第33話 何の前触れもなく!?

 昼過ぎまでは、特になんてことのない日だった。

 起床して、朝の支度を終えて、簡単に朝食をとり、机に向かう。

 覚えることは山ほどあり、覚えなければならないことは段階を踏むにつれ高度になっている。

 ようやく、実際にロイモンドがやっている政務処理を手伝うこともできるようになり、やることは日を追うごとに増えていた。


 一度フランツとクラウスが揃って顔を見せたが、すぐに出て行った。おそらく時間を取らせまいとする心遣いなのだろう。

 騎士見習いという立場に近いが、クラウスはれっきとした客人である。それにもかかわらずカーティスはほとんど相手をできていない。

 申し訳なさに詫びたこともあったが、クラウス自身、「俺が勝手に来ただけだから」と全く気にしていないようだった。確かにクラウスの言い分では、カーティスではなく、どちらかといえばフランツの客人なのかもしれない。


 なんにせよ一人黙々と、時々ロイモンドに指示を仰ぎつつ、勉学に精を出していた。

 だからすっかりと頭から抜け落ちていた。

 そろそろアイリーンが到着する頃だということを。


「お久しぶりですね、カーティス様。お元気そうで何より」


 そう言ってコンコンと扉を叩くアイリーンの姿に、カーティスは思わず声を上げた。


「え?! アイリーン嬢?! なんでここに! というか一週間後とか言ってなかったか、クラウス。いやもう一週間経ったのか。だけど何の前触れもなく!?」

「うふふ、秘密にしていただいた甲斐がありましたわ。カーティス様の本気で驚く顔は珍しいものですから」


 なんで誰も僕に教えてくれないのか。クラウスといいアイリーンといい、僕のクラスメイトなんだから、そろそろ来るなり到着したなり教えてくれたっていいと思う。

 驚いてしまった自分を隠すように顔をしかめ、屋敷の使用人たちへと文句を零す。


「まあまあ、愛されている証拠でしょうね。羨ましいですわ。カーティス様にサプライズがしたいと言えば皆様快くご協力いただけましたから」

「そ、そうかな……」

「ええ! ええ! そうよ。ああ、次期リーヴェル辺境伯、おめでとうございます。クラウスは心配していたようですが、私は何も問題ないと思っておりました。さすがご当主様、きっとカーティス様のことを考えられていたのでしょう」


 ロイモンドと話した内容をアイリーンは知らないはずだが、あっさりと真実に近い言葉を口にする。本当に恐ろしい。


「はあ、アイリーン嬢。ようこそ、はるばるリーヴェル領まで。……父上が目的で?」

「あら。カーティス様もすげないですわね。カーティス様を心配して、と仰っていただきたかったわ。もちろんご当主様がメインではありますけれど」

「あーうん、そこら辺は僕もよく理解しているつもりだよ。クラウスとはもう会った?」

「いいえ? どうせフランツ様と楽しくやっているでしょうから、そちらは心配しておりませんの」

「婚約者なのに?」

「ええ、婚約者なのに、です」


 微笑みを崩さないままアイリーンは言う。いまいち本音なのか疑わしいところではある。

 が、考える隙を与えないのが彼女だ。


「私、カーティス様を心配して、と申しましたでしょう?」

「あ、うん」


 素敵に華麗にウィンクをしたアイリーンに、尻込みしてしまうのも仕方ないだろう。

 どう見ても何か企んでいる顔だ。

 持っていたペンをそっと机に置く。インクを零さないよう蓋も閉めた。


「……それが何か?」

「ふふ、お土産、よ」


 お一人では寂しいかなと思いまして、という言葉と共に思いもよらない人物が入室してきた。

 目線を合わせるため、視線をすっと下ろす。


「え、ミア?!」

「カーティス様! お久しぶりですね。お元気でしたか? 私もこちらで働かせていただく予定ですので、見学させていただきに参りました。辺境伯様にも直接お礼を伝えたいですし」

「それはもちろん、ミアなら大歓迎だけど。……母君は?」


 ミアには病気の母がいる。母を一人残してこちらにくるなど考えられないことのはずだ。

 就職の条件にも母は重大な要素だった。

 ミアは手を合わせて笑う。


「母は校長先生に時々様子を見てもらえることになりました。少しの間だけですし、校長先生も快く引き受けてくださいました」


 あの校長が善意だけで動くとは考えられなかったが、ミアの心配事が少ないのならいいかと目を瞑ることにした。


「まさかミアが来てくれるなんて思ってなかったから、驚いた。すごく嬉しいかも。その服は……」

「アイリーンさんにいただいてしまいました。小さい頃のお洋服だそうで、私にも似合うように手直しもしていただいたのです」

「へえ、いいね。よく似合ってる」


 カーティスの屋敷に訪れるのに、町での格好をするわけにいかなかったのだろうと想像できる。

 さすがに制服はアイリーンに止められ、おそらくいいように飾られた。

 飾られたミアはとても可愛らしい。


「ふふふ、カーティス様、こちらを見ても、同じことを言えますの?」


 扇子を片手に指し示すのは、ミアが入室した後の扉。

 首を傾げたカーティスに、アイリーンは口端を上げ、ミアも笑う。


「カーティス様は、私に感謝してもしきれないと思いますわ」


 アイリーンの言う、その通りだった。

 思わず立ち上がって、インクの瓶を倒す。蓋を閉めた自分を内心褒めながら、瓶を戻した。


 そろりと顔を上げた先には、見間違えの無い、見慣れない私服姿のマリー嬢がいた。

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