第44話 別に想う女性がいますし

 暑い日が続いている。

 早く涼しくなればいいのに、とカーティスは今の状況とはあまり関係のないことを思った。

 そうでもしなければ、つい眉が険しく寄ってくるのだ。


 目の前には、ウドルフ。そしてテーブルには出された珈琲。

 つい先日クラウスとアイリーンに話を聞いたばかりにも関わらず、カーティスはあっさりと捕まってしまった。

 無理やり捕まえられたわけではない。ただ、人目のある校内で話しかけられただけ。

 危害を加えられたわけでも脅されたわけでもなく、ただ人目があればあるほど、カーティスは彼を無下にできなかったのである。

 このときばかりは自分の愛想を呪ったものだ。

 今は何故か有名な喫茶店に連れられている。完全個室で人目は無い。


「君がどんなにアイリーンと親しいか知らない……が、君はただの学友に過ぎない。距離には気を付けたまえ」

「……ええ。わかっています」

「なんだね、その顔は。本当にわかっているのか」

「はい。わかっています。顔は……申し訳ありません、こういう顔なもので」


 正直なところアイリーンのことで呼び出されるほど、彼女と親しいつもりもない。文字通り、ただの友人である。

 全く見当違いなところから責め立てられて穏やかな顔をしていられるほどカーティスは大人ではなく、仏頂面になってしまうのも仕方のないことだと思うのだ。

 しかしウドルフはそれを感じ取ってくれるような相手ではなかった。


「少しばかり顔がいいからと……人を見下すような態度は改めた方がいいぞ」


 こういうやりとりも、何度繰り返したことか。

 いい加減解放されたくなってくる。

 何を言っても、どんな顔をしても、彼は何かにつけて文句をつけてくる。

 こういう人間っているよね、とカーティスは溜息を押し殺した。

 何も知らないくせに、よくもまあつらつらと文句ばかり言うものである。

 クラウスの兄だからと黙って聞いていたがカーティスはそろそろ限界だった。


「だいたい君はいろんな女性に気を持たせるような言動をしているというではないか」


 腕を組みながらウドルフは言う。

 耐えていたカーティスは、ぎりと奥歯を鳴らした。


「……っなんなんですか、さっきからずっと。黙って聞いていましたが全部あなたの思い込みでしょう」

「何?」

「僕がアイリーン嬢を好ましく思っていることを前提で話されているようですが、そもそも僕には別に想う女性がいますし」


 あなたにとやかく言われることではありません、とカーティスは語気を強めた。

 他の女性たちにしていたことは、今はもう悔やまれるばかり。

 こんなところでよくも知らない人間に窘められたくもない。そんなこと自分が一番わかっている。

 わかっているのに──慣れとは恐ろしいもので、すぐに改められるものではなく──直せない自分が腹立たしい。

 八つ当たりにも近かった。

 けれど、散々小言に耐えたのだから、それくらいいいだろうとカーティスは自制しなかった。


「気を持たせるような、と言いますが、そんなこと僕はしていませんし。話しかけてくれる女性には嫌な思いをさせないよう気を付けてはいますが、ただそれだけで。嫌な思いをさせないようにすることなんて、当たり前の事でしょう。それを気を持たせるなどと言うのであれば世の中の大抵の人間は、常に人を惑わせていることになりますね」


 言い切って、息を吸う。


「もう一度言いますね。僕には想う女性がいるんです。アイリーン嬢ではなくて、別の、です。だから他の女性にも、もちろんアイリーン嬢にも、気を持たせることをしたつもりは一切ありませんし、そのような対象として見たこともありません」


 息を吐く代わりに、日々の鬱憤を吐き出して、もう一度息を吸って呼吸を整える。

 少しの充足感を味わいながら、ウドルフをちらりと伺い見れば、少し目を見開いて固まっている。

 カーティスは我に返った。

 勢いに任せて言わなくてもいいことを口走ったような気がして、内心頭を抱える。

 知り合ったばかりの人間にするような話ではない。しかも、クラウスとアイリーンから事前に忠告されている危険人物だ。

 何をどう受け取られて、その後どういった行動を起こすのか一切予測できない。

 固まったウドルフを前にだらだらと冷や汗をかく。


「……」


 身構えていたカーティスだが、ウドルフの顔がやや緩んだ。警戒心からそれさえも怪訝に思う。


「……そうか。他に、想う女性が」


 ややあって聞き取れた呟きにようやくカーティスは少し警戒を解いた。

 一番大事なところはどうやら無事に伝わったらしい。


「ええ。そうなんです」

「……そうかそうか」

「…………ウドルフ殿?」


 うんうんと満足そうに何度も頷くウドルフは、笑みを浮かべてカーティスを見た。

 出会ってからこれまで笑顔を向けられたことはなかったから、違和感と驚きにカーティスはすぐに順応できなかった。


「好きな女性がいるというのはとてもいいな。どんな女性なんだい」

「え。……は、あ。その、とてもかわいらしく、きれいで」

「うんうん」

「凛としているかと思えば話すととても気さくで。笑った顔も怒った顔もどんな顔の彼女も守ってあげたいというか、大事にしたいというか」

「ああ! 彼女の思う通りにしてあげたい?」

「そう、ですね。彼女が望むことは叶えてあげたいと思いますし、ただそのままで、隣にいてほしいと、思って」


 目に浮かぶのはころころと表情の変わるマリーの姿。

 思い浮かべるだけで心が安らぐ。


「わかるぞ、その気持ち」


 キラキラした顔で全てを肯定してくれるウドルフに、カーティスは嬉しくなる。

 周囲の人間はからかうだけで、なんでも聞いてくれるような人間はいないから。


「まだ振り向いてはもらえていないんですけど、これから、がんばるつもりで」

「おお! がんばれ。私のようになれるようにな」


 少しでも嘘くささが混ざれば、カーティスは気づく。

 力強く握りこぶしを見せてくれるウドルフは心底カーティスを応援してくれているようであった。


「贈り物はしたのか? 花はいいぞ。喜ばれるし、贈った花に囲まれる女性は美しい。あとは甘いものも好む女性は多いが……ああ、ここの店は人気らしいぞ」


 具体的なアドバイスさえくれる。

 アイリーンに恋情を向けなければ、ウドルフは良い相談相手になりそうである。

 おすすめの店をいくつか教えてもらいながら、出された珈琲も飲み切った。


「君はクラウスとも友人だそうだが、なかなか可愛げがあって、正直なぜ友人をしているのか疑問にすら思う。あんなやつとつるまずともよいのではないか」


 そう言い捨てて、ウドルフは片手を挙げて帰って行った。

 げんなりした気持ちで始まった顔合わせだったが、終わってみれば収穫も多かった。


 カーティスは帰りの道すがら、教えてもらった店に立ち寄り、プレゼント用にと菓子を購入した。

 もちろん相手はマリーである。

 綺麗に包装された箱を大事そうに抱え、気分良く学校へと戻ったのだった。

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