第38話 婚約を申し込むよ

 カーティスの足は応接室の前で止まっていた。

 中には、マリーとアイリーン、ミアがいるはずだ。

 ドアノブに手を掛けては、離す。それを何度か繰り返した。


 たった今ロイモンドに聞いた話を、どう伝えようかカーティスは悩んでいた。

 聞いた内容をそのまま淡々と伝えればいい、それだけでいいのだが。

 自分が婚約者候補だとかすぐに婚約者になれるだとか、どうしたって平然と伝えられる気がしないのだ。


「逃げ出せればなあ……」


 ぽつりと出た言葉も、あっという間に阻まれる。

 ドアが開き、アイリーンが顔を出していた。


「カーティス様。おかえりなさいませ。お話はどうでしたか」

「……………………ああ、うん。聞いて、くれる、かな?」


 心の準備も整わないまま、あっさりと舞台は用意されてしまったのだった。




 着席し、見渡すと興味津々の面々。

 その中にマリーもいるのだから、言いにくくて仕方ない。


「……えっと、確認してきたところ、マリー嬢の話もあながち間違いでもないようだった」


 ほら言ったでしょう!とばかりに得意げなマリーに、この先を言うのは躊躇われた。

 しかしアイリーンの先を促す視線には逆らいがたいものがある。意を決して言う。


「ただ、僕とマリー嬢はまだ婚約者、ではないそうだ」

「と言いますと?」


 すかさず促すアイリーンに苦笑しつつ、心を無にして続ける。


「正確には、僕はマリー嬢の婚約者候補、ということらしい。なぜだかラインフェルト公爵は僕を気に入ってくれているようで、婚約を望んでくれているようなんだ」

「まあ!」

「そうなんですね!」


 面白がるアイリーンに、目の前で繰り広げられる貴族の婚約話に目を輝かせるミア。

 他から見れば、そりゃあ興味深いだろうなと思わなくもないけれど。

 ちらりとマリーを見れば、得意げな顔のまま固まっている。

 当事者同士、どう反応すればいいのか戸惑うばかりだ。


 ただただ面白がるアイリーンはどんどん先へと話を進めていく。


「ということは、カーティス様、いえご当主様がその婚約のお話を了承すれば、晴れて婚約者同士ということになりますでしょう?」

「…………まあ、そういうことになるんだろうね」


 目が泳ぐ。

 なんたってこんな話をマリー嬢の前で話さなければならないのか。

 呆然としているマリーに申し訳なく思いながら、カーティスは小さく息を吐く。


「父上は、僕に判断を任せると言ってくれた。……マリー嬢、僕はね、婚約できることならそうしたいと思っている。さきにも言ったと思うけど、僕は君に心を奪われていて」


 マリーを見据えて言った言葉に、ミアが小さく歓声を上げているけれど気にならない。アイリーンのにやにやする顔も、気にならないと思うことにする。

 カーティスの言葉が気に入らないのだろう、マリーが間髪置かず、きっ、と睨んだ──その姿に、微笑んだ。


「本当に大切なんだ」


 たとえ、睨まれて嫌われていても。

 それは言葉にしないけれど、カーティスはそう思うのだ。


「……だからね、僕はマリー嬢の嫌なことはしたくない、とも思っていて。僕は婚約者になりたいけど、マリー嬢が嫌なら辞退しようと考えてる」


 これがカーティスの正直な気持ちだ。だけど。


 す、とアイリーンの面白がる表情が消え、マリーの代わりに今度は彼女が睨んでくる。


「──女性のマリーさんに判断を委ねるとおっしゃるの? それは、あまりにも卑怯なのではありませんか」


 そう、ただあまりにも意気地なしの答えに違いないのだ。

 的確なアイリーンにカーティスは頷いた。


「うん。だから、少し時間をもらえないかなと思う。僕はこれからマリー嬢に好いてもらえるように頑張るつもり。そして改めて僕の方から婚約を申し込むよ。それでも、マリー嬢の気持ちが変わらないようなら、諦めようと思うんだ」


 アイリーンはカーティスとマリーを交互に見て、睨むのをやめた。

 それから、ぱっと面白がる顔に戻る。


「あら、そうでしたの。では、期限はいつまでと考えられておいでで?」


 先程の睨んだ顔はなんだったのかと思うほど、彼女の口調は淀みない。

 苦笑を隠さず、カーティスは答えた。


「……卒業パーティーの前まで、と」

「まあまあ! 婚約発表でしょうか?」

「婚約を発表するなら、そこがいいだろう? だからそれまで。それを過ぎれば僕は諦めようと思う。……潔く、はできないかもしれないけど」

「ふふ、格好つきませんわね」

「う。仕方ないじゃないか。アイリーン嬢は知っているだろうけど、マリー嬢を想っている時間は長いんだ。そう簡単に忘れられないと思うから。けど断られたらもう付き纏わないよ」


 さすがに嫌がられてまで付き纏えない。不快にはさせたくないから。

 あと半年ほど、卒業パーティーまでは、どうか許してほしい。

 それは最後の希望であり、諦めなければならないかもしれない心の準備期間でもある。


 ぽかん、とした顔で置いてけぼりを食らっているマリーへとカーティスは手を合わせた。

 格好悪いことは重々承知の上だ。


「……マリー嬢、どうかな」

「どうと、そんな急に、言われても」

「ちなみに、卒業パーティーまでは、近づいてくる人間からマリー嬢のことを守るよ。……メリットとしては、そんなに高くはないと思うけど、半年の間だけでもマリー嬢に気楽に過ごしてほしいし、僕も一緒に居られる時間が増えると嬉しいから」


 無様な願いを憐れに思ってくれたのか、間を置いてマリーは小さく頷いた。

 内心舞い踊りたいほど喜んだカーティスだったが、涼しい顔をして「ありがとう、嬉しいよ」と言うに留める。

 これ以上格好悪い姿は晒せない。時間は限られたのだ。


「これだけ、伝えに来たんだ。女性の歓談にお邪魔して悪かったね。しばらく滞在すると聞いたけど、有意義に過ごしてほしいと思う。僕もできるだけみんなと一緒にいる時間を増やせるよう頑張るけど、情けない話、なかなか思い通りに進まないことが多くてね。だけど、何か不便なことがあれば家の者に伝えてもらえればすぐに対応できると思うから。もちろん僕に言ってくれてもいい」


 カーティスの言葉には全員「お気になさらず」と返してくれる。おそらく勝手に押しかけてきている意識があるのだろう。カーティスがもてなせないことは、クラウス同様何ら問題なさそうである。だからといって、マリーもいる手前、放置はしたくないけれど。

 最後に「じゃあ、ごゆっくり」と挨拶を残し、カーティスは部屋の外に出た。

 カーティスは、ふう、と息を吐く。


「ああー、緊張した……! でも言いたい事は言ったし、マリー嬢にも断られなくてよかった。……けど! 絶対情けない男だと思われた気がする……」


 応接室から離れた後、両手で顔を隠し、そう独りごちたのだった。

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