人気なのだそうよ」
「え、温かい紅茶にフルーツを入れるんですか?」
「ええ! フルーツと言ってもドライフルーツですけれど」
「そろそろ運んできてくれると思うわ。ミア! 香りが甘くて、見た目も可愛いの。ミアも気に入ると思う」
マリーが言い終わるや否や、ドアがノックされる。
入ってきたのはカフェの店員だ。手に持つトレイの上には今話していたフルーツ入りの紅茶。
透明なポットの中で、オレンジにイチゴ、リンゴがハーブとともに揺れている。
マリーが言った通り、色鮮やかなフルーツは惹きつけられ、目でも楽しめる。
カップに注がれた紅茶からは普段飲む紅茶とは比べ物にならないほどの甘い香りが漂ってきていた。
「うわあ……! とても綺麗」
「でしょう。ミアと一緒に飲んでみたかったの。きっと喜んでくれると思っていましたもの」
カップを持って香りを楽しんで、そっと口をつけた。フルーツの香りが鼻を抜ける。
目を瞑り、香りを楽しむミアを、アイリーンは満足そうに眺めていた。
「前からお聞きしたかったのですが、アイリーンさんはクラウス様と婚約者同士なんですよね」
「ええ、そうよ」
「何か特別なことをしたり……?」
「特別とは例えば?」
「例えば、宝石を贈り合ったり、プレゼントされたネックレスを肌身離さず持っていたり、定期的にどこかへ出かけたり、とかは」
ミアからきらきらとした瞳を向けられ、アイリーンは少し悩む素振りを見せた。
興味はあるけれど、前のめりにならないよう必死に耐えているマリーを一度見やって、それから答える。歳もそう変わらない彼女たちを可愛らしいと思いながら。
「ああ、よく聞く婚約者同士がすることね。そうねえ、わたくしたちはとくにそういったことはしていませんわ」
というのも幼い頃の遊び相手からの延長のようなものだからだ。
全ての女性を楽しませたい、そういう男であるクラウスだが、アイリーンはそれに当てはまらない。
他の女性に見せる顔を一度だってアイリーンに見せてくれたことはないのだ。
「家との繋がりに重きを置いた政略婚ですから、そういうものなのでしょう。それに今更取り繕うような関係でもありませんし」
贈り物や出掛けることで相手を喜ばせる、興味を持ってもらう。すでに、そういうことをしなければ維持できない関係ではない。
お互いが自分の立ち位置を理解し、行動する。その結果が今なのだ。
クラウスがいくら他の女性に色目を使っていても、たとえアイリーンがクラウスを嫌ったとしても、学校を卒業すればもう結婚目前。
自分に変えられるものはなく、ただその時の最良を進むだけ。
アイリーンはそっと目を伏せた。長い睫毛は揺れる瞳を隠してくれる。
「ああ!そうですよね!お二人はとてもお似合いですから!」
「ええ。どうしてそんなに自然に相手を思うことができるのか、あたしにも教えてほしいくらい」
相変わらずのきらきらしたミアと、とうとう観念したのか話に入ってきたマリー。
楽しそうに笑う二人の言うその意味が、アイリーンにはわからなかった。
「……え? 何?」
眉を顰めたアイリーンには二人揃って首を傾げる。
「誤魔化さなくたって! アイリーンさんとクラウスさん、とてもお似合いだし。もちろん悪く言う人なんていないし」
「そうですね。私の周りでも悪く言う方はいらっしゃいません。クラウス様はとても人気のある方ですが、アイリーンさんと歩いていても目くじらを立てているような方はお見かけしませんよ」
「息もぴったりだし」
「はい。掛け合いもいつも楽しそうです」
「いいなあ。……あたしも、いつか、アイリーンさんのようになれたら。まずは氷姫をどうにかしないとだけど」
にこにこと悪気無く言う二人に、アイリーンはとうとうおでこにそっと手を当てた。
「……何を言って? 辺境伯様──ご当主様が一番でしょう。せっかくそう仰るのならお相手はご当主様にしていただきませんと」
少しぶっきらぼうな言い方になってしまったが、アイリーンは構わなかった。構う余裕すらなかった、が正しいかもしれない。
ずっとご当主様を愛している。そう、言葉でも態度でも示している。本気で、そう思っている。アイリーンの気持ちとは裏腹に、クラウスとの関係を羨ましがるマリーは、一体何を見ているのだろう。
思い通りにならない現実にイライラしつつ、それを押し隠そうとして眉間に皺が寄る。
そんなアイリーンを気に留めず、マリーは大きく頷いた。
「たしかに、ロイモンド様はアイリーンさんにとって特別な方だと思うわ。ねえ?」
ミアの相槌を確認して、マリーはさも自信ありげに続ける。
その先を聞きたくないと願っても、遮る術をアイリーンは持たなかった。
「だけど、クラウスさんのことも、アイリーンさんは特別に思ってるでしょ?」
その言葉を、アイリーンは絶望とともに聞く。
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