第42話 危険人物じゃないか

 強い日差しと人目から避けるように、ガーデンの奥にあるガゼボに寄り合った。

 周りには薔薇の壁。

 強い日差しさえなければ、心地よい風が吹き、花もそよぐ。

 密会するには好条件であった。


 神妙な顔つきのクラウスとアイリーンに、カーティスはこっそりと溜息を吐き、素知らぬ顔で薔薇を眺めた。

 これはおそらく二人の婚約話に関わる話なのではないか、と考えている。

 クラウスの兄ウドルフがアイリーンを親しげに呼ぶのも、クラウスに良い顔をしないのも、そう考えれば辻褄が合うからだ。

 であれば、実に面倒くさく関わり合いになりたくない。

 人を散々、自身の恋愛事情に巻き込んでいるくせに、カーティスはそんなことを思うのである。


 クラウスの咳払いが一つ聞こえ、カーティスの意識は彼へと戻った。


「まず、俺の兄が礼儀知らずですまないな。あれでも一応は俺の兄だから弁明させてもらうが、普段はああいう人を無視するような人間じゃあない。基本的には礼儀を重んじる人間だ」

「……ああ、うん」


 見た目にも真面目な印象だったから、驚くことではない。

 クラウスはなんとも言いにくそうに目を泳がせて、頭を掻く。


「──ただ。ただ、な……少し厄介なことに……な」

「わたくしのことを愛しているそうで、わたくしに関わる人間──とくに男性をですが、とにかく嫌うのです」


 クラウスを差し置いてきっぱりと宣言するアイリーンに、カーティスは「はあ」と相槌する。

 ウドルフの様子からして、ああやはりと思うだけだった。


「でも、アイリーンさんはクラウス様の婚約者なのですよね?」

「そうよ、ミア。そして問題はそこなのよ」


 一際大きい風が吹き、アイリーンの髪が視界を泳ぐ。


「彼は、自分こそが婚約者だと思っているの」


 大真面目な顔の発言に、戸惑ったのはカーティスだけではなかったようだ。

 長い長い沈黙ののち、ミアが言う。


「えっと、どこか、悪いのですか?」


 親が決める婚約者。しかも自分の弟の婚約者を、自分の婚約者だと信じている。そんな馬鹿げた話があるだろうか。

 薬師としてのミアは、病気だと考えたようである。確かにそういった病もあるとは聞いているが、おそらく違うのだろう。

 もし病であるなら、クラウスとアイリーンがこんな人目につかないようなところにまで連れてくることはしないだろうから。


「残念ながら、どこも悪くないのよ。……それだけわたくしが魅力的だということかしら」


 変わらず至極真面目な口調に、笑えばいいのか悩めばいいのか判断に困る。

 クラウスの乾いた笑いだけが聞こえた。


「はは、まあそれは置いといてだ。俺は自分の婚約者に近づく不届き者なわけ。だから俺のことをウドルフは憎く思ってる」

「……ちなみに、本当はお前が婚約者じゃないってことは、」


 ないのか、と聞く途中で、クラウスがぶんぶんと首を振る。


「ないない。そうであれば今頃もっと女性との時間を作ってるって。まあ、疑うなら、婚約を承認していると父から家門入りの手紙をもらってきてもいいし」


 妙に説得力のある言葉にカーティスは納得した。


「わかった。けど、病じゃないならただ本当のことを説明すればいいだけじゃないのか。アイリーン嬢はクラウスの婚約者だと」

「そりゃあ何回もしたさ!俺だって、父だってな。アイリーンが言ったときなんて大変だったんだ。あろうことか剣を持ち出して振り回したんだぞ」

「は!?」

「しかも俺に向かって、だ。……まだ成長途中で体格も小さな俺に向かって本物の剣を、だぞ」

「………………危険人物じゃないか」


 一緒に住んでいて、よくも生きていられたものである。

 クラウスにも恐ろしい過去があったのだということに、カーティスは驚いていた。

 辛いことを知らず、気楽に生きてきたように見えるからだ。上手く隠すものだと感心すらする。

 薔薇の香りが漂うなか、聞かされる話がこんなにも物騒なものだとは思わなかった。


「ウドルフ様は、おそらくちゃんとわかっているとは思うのよ。ただその事実が認められない、認めたくないだけで」

「……自分よりも小さな弟に剣を振るほどに……?」

「それはほら。わたくしがあまりにも魅力的だから」

「ああうん。そうだね」


 にこりと笑うアイリーンにはカーティスもまたにこりと返す。

 クラウスだけが嫌そうに顔を歪めた。

 風に揺れて、薔薇の花がカサカサと音を鳴らしている。

 一瞬、外面が良い者同士の攻防が行われたが、ミアはカーティスたちの様子には我関せずである。

 しばらく思案顔だったミアは、おもむろに口を開く。


「お聞きしたいのですが、お二人はいつごろから婚約をされているんでしょうか」

「ええ、ミアには話していなかったわね。婚約したのは、十歳の時……らしいわ。家同士の取り決めだったから詳しくはわからないの。知ったのは、十二歳の時よ」


 何事もなかったかのようにアイリーンは質問に答え、カーティスもまた話を引き継いだ。


「つまりクラウスが十二のときに、剣を振りまわしたのか。ウドルフ殿とはいくつ離れてるんだ?」

「俺と五つ違うから、振り回したのは十七のとき。今は二十二歳かな」

「へえ」


 五歳も違えば、やはり体格差はあるだろう。

 カーティスはそう感じたが、ミアはまた違うことを思ったようである。


「お二人は婚約する前から交流があったんですか?」

「ああ! クラウス、アイリーン嬢。ミアにはもう少し説明が必要なのかもしれないよ」


 二人の話をいくらか聞いて知っているカーティスとは違い、ミアは二人のことを知らないのだ。

 貴族と平民では見聞きすることも別物になる。疑問に思うこともカーティスとは違ってくるのだろう。


「そうね。ミア、ごめんなさいね。わたくしとしたことがついうっかりとしてしまって」

「いいえ!」


 慌てて手を振るミアに微笑んで、アイリーンは話し始めた。


「わたくしのフレンツェル家とクラウスのエーヴァルト家は昔から交流があり、わたくしと、クラウス、そしてウドルフ様も小さい頃からよく一緒に遊んでいたの」

「幼馴染、なんでしょうか」

「ええ、そう言ってもいいかしら。親たちが集まるとき子供はその中に入れませんから、わたくしの兄を含めて四人で遊ぶことが多かったわ」


 過去を思い返しながら、アイリーンはその頃はただ楽しい日々だったのだと言う。


「わたくし一人が女性の身でしたが、まだ子供でしたので、わいわいと遊ぶことも咎められませんでしたし、親の目から離れて普段は叱られることをこっそりとやったり──今思えばおそらく親たちは気づいていたのでしょうが──そうやって楽しく遊んでいたの」

「俺たちの婚約が決まるまでな」

「そう。十歳のときに婚約が決まったと同時に、みんなで遊ぶことは禁じられたのよ。わたくしたちは婚約のことを知らされていないものだから、急な変化に何が起きたのかと戸惑ったもの」

「それは俺たちの兄もそうだったんだと思う。……勝手な俺の見解だが、そのころにはウドルフはアイリーンのことを気に入っていたんだろう。親の指示で急に会えなくなったかと思えば、数年後には俺の婚約者だと告げられる。もともと俺はウドルフに嫌われていたからな、恨まれても仕方ないことだと思ってる」


 あっけらかんとクラウスは言う。

 それはカーティスのよく知るクラウスの姿だったが、本音かどうかは計り知れない。

 兄に殺されかけたという過去を持つと知ってしまったから、内心では違うのではないかと勘繰ってしまう。


「それでも会話してくれるだけ、ましになったんだ。前は口もきいてくれなかったからな」


 淡々と事実だけを述べるクラウスにカーティスもミアも頷くだけだった。

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