第34話 きてくれるなんて思ってもみなかったから

 ぶつけた太腿を押さえながら、瞬きを繰り返した。

 マリーの姿は消えない。

 どうやら幻覚ではないようだ。


「え? あ! マ、マリー嬢……?」


 淡いピンク色のドレス姿は六年前の初めて会った日を思い出す。


「どう、したの。こんな、ところにまで」


 ぎこちなく紡ぐカーティスにマリーは腕を組んで顎を上げた。


「ああ。迷惑だった? アイリーンさんにどうしてもと誘われてきたんだけど」

「まさか! とても嬉しい! まさかマリー嬢がきてくれるなんて思ってもみなかったから、その、驚いて」


 マリーにはいつも情けない姿を見せている気がするのは、気のせいではないだろう。


「でもどうしてきてくれる気になったの?」


 自分に取り入ろうとしている人間の領地をわざわざ訪れるなんて。

 カーティスには取り入ろうとしているつもりはさらさらないが、マリーの警戒心からそう捉えられていると感じていた。

 小さく首を傾げたカーティスに、アイリーンがパンと手を打った。


「まあまあ、せっかく私たちがカーティス様を心配して訪れたのです。お茶の一つでも出していただけませんか」

「あ! っと、すまないな。今準備させる。気が回らず申し訳なかった。ようこそ、リーヴェル領へ。応接間へ案内するよ。ついてきてくれるかな」

「お勉強はいいのかしら」

「……アイリーン嬢。せっかく訪れてくれた女性を差し置いてまですることではないよ」

「さすがご当主様の教育の賜ですわね。わかっておられますわ」


 ほほほ、と笑うアイリーンににこりと口端を上げた。

 女性三人を引き連れて、応接間へと移動した。

 途中、飾られた絵画や施された彫刻をそれとなく紹介することも忘れない。

 少ない移動時間だとしてもつまらない思いをさせるわけにはいかないのだ。

 そうして四人は応接間に着く。

 テーブルの上には焼き菓子が並び、ティーカップの準備もされていた。

 カーティスが屋敷内を案内している間に用意してくれたのだろう。ゆっくり周った甲斐があった。部屋の端に控えるコリンナへ、ありがとうの意を込めて目配せした。


「そうそう、私とミア、ご当主様にご挨拶したいのだけれど。よろしいかしら」

「ああ、大丈夫だと思う。……コリンナ、確認してくれる?」

「はい。かしこまりました」


 ロイモンドの予定と意向を確認するため、コリンナは出て行った。

 着席し、同じテーブルにマリーがいることに幸せを感じる。一緒にお茶を飲む、そんな日がくるなんて。


「ここまで遠かったでしょう。疲れていない?」

「私は大丈夫よ。ミアはどう?」

「……そうですね。正直、思っていたよりも遠くて驚きました。でも卒業後にはここで働けるのかと思うと、何もかもが新鮮で楽しくてわくわくしました。遠い道のりすら楽しかったです」

「そっか。それならよかった。……マリー嬢は……?」


 黙ってお茶を飲むマリーにもおそるおそる声を掛けた。

 意外にも返事はすぐに返ってくる。


「あたしも、大丈夫だったわ。一度訪れたことがあったし、とくに不便も感じなかった」


 氷姫ではないマリーに、カーティスは思わずへらりと笑う。


「今日はそっちなんだね?」

「っ、ここにいるみんなはあたしのこれを知ってるのに、わざわざ氷姫をする必要がないでしょ」

「それはそうだけど。いつも普通に話したらいいのに」

「そんな簡単に」


 マリーが氷姫になる理由は、擦り寄ってくる人間の相手が面倒だというものだった。

 そんな人間が寄ってこなくなればマリーはこんな風に話せるようになるのではないだろうか。


「……僕が、そばで追い払ってあげようか?」

「は?!」


 大袈裟に驚くマリーに、カーティスも驚いて、思わずアイリーンとミアを見る。

 アイリーンはにやにやとこちらを眺め、ミアは目を合わせないように斜め上に目線をやっている。

 ああ、これは何かやらかしたやつだ。


「ええと? 失言だったかな。寄ってくる人間がいなくなればマリー嬢がどこでも気楽に話せるんじゃないかと思ったんだけど」

「……貴方にしてもらうことではないでしょ?」

「そうかな。僕がしたいと思ったから、ではいけない?」


 こんな風に話すのは初めてだ。自分の言葉に反応して返事をしてくれて表情も豊かで。

 こんなマリーをどこでも見られるのなら、なんだってできる気がする。

 しかも常にそばに、だなんて役得でしかない。


 期待を込めて微笑み続けるが、マリーは顔を背けてしまった。


「アイリーンさん! なんなんですか、この人!」

「そうは言われてもねえ、こんな男なのよ、困ったことに」


 言葉とは裏腹に、アイリーンの顔は面白がる表情だ。

 ミアは困ったように眉を下げている。

 僕の行動は困るものの類なのか。少し落ち込むカーティスである。




 そこへコリンナが戻ってきた。ロイモンドから了承を得られたということだった。

 ロイモンドのところまで案内しようとカーティスは腰を浮かした。


「ああ、カーティス様。私とミアで行って参りますわ。少し、個人的なお話もしたいですし。マリーさんとお話、されてらして?」

「え?」

「ちょっ! アイリーンさん!」

「ちょうどよいではありませんか。マリーさんもお話したいことがあるのでしょう? もちろんカーティス様もでしょうし? 少し、お二人でお話されてはいかが?」


 そう言ってアイリーンはさっさと席を立つ。

 ミアもまたそれに倣った。何も言わないところを見ると元々そういう手筈だったのだろう。

 アイリーンの手のひらの上というのは面白くないが、ありがたい状況だった。カーティスは乗っかることに決めた。


「そう? じゃあコリンナ、案内をお願いできるかな」

「はい。……アイリーン様、ミア様、こちらでございます」


 部屋を出るコリンナと目が合って、「がんばれ」が伝わってくる。カーティスはわずかに口を上げてそれに応え、出ていく三人を見送った。

 応接間にはカーティスとマリーの二人だけである。

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