第35話 一目惚れなんだ

 一つ息を吐いて、沈黙を回避するようにカーティスは口を開く。


「マリー嬢と話せる機会をもらえるなんて嬉しいな。ああ、アイリーン嬢には感謝しないといけないかな」

「な、ん」

「そうだ。アイリーン嬢が言っていたけど、僕に何か話したいことがあるんだって? 何でも聞くし、何でも答えるよ。他でもないマリー嬢だし」


 カーティスは、さあどうぞと言わんばかりに両手を広げて見せた。

 知られて困ることはないし、自分の事を知ってもらうチャンスでもある。

 爽やかに微笑むカーティスに、一瞬戸惑った顔をしたもののマリーは溜息一つ落として抗うことを諦めていた。


「……じゃあ、聞くけど」

「うん」

「ミアのことは、どう思ってるの」


 予想外の質問だった。質問の意図は──おそらくミアの事を案じて、というところだろうか。

 カーティスは微笑んだ顔を崩さないまま、答える。


「ミア? そうだね。とても優秀で魅力的な友人だと思っているよ」

「──友人。本当に?」


 マリーは疑うような視線を寄越す。

 そしてそれは当然の反応だとカーティスは思う。

 なぜなら、ミアは平民であり、カーティスは貴族だからだ。貴族が平民に対し、「友人」と呼ぶのはそれほどに珍しい。


「ああ、本当だよ。マリー嬢もミアとは友人、なんでしょう? 僕が友人と呼ぶのもそんなにおかしいことではないと思うけど」


 簡単に信じられないのも仕方のないことかもしれない。なんせ、僕はマリー嬢とお近づきになりたい不審者であるようだから。

 マリーの警戒を解くためには一つずつ誠実に対応していかなければならないのだ。


 しかしカーティスの言葉にマリーは首を傾げた。ついでに眉も寄せている。

 返答を間違えただろうか、とカーティスは内心焦ったが笑顔は崩さない。


「──じゃなくて。前のパーティーのとき、ミアをエスコートしてたでしょ」

「ああ! そうエスコートさせてもらったね。友人のマリー嬢に伝えるのは気が引けるんだけど、あの時は少し厄介なことになっててね。僕のせいでミアが悪目立ちしてしまったものだから、ミアに余計なちょっかいを出されないようにああやって紹介したんだ。彼女は僕の領で働く予定の大事な人です、って」

「……友人、として?」

「ん? そうだね。友人として、卒業後の彼女を預かる立場として、というところかな」


 マリーは「そう」とだけ呟いて、黙り込む。話したいことというのはミアのことであったようだ。

 口を塞いでしまった彼女に、カーティスは声を掛ける。気まずくなってしまうのは避けたかった。

 当たり障りのない天気の話や授業の話を口にしつつ、カーティスは覚悟を決めていた。

 雰囲気は良くはない。けれど間違いなく二人きりで、これからもこんな機会が訪れる可能性があるとは限らないのだ。

 コリンナにも激励された。カーティスは一歩踏み込むことにした。


「あの、マリー嬢。僕も言いたいことがあるんだけど、いいかな」


 マリーの紅い瞳は昔も今もずっと変わらず綺麗だ。

 見つめて、言う。


「以前、氷姫に近づいてきた人間だと僕の事をそう言っていたけど、それを改めてもらえないかなと思っているんだ」

「はあ?」

「……マリー嬢も覚えているようだけど、この屋敷に幼い頃来てくれたことがあったでしょう」

「そうね」

「…………その時に、実は、マリー嬢の事を一目で気に入ってしまって、いて」


 途切れ途切れに話す自分のなんと格好悪いことだろうか。

 マリーの整った眉が寄る。でも話し出してしまったからには止められない。


「……一目惚れなんだ」

「、っ」


 動揺したように見えるマリーをカーティスは意外に思い、けれど口は閉じない。

 話す機会を得た言葉が溢れ、閉じられない。


「言葉通り、目を奪われた。あの時、僕は嫌々ながらあの場に居て。だけどマリー嬢を見て、綺麗さっぱりとそんな気持ちはなくなったんだ。恥ずかしい話だけど、父上たちの話なんて全然入ってきていなかった。それほどにマリー嬢は可愛くて」

「…………」


 反応のないマリーに少し冷静になり、咳ばらいをする。


「っ、それでその時期というのが、ちょうど僕がいろいろなことにやる気を失っていた頃でね。マリー嬢と出会えたおかげで、奮起できたというか……立ち直ることができたんだ。本当に感謝している」


 嘘ではないが、打算。

 少しでもマリーに気に入られようとしている自分に苦笑する。


「だから、恩人。マリー嬢のことはとても素敵な女性だと思っているし、身勝手なことだとは思うけど心の支えにもさせてもらっていて。本当に大事な、大切な人なんだ」


 真摯に、言葉に心を込める。

 少しでもマリーに響くように。


「だから決して、公爵家に目が眩んだなんてことはないし、利用しようとか危害を加えようとか考えたこともないんだ。……すぐに信じてくれるとは思っていないけど、いつか信じてほしいとは思っている。僕の気持ちは知っておいてほしいと思ってね」

「…………あたしの素を知ったのに?」


 そう言ってマリーは顔を伏せた。

 マリーの小さな疑問はカーティスには全く問題にならない。

 氷姫のマリーも、そうじゃないマリーも、カーティスはどちらも愛おしい。


「話し方くらいでこの気持ちは変わらないよ。もちろん最初は驚いたけどね。元々ちゃんと話したこともなかったからかな、今の話し方のときは表情がくるくると変わって可愛らしいと思うし、氷姫のときは凛としていて格好いいし。どんなマリー嬢でも、マリー嬢であることには変わりないから」


 むしろいろんな姿を見られて嬉しいくらいである。

 元々は会えることもままならなかった。それが同じ学校に通えているだけでも奇跡なのだ。

 しかも今は自分の屋敷で、部屋には二人きり。目の前にいるマリーを見つめるカーティスの瞳はとても穏やかだ。

 好きな人と過ごせる時間が幸せで、これまで言えなかった言葉を伝えられたことがとても嬉しい。


 マリーは小刻みに震え、数秒後、勢いよく顔を上げた。

 その頬は赤く染まり、瞳は涙で微かに揺れている。

 それはカーティスが目にする初めての表情で。


「──そんなことを言われて、あたしが本気にするとでも思っているの?」


 氷姫ではないマリーに鋭く睨まれたのは初めてだった。


 顔が強張っていたとしても責めないでほしい。

 どちらかと言えば呆れられるかと思っていたのに、まさか睨まれるとは思っていなかったから。


「そんな見せかけの優しさなんて、いらないんだけど」


 目は鋭いままだ。

 久しぶりの拒絶に、カーティスの心は痛む。


「見せかけだなんて! 本心だよ……!」

「あたしの、今の姿が、そうそう貴族社会に受け入れられるものだとは思ってないし、何より貴方の言葉はつくりものでしょ?」


 あたしと一緒よ、とマリーは言う。


「え? なに……?」


 マリー嬢の言う、意味がわからない。

 つくりものなんかじゃない。僕はずっとマリー嬢を想って。


 本気で首を傾げるカーティスに、マリーは口の端だけを上げて笑う。

 口だけが笑うその顔は、いっそう冷たい。


「知ってるわ。貴方は誰にでも優しいってこと」


 マリーの目には諦めた色が浮かんでいた。

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