第46話 名乗っていませんでしたか?
先日とは別の、やはり人気の珈琲店へ訪れた。
本日の店もまたウドルフのセレクトである。
「どうだ、贈り物はできたのか?」
「あ、その件はありがとうございました! 実はあの後、教えていただいた店へ行きまして、人気のお菓子を購入したんですよ」
「渡せたのか」
「はい。無事に渡すことができました。ただ、今まで渡したことがなかったので、彼女は少し、戸惑っていたようでしたが」
「しかし、受け取ってはもらえたのだろう。嫌なやつからは受け取らんからな。暗黙だが、そういうマナーもあるんだ」
「そうですか! よかった」
先日の贈り物のやりとりをしっかりと伝え、カーティスはほくほくだった。
楽しい。
こんなやりとりを何のからかいもなくできるなんて。
「その相手は、どういった女性なんだい」
ウドルフもまたひどく楽しそうに聞いてくれる。
それがまた、楽しいのだ。
「そうですね……まずはかわいい」
「うむ。わかるぞ。私もアイリーンが何をしていても可愛いと思うからな」
「ですよね。何をしていても、かわいい。その通りです」
大きく頷いた。
「もうそこにいてくれるだけで場が華やぐというか、空気が違うというか」
まるで彼女が光で包まれているような。
カーティスはうっとりとした表情でマリーを思い浮かべた。
初めて会った十歳の誕生日に、学校の歓迎パーティ、それから押しかけ続けた校内での挨拶に、無表情じゃない姿を見せてくれた日、そしてアーレンベルク家での休暇。
そのどれもが輝いていた。
まだまだ続くカーティスの熱弁にも、ウドルフはわかるわかるとばかりに頷いてくれる。
「そんな素敵な女性ならば、学校でも人目を引くだろう。誰かに取られるのではと心配にはならないか?」
「なるにはなるんですが、彼女自身が、あまり恋愛ごとに興味はなさそうでして」
「へえ、それはそれは」
「責任感が強いようで、家のことを心配しているようなんですよね。他の事に構う余裕がないのかもしれません」
だからこそ学校では無表情になるのだろう。
変な人間に取り入る隙間を与えないように、人間に舐められないように、だ。
そのためにカーティスはなかなか警戒を解いてもらえない。
「ほう? 令嬢にしては珍しい。……本当にアイリーンではないんだろうな」
ぎろりと睨むウドルフは、冗談混じりである。口元は緩んでいた。
「はは、アイリーン嬢ではありませんよ。そう言われると芯の強いところなんかは似ているかもしれませんね」
ウドルフは顎に手をやった。ややあって珈琲にミルクを注ぐ。
黒に白が落とされて、徐々に色が混ざる。それを見届けて、「アイリーンにも私はよく言うんだが」と前置きして言った。
「その女性も、責任感があるのはいいが、あまり家のことに縛られなくてもいいとは思うがな。女性であるわけだし」
手元のスプーンで珈琲を混ぜる。
ウドルフの言うところの意味も理解できた。アイリーンは嫌がる考え方かもしれないが。
貴族の女性の身では、他家に嫁ぎ縁を繋ぐことが一番の仕事とされた。
もちろん悪評は嫁ぎ先にも影響が出てくるため問題外だが、逆に言えば悪評にならない程度であれば問題にならないのである。
生家より嫁いだ先でより責任感を発揮してもらえたほうがよい。
しかし、マリーの家は地位が高すぎた。
「彼女、公爵家の令嬢なので、なかなか難しいのかもしれません」
マリーを想ってしょんもりとしたその言葉に、ぱっとウドルフは顔を上げた。
急な動きにカーティスは驚く。
何かおかしなことを言ってしまっただろうか。
ウドルフの楽しそうだった顔が一気に強張っていた。そのままじっとカーティスを見る。
「君……、申し訳ないな、君の名前を、もう一度聞かせてくれないか」
「え? 名乗っていませんでしたか? 失礼しました。カーティス・アーレンベルクです」
瞬きを忘れた目で、ウドルフはカーティスを見る。
それから感じられるのは、これまでの気さくさではなく──憎しみに近い。
「ウドルフ殿……?」
どうかしたのかと気遣うカーティスに、ウドルフはたっぷり時間をかけたのち、ぼそりと口を開く。
「……アーレンベルク……。君は、辺境伯家の?」
「あ、ええ。辺境伯は僕の父です」
「たしか、辺境伯殿には一人息子がいる、と」
「それが僕ですね」
「ああ……、たしかに似ている、何故私は今まで気づかなかったのか。……であれば、君は跡継ぎか」
事実を一つ一つ確認するようにウドルフは言う。
少し調べればわかることで、カーティスにとって隠すことでもない。
むしろ、これまで何も知られていなかったことに驚いていた。
彼は、カーティス自身には興味がなかったのだ。
「ええと、最近少し認めてもらえるようになり、ようやく、ですけど」
戸惑いながらもはにかむカーティスに、ウドルフはなお無表情を貫いた。
顔はカーティスを向いているというのに、その目はすでにカーティスを見ていなかった。
「──やはり、あいつの友人、ということだな」
ウドルフは持っていたスプーンを置いた。す、と立ち上がり、個室の出口へと向かう。
カーティスのことはもう興味が失せたかのように、一瞥もしない。
「ここは年長者である私が支払おう。もう二度と私の前に顔を見せるな」
一方的に別れを告げ、ウドルフは出て行った。
残されたカーティスは、ウドルフの変化に愕然とし、ただぼんやりと人がいなくなった向かい側を眺め続ける。
向かいのカップではまだ濁った珈琲がゆらゆらと揺れていた。
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