第30話 どうして僕は父上じゃないのか、と

 呆然と動かなくなったカーティスを、ロイモンドは急かすことはしなかった。

 それが良かったのかもしれない。カーティスは驚きと戸惑いと少しの羞恥をなんとか押し留めることができた。

 混乱の続く頭で口を開く。


「……ご、存知で……?」


 父上が知っているはずがない。だって僕に興味がなかったはずだ。

 そう言い聞かせるも、先の問いはどう聞いても確信を持ったそれ。

 誰かから聞いたのかとも思ったが、カーティスは誰にも言ったことはない。

 つまりはカーティスの様子を見て、気づかれていたということだ。それはロイモンドではない誰かかもしれないしロイモンド本人かもしれない。しかしそれが誰であろうと知られたくはなかった。醜い心の中なんて。


「ああ。お前が私のようになりたくないのもね」

「それは、」


 言い訳のしようもなかった。

 紛れもなくそれは事実で、自分の行動を正当化できる理由だった。

 父上はこれを知っていたから、僕を跡継ぎとして扱わなかったのか──。


 ロイモンドは手を組んで机に肘を置く。


「……それから、ソフィを蔑ろにした私をお前が憎んでいるだろうことも」


 何の冗談かと思った。

 それにしてはロイモンドは真顔で、ひと時も視線は外れなかった。

 まさか父上が、そんなことを気にするなんて。


「まさか、ソフィが死ぬなんて思わなかった。いつも通り元気に送り出してくれたからね。それが帰ってきてみればソフィは息をしていない。あのときの私にその事実は受け入れられなかった。……それが、ソフィの死後、お前のことを考えず淡々と仕事をしてもいい理由にはならないだろうがね」


 ロイモンドは盛大な葬式も挙げず通常の業務を再開したことを言っているのか。

 しかしそれはそもそも根本が違うのだ。


「僕は、父上が母上を蔑ろにしたとは思っていません」


 ロイモンドの眼が訝しげに細められた。


 確かにソフィが死んだ後、カーティスはロイモンドに対し怒っていた。

 けれどそれは蔑ろにしたからという理由ではなく──。


「当時本当に憎く思ったのは、自分に対してというか……寝込んだ母上が呼んだのは、僕ではなく、その場にいない父上だったから。今だから言えますがあれは八つ当たりに近いモノで」


 カーティスがこの話をするのは初めてだった。

 自分からわざわざ情けないところを晒すつもりもなかったし、早くに母を失ったカーティスに気を遣ったのだろう深く聞いてくる者もいなかった。


「僕では母上のことを助けてあげられないのだと幼いながらに悔しく思い、けれど母上が求める父上はその場におられず」


 医者も呼んだ。看病もした。屋敷の使用人も手を尽くしていた。

 それでも衰弱していくソフィに、幼いカーティスができることはなかった。

 風邪がうつらないよう近づくなと言われていたが、使用人の目を盗み、そばに駆け寄って声を掛けるだけ。

 あの虚脱感は忘れられない。


「……どうして。どうして僕は父上じゃないのか、と──」


 そこまで言って、カーティスは息が止まる。

 長い間見ぬふりをしてきたのかもしれない事実に、気づいてしまった。

 ああ、僕は、父上のようになりたかったのだ。


 ならなければならない、と誰かに強要されるのではなく。

 なれないかもしれない、と出してもいない結果に怯えるのではなく。

 自分自身が、皆に頼られる有能な父上のように、母上に求められる父上のように、なりたかったのだ。


 それを、まさか本人の前で気づくなんて。


 照れくさいような居心地の悪いような気分を味わいながら、カーティスはロイモンドを見据える。

 内心驚いてはいるものの、気分は良かった。


「とにかく僕は父上を恨んでもいませんし、憎んでもいません。辺境伯の仕事も、理解しているつもりです」


 辺境伯は、国境の警備を任されている。

 屋敷から離れた国境を見回りに行くこともあれば、その実力のために他の領へ派遣されることもある。毎度領主自ら行う必要はないが、特に初めての土地であればロイモンドは出向くようにしているのをカーティスは知っていた。出向く回数が減るように、他領へ赴いたときには戦い方の指導をしていることも知っている。

 ソフィのことはタイミングこそ悪かったが、どうしようもなかったのだ。

 もう少し喪に服しても良かっただろうとは思うけれど、ロイモンドが哀しみを紛らわす手段として仕事をしていたのなら、これもまた仕方のないことだったのだろう。


 カーティスにそっくりな、けれど年季を感じさせる藍色の瞳の持ち主は、「そうか」とただそれだけを言い、顔を手のひらで覆った。

 ソフィが死んでから十年。その間ロイモンドもまた人知れず悩んでいたのかもしれない。

 そう思うと今までのロイモンドとの素っ気ないやりとりも人間味が感じられるような気がした。


 しばらく動かなかったロイモンドだが、おもむろに口を開く。


「……別にお前が嫌だと言うのなら、私の跡など継がなくて構わない。私はこの辺境伯の地位に血筋は関係ないと思っているからね。多少不満が出るだろうが、フランツに任せてもいいとも思っているし。彼にはその実力があるだろう。ただ、お前が本気で跡を継ごうと考えているのなら……私は止めないが、勧めはしない」


 ロイモンドの「止めない」という言葉に少し嬉しくなって、カーティスは掠れる声で「なぜ」と問う。

 辺境伯の地位に就くこと自体は問題ではないようなのに、何がひっかかるのか。

 その思いに気づいたようにロイモンドは軽く頷いて話し始めた。


「私は今のお前の頃には辺境伯の地位に就いていた。私の父──お前の祖父だね。当時辺境伯だった父が亡くなったことで否応なしに継がされたのだが……今考えても決して楽しいものではなかった。自分で望んだ地位でもなく、自分のやりたいこともできず、ただ領のために、と」


 嘘ではないだろう、真剣な表情だ。

 けれど抑揚のない口調のロイモンドは、すっかりと『リーヴェル辺境伯』に馴染んでいる。

 自分で望まないものを継がされ、ここまで馴染むのにどれだけの年月が必要だったのか。


「やめたいとは思わなかったが、勧めたいとは思わない。まして自分の一人息子に」


 そうしてカーティスを見る表情は、まるで子を想う父親であるかのように。

 それをカーティスが見るのは、ソフィがいなくなってから初めてだった。


「それに、お前もいつか妻を娶るだろう。それが誰かはまだわからないが、その女性が、ソフィのようにならないとも限らない。お前がこの地位に就けば、私のようにこの地を長期間離れることもあり得るのだ。……それにお前は耐えられるかい」


 私が不在の間にソフィの死を目の当たりにしたお前に、私と同じことができるかい。

 その一言で、カーティスは十年前へと気持ちが遡る。

 あのときの僕は、何もできず、母上が弱る様子を見守るだけで。頼れるはずの父上は遠い地にいて、心細くて。


「もう一度聞こう。カーティス、本当に、私の跡を継ぐつもりはあるかい?」


 カーティスはようやく、自分に逃げ道を残しておいてくれたロイモンドの、わかりにくい優しさを知ったのだった。

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