第37話 他に、隠していることはありませんよね
「ふむ。本当にマリー嬢が、そう言ったのかい」
ロイモンドは、カーティスから話を聞くとそう言って首を傾げた。
「はい。僕が婚約者だと」
ふむ、ともう一度鼻を鳴らすロイモンドの考えは読めない。
ここはロイモンドの執務室。
辺境伯の跡継ぎに決まり、カーティスはよくこの部屋を訪れるようになった。
嫌な思い出が多かったこの部屋も、今ではすっかり気にならなくなっている。
今まではなかった肖像画──母のソフィと幼いカーティスがともに描かれているものだ──が、飾られたことで部屋の雰囲気も変わったのかもしれない。
ロイモンドはもっと増やしたがったが、カーティスはそれを押しとどめた。
自分と母の肖像画に囲まれては仕事や勉強が気が散ってはかどりそうになかったからだ。
「違うんですか?」
ちらりと見やった肖像画から視線を外し、カーティスは問う。
婚約者なのかそうでないかで今後のアプローチの仕方も変わるというもの。
藍色の目は真剣だ。
対するロイモンドは、淡々と答えてくれた。
「……違う、でいいだろう。ただ、どうしてラインフェルト嬢がそう言ったのかは理解できる」
婚約者ではないことに少し残念に思いながら、カーティスはロイモンドの話を聞く。
「それに、あながち間違いでもない。実はね」
「え?」
「正確には、お前は婚約者候補なんだ」
知らされた事実にカーティスはどう反応すればいいのか迷う。
喜べばいいのか、残念に思えばいいのか。
声の出ないカーティスにロイモンドは嘆息する。
「カーティス、お前がアデルに……ラインフェルト公爵のことだが、どうやら気に入られたようでね。おそらく私の子供だから面白がったのもあるのだろうが」
「……初耳なんですが」
「言っていなかったのだから当然だろう。私は、婚約には反対していたからね」
公爵家との婚約話なんて、とくに反対することでもないだろうに。むしろ願ってもない話のはず。
カーティスは首を捻る。
「……元々は、ただの酒の席での戯言だったんだ。まだお前が生まれたばかりの頃、もし公爵家に歳の近い女児が生まれたら……そんなことを話していてね。十歳になったら婚約させると面白いなとアデルが言っていて、」
「……はい」
話の流れがなんとなく読めてきて、カーティスは半目になった。
ロイモンドは言いにくそうに顔を顰める。
「実際にな、アデルのところに女児が生まれて。アデルとラインフェルト嬢を紹介した、お前の十歳の誕生日のあの日──アデルは正式な婚約話を持ってきていた」
「正式な、ですか?」
しかしロイモンドは先に婚約者候補だと言った。
矛盾のある話だとロイモンドもわかっているのだろう、補足するように言葉を重ねる。
「ああ。そうだ。だが、その頃の私はお前に、跡を継いでもらいたいとは思っていなかった──いや、跡を継がなくても構わないと思っていたからね、未来を決めてしまうようなことは極力避けたかった。公爵家との婚約など、未来の辺境伯だと言っているようなものだから」
「……」
「だから、断った。だが、アデルは諦められなかったようだ。娘にお前を婚約者だと教え込むほどに」
「それは、大丈夫なんですか?」
公爵が事実を折り曲げ、娘に教え込む。道徳的にも立場的にも。
カーティスにこだわらなくても公爵家には縁談など数えられないほど転がり込むはずだ。
これまでおそらく他の者との婚約の話も出ていただろう。
カーティスの存在は、それらの邪魔をしていたのではないだろうか。
「そこは、アデルにもなにかしら考えがあるんだろう。公爵とはいえ、一人の親だ。あいつは子どもの幸せを考えないことはしない」
「はあ」
本当に自分との婚約がマリーのためになるのか疑問が残るけれど、カーティスは事のあらましは理解した。
思うところは残るのものの、現在マリーに婚約者がいないということには、感謝しなければいけないのかもしれない。
「わかりました。理解、しました。ありがとうございます。他に、隠していることはありませんよね」
「……おそらくは。また何か気になることがあれば聞きなさい。これからはお前に隠し事はしないと約束したからね」
ロイモンドとの確執が消え、後継者となると決めたとき、カーティスはロイモンドにお願いをした。
これまでのように自分の知らないことがないよう、カーティスに回る前に情報の選別をしないでほしい、と。
もう子どもではない。不都合な情報であっても、自らで処理、対処できるのだから。
そのときのロイモンドは、困ったように笑い、一度謝ってくれた。
ただ一人では手に負えなくなる前には話してほしい、とそう付け加えた彼は、心なしか寂しげで。
カーティスを子どもとして見ない日は当分こなさそうではあったが。
ロイモンドはカーティスを見据え、「それでお前はどうしたい」と尋ねた。
「どう、とは」
「いや、なに。お前はラインフェルト嬢のことを気に入っているのだろう? 今はただの婚約者候補だが、婚約者になるのは造作もないということだ。私がアデルに連絡一つすればいい。アデルのことだから、喜んで受けてくれるだろう」
「本当に僕が婚約者に……」
嫌なわけがない。むしろ進んでお願いしたいほど。
──けれども。
カーティスの口を紡ぐ様子に、アデルは面白がるように口の端を歪める。
「……大きくなったねえ。カーティス」
「なんですか、いきなり」
「いいや、悩むのもよい。決心が着いたら教えてくれ。ただ、待てるのもそんなに長くはない」
「卒業パーティーでしょうか」
「そうだ」
卒業パーティー。カーティスの通う学校では、卒業するときにパーティーが催されるのだ。
建国パーティーには劣るものの、規模の大きいパーティーで、王家や有力貴族なども出席する。
なぜなら、それは成人を祝うパーティーでもあるからだ。学校に通わなかった者も、このパーティーには参加する。
領地に戻り家業を継ぐ者、帝都で働く者、家督を継ぐ者など、同年代のそれぞれが集まる場なのだ。
成人を迎える主役以外の出席者たちは、どこと結びつけば力を発揮できるのか成長株はどこなのかを見極めにやってくる。
そしてその場は──暗黙ではあるものの──婚約者を発表する場としても活用されているのだ。
クラウスとアイリーンの婚約発表もそのパーティーを利用する予定だと聞いている。
パートナーを伴い入場すれば、それが婚約者同士だと公表することになるのだった。
そこで公表すれば広く伝わり、卒業後に余計な縁談も舞い込まず、効率は良い。
次期辺境伯に決まったカーティスは、そのパーティーで婚約発表がなければ、大勢からの縁談が舞い込むと予想がつく。
そしてそれはマリーも同様であるはずだ。
年齢を重ねるほど結婚という文字は重くのしかかってくる。貴族でかつ女性であれば尚更である。
今は氷姫を貫き乗り切っているが、きっとこれから徐々に政略婚を企む人間たちに本気で付きまとわれることになるだろう。
公爵家の肩書きはそれほどに大きい。
「……ご忠告ありがとうございます。少し考えさせてください」
そう言ってカーティスはロイモンドの執務室を後にしたのだった。
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