第36話 ……婚約者。誰の?

「な、に……?」


 カーティスの戸惑いにもマリーは動じなかった。


「そんな顔をしたって意味ないわ。だから、あたしは知ってるの。貴方がたくさんの女性に優しいってこと」

「それは」

「言い訳はできないはずよ。その通りだもんね? 下心があったとかなかったとかは別にいいの。あたしも女だから、そのたくさんの女性に入るんでしょう。だから優しい言葉をかけてくれる。そうでしょ?」


 これは何かの罰だろうか。

 優しい男は好まれると聞いていた。そう思っていた。

 しかし優しい言葉をかける自分は今、一番大事な女性に突き放されている。


 そういえば以前この話題をミアにせざるを得なかったとき、ミアには『必要以上に優しくする男性は好まれるのか』と言われたなあ。

 あのときの僕は『嫌われている男よりも好かれている男の方がいいはずだ』と答えたんだ。


 ぼんやりとした記憶をカーティスは手繰り寄せた。

 答えた内容を、カーティスは誤りだとは思わない。が、優しくしたところで決して好まれるわけではないのだとようやく身に染みた。

 どんな形であれマリーの耳に届くのなら、マリーに自分の存在を知ってもらえるのなら嬉しいことだとも思っていたけれど、届いたことで嫌悪感を抱かせるのなら、知られてはいけなかったのだ。


 カーティスがマリーだからこそ掛けた言葉の数々も、行動もすべて、たくさんの女性に埋もれたただの女性の一人だからと捉えられてしまう。

 それはとても悲しい。


 けれど。

 けれど、だ。


「どうして知っているの。僕が、女性に優しいってこと」


 確かに、女性には紳士であろうとして、ご令嬢の期待に応えようとして。

 カーティスはミアの言う通り、必要以上な優しさを見せていたのかもしれない。

 けれどマリーが知っているはずがないのだ。

 マリーが入学してからのカーティスは、ほとんどマリーにばかり構っていて、他の女性と一緒にいる時間なんてものはなかったから。


 何か噂でも聞いたのかもしれない。けれど学校でのマリーは氷姫で、噂話をするような間柄にある人間はいないはずだ。

 アイリーン嬢やクラウスに聞いたのかもしれないが、この状況を面白がるのなら、今この場にいないのはおかしくて。

 わざわざマリー嬢に僕の事を伝える人間なんて、考えられない。


 カーティスの単純な疑問に、一拍置いてマリーの頬は真っ赤に染まる。


「……悪い?! 婚約者のこと、知っておいても別におかしなことではないでしょ?」


 噛みつかんばかりのセリフと形相に、カーティスはとうとう思考が一時停止した。

 真っ赤な頬と涙目の顔が可愛すぎる。

 冷静になろうと努め、ぱちくりと目を瞬かせた。ついでに今聞いたよくわからない言葉を繰り返す。


「……婚約者。誰の?」

「あたしの!」

「……だれが?」

「だから、貴方が!」

「ええ?」


 初耳である。

 ぽかんとしたカーティスにマリーはますます激しく罵りだした。


「本当に信じられない! 婚約者がいる身でありながら、他の女性にも優しくするわ、挙句の果てにはミアにまで手を出しておきながら? ぬけぬけとあたしにまで一目惚れ、って? 寝言にも程があるでしょ。頭おかしいんじゃないの」


 何か、溜まりに溜まったものがあったのだろう。

 日頃聞かない乱暴な言葉遣いにカーティスはようやく我に返り、慌てて手を挙げて遮った。

 美しい口から流れるように出てくる悪口を早く止めなければと、それは使命感に近かった。


「…………ちょ、ちょっと待って! 何か誤解があるようだから!」

「え?」

「君からすれば何を言うんだと思うかもしれないけど、初耳なんだよ! 僕が、マリー嬢の婚約者だなんて」

「はあ? あたしの思い込みだって言いたいの」

「違う! そうじゃなくて」


 これはおそらく、ロイモンドが関わっているのだろう。

 カーティスがこの家のことやロイモンドのこと、何も知らなかったのはロイモンドが教えまいとしていたからだ。

 きっとこの件も、そうなのかもしれない。頭を抱えたくなる。

 早く確認を取らなければ。


「本当に、知らないんだ」

「そんなこと言われてもあたしだって知らないわよ! お父様に聞いた話だけど、ああ、お父様が嘘つきだっていうこと? 自分の無知を人のせいにしないでくれる?」


 口の悪いマリーを落ち着かせながら、カーティスはこっそりと落ち込んでいた。

 マリー嬢が僕を婚約者だと思っていたのなら、自分の女性に対する行動は褒められたものではないだろうし、婚約者を差し置き女性を伴ってのパーティー参加はタブーだし、しかも連れているのは親友のミアで。僕はとんでもない男ではないか。

 これではマリーが睨むのも当然で、冷たい視線も甘んじて受けなければならない。


 しかし、そんな落ち込んだ頭でも、思ってしまうのだ。


「ねえ、マリー嬢」

「何よ」

「どんな事情にしろ、僕のこと少しでも気に留めていてくれて嬉しいな」

「だから、そういうところが!」


 女性の前で声を上げて笑うのは、本当に久しぶりの事だ。

 紳士は、常に穏やかで爽やかな笑顔を浮かべて女性にはとびきり優しくて。

 紳士の真似事を剥いだカーティスは、心が軽くなった気がした。


 それから少しして部屋に戻ってきたアイリーンとミアに、マリーを託して、カーティスは即座にロイモンドの元へと直行するのだった。

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