第43話 ウドルフ殿に気を付ければいいんだな
アイリーンが十二歳のとき、クラウスが婚約者だと知った。父親から告げられたのだ。
だから婚約が決まった十歳のときから家族以外の異性と会わないようにしたのだと。
続けて、「もう十二歳だ。婚約した身としてどう振舞えばいいか考えて行動なさい」と言われた時、アイリーンは嬉しく思ったのだ。
「また会えるようになるのね!」
クラウスとも、ウドルフとも、大人たちの前でさえ取り繕えばきっと前と同じように。そう思っていたが、現実はそうはならなかった。
クラウスが婚約者となったことをアイリーンがウドルフに告げた途端、彼は眉を吊り上げたのである。
これまで、一度だってウドルフの怒るところを見たことがなかったから、とても驚き、だからこそずっと頭にこびりついている。
「……お前のせいで……っ! 全部お前が!」
悪いんだ、と激昂したウドルフが向かった先は、アイリーンの婚約者になったクラウスだ。
腰にあった剣を抜き、学校で習った剣術を繰り出した。
十七歳のウドルフと十二歳のクラウスでは、体格はもちろんのこと剣術のレベルも違う。しかもそもそもクラウスは帯剣していないのだ。
実の弟に向かって、殺さんとばかりに剣を突き出すウドルフの顔は、あたかも魔物のようで、アイリーンは自身の浅はかさを学ぶことになる。
いまこの場に親たちはいない。
ウドルフが、クラウスとアイリーンが婚約したことを嘘だと笑って取り合わないから、話してみてくれないか。
そう大人たちに言われて、アイリーンだけがウドルフと話していた。
しかし怒り狂ったウドルフは、話が終わるのを離れて待っていたクラウスにわざわざ向かって行った。
魔物のような顔のウドルフ。ウドルフの剣をなんとか避けているように見えるクラウス。
アイリーンは見ていられず、ぎゅっと目を瞑る。
ウドルフの怖い顔も、クラウスの恐怖に揺れる顔も、ましてウドルフの剣でクラウスが血を流すところなんて、見たくなかった。
──カアン
大きな音がした。
それは剣と剣がぶつかり合うような。
そろそろと目を開けたアイリーンの前にいたのは、ウドルフとクラウスの他に、もう一人。
ウドルフの剣を、鞘付きの剣で受け止めている、見知らぬ大人の男。
彼は、ウドルフが弟を刺すこともクラウスが傷を負うことも、アイリーンがその全ての元凶となることも、全てを防いでくれたのだ。
この助けてくれた男は、アイリーンにとってかけがえのない人となる。
そのとき、助けてくれたのは──。
◇◇◇
黙り込むカーティスとミアに向かって、アイリーンは懇願する。
「ですから、彼には気を付けていただきたいのです。わたくしたちどちらの家としても大ごとにはしたくありませんし、身内の恥を晒すようなことは避けたいと考えています。どうかウドルフ様が何か接触してきたとしても、刺激しないように……何が彼の機嫌を損ねるかはわかりませんけれど、おそらく引き金はわたくしとなるはずですから」
これはウドルフのためであり、クラウスのためであり、浅はかだった自分のためでもある。
彼をないがしろにしないことがアイリーンにとっては免罪符なのだ。
「……あまりまだ呑み込めていないけど、ウドルフ殿に気を付ければいいんだな」
「ああ、特にお前な」
「わかったよ。どこでどうなるかはわからないけど、もし彼と会うことになるなら人目のあるところにしよう」
「いや、そもそも会わない方がいいんだけどな。ま、ウドルフの出方次第だから、どうしようもないか」
「……クラウスは大丈夫なのか?」
人にばかり気を回すクラウスこそ、心配になる。
一番危険なのは、カーティスではなく、アイリーンの婚約者であるクラウスであるはずだ。
おそらく、長期休暇の間も実家へ帰らないのはこれが原因なのではないだろうか。
カーティスの気遣うような視線をクラウスは笑い飛ばした。
「ははっ、大丈夫だって。多少問題はあるが、兄であることは変わりないからな。あのときからずいぶん日も経つ。ウドルフだって今さら衝動的に襲ってきたりはしないだろ。俺だって、小さな俺じゃない。ほら、カーティスに勝つほど力もつけてるわけだし?」
顎を上げて見下ろしてくるクラウスに、カーティスはわざと大きく舌打ちした。
空気を重くしたくないというクラウスの気持ちを汲んだからこそだ。
「だから、一度勝ったくらいで自慢気に言わないでほしいんだけど」
二人のやりとりで、知らず張りつめていた空気が解けた。
と、同時にふわりと薔薇の香りがした。いつの間にか香りが気にならなくなるほど、話に集中していたようだ。
「はあ、思っていたものより大変な話で驚いた。もし困ったことがあれば僕も協力しよう」
「私も協力します!」
「……ありがとう。助かるわ」
アイリーンは強張っていた顔を撫でる。
そのあまり見ない様子に、心配になった。
直接危害を受けるわけではないが、自分が原因で周囲が危険に晒されるなら緊張もするだろう。
「最初は嫌々だったけど、話を聞いてよかったよ。アイリーン嬢もそんなに心配しなくても大丈夫だ。事前に知っているのと知らないのとではずいぶんと変わるから」
クラウスはいつもの顔を崩さないまま頬を掻く。
何一つ心配事のないような顔だ。
「緊急事態だと言ったろ?授業をさぼる価値もある……」
クラウスがそう言ったとき、急に、声がした。この場にいる四人のものではない、怒りを隠しているような男性のもの。
「──あらぁ、あなたたちぃ、今は何の時間だったかしらあ」
気配はなかった。
聞き覚えのあるセリフに、四人は一斉に振り向いた。
そこには予想通り、チェックのスーツに身を包む、ペンが仁王立ちしている。
「っ、校長先生……!」
「懲りないわねえ、あなたたち。本当にアタシの学校の授業をなんだと思っているのかしらぁ。親の顔が見てみたいものねぇ。自身の才能を驕り品性を欠くようなら、どんなに優秀な成績だとしても認められないわぁ。今度同じことをするようならアタシの独断であなたたちを落第にしちゃおうかしらあ」
ペンの顔がにやりと悪戯っぽく──ただ目は真剣だ──笑った。
「早く、授業に戻りなさぁい?」
凄みを利かせた声に、四人は慌ててガゼボから逃げ出した。
その中でカーティスだけは、もう一年マリーと学校に通えるならそう悪くもないなと頭をよぎるのだった。
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