第29話 何か、お話があるとか?
次の日。
朝の準備を終えたカーティスは、ロイモンドの執務室の前にいた。
本当に、この場所は嫌いなんだけど。
幼い頃に、ロイモンドとフランツとの後継者の話を立ち聞いて以降、ロイモンドの執務室は苦手な場所となっていた。
それ以外の場所ではロイモンドとも会話をする。食事のときも出かけるときも決して無言ではない。和気あいあいとまではいかないが、穏やかな時間を過ごせている。
けれどここ執務室だけは、違うのだ。ロイモンドも仕事をするための部屋として使用しており、本人もそのように扱っている。
つまりここに呼ばれた理由は、そういうことなのだ。
これから始まるであろう重苦しい話題に内心溜息を吐きながら、一声かけて入室した。
「ああ、カーティスお帰り」
「はい昨日戻りました。何か、お話があるとか?」
会話を進めようとするカーティスにロイモンドは苦笑した。
「まあね。急ぎで呼び寄せてすまないとは思うが、その前にいくつか確認したいことがあってね」
柔和であるはずの笑みにカーティスは強張る。
フランツを学校へ寄越してまで急ぎで呼び寄せるほどの確認とは何だろうか。
「まあ、なんだ。……お前が学校で女生徒を追い回していると聞いたんだが、本当かい」
「は、」
予想外の話題で思考が固まった。
追い回しているとは酷い言われようだが、カーティスが執着している女生徒と言えば思い当たる人物は一人しかいない。
マリーのことだろう。
ちらりとロイモンドの顔を窺うも真剣で、茶化しているわけではなさそうだ。何が目的かと目を細めた。
「……学校に通う間、私から離れて好きなことをするというのもいいと思っていた。だからお前が学校に行くというのも止めなかった。お前が言う平民の暮らしを見ることも王都がどんなところなのか知ることも、これからのお前にとって大事なことだろうと思ってね。……貴族相手ではなかなか不都合があるとは思うが、女性と交流を持つのも、いいだろうとは思っていた、のだが」
「何か父上に問題でも?」
マリーに近づくことで問題を引き起こしたとでも言うのか。ますます目に力を込めたカーティスに、ロイモンドは一つ息を吐いた。
「そう凄むな。その様子だと本当だということで構わないね。まあ彼が嘘を吐くとは思えないけれど。……その女性というのは、マリー・ラインフェルト嬢なんだろう?」
そこまで知られていて、否定することはできない。頷いて肯定した。
「それが問題だ」
「っ、」
「お前には昔紹介したことがあるだろうが、彼女は、公爵家の人間だ」
名家の人間だから、近づくなということだろうか。
確かに遊ぶだけであるならその方が問題は少ない。正確には、多少何か問題があったとしても、問題にならない。辺境伯家に力で勝てる家はごく少数だから、事が大きくならないのだ。
公爵家はその少数に値する。生半可な気持ちで近づけば痛い目を見るかもしれない。何らかの問題が起きた時、対処ができるのか、とそれをロイモンドは心配しているのか。
「はい。それは知っています。けれど、」
言い募るカーティスをロイモンドは手を挙げて制す。
カーティスの言いたいことなどお見通しのように続ける。
「それで、だ。もし彼女の事をお前が気に入り、今後本気で婚姻を結ぼうと考えるのなら。ああ、少しでもそう考える可能性があるなら、か」
ロイモンドの藍の瞳が睫毛で陰り、その後それはカーティスを見据えた。
「お前は必ず辺境伯の地位に就かなければならない」
真っ直ぐな視線にたじろぐも、カーティスは小さく首を捻った。
途中からロイモンドの言いたいことがわからなくなってきていた。
マリーに近づくなという話かと思えば、ロイモンドの口からマリーとの婚姻の話まで出て。しかも辺境伯にならなければならない?
そもそも自分を跡継ぎとして扱わないのは、ロイモンドだ。
「……っ……、僕は、跡を継ぎたいと、以前お伝えしたと思いますが」
ロイモンドは机上で手を組んだまま、大きく頷く。
「ああ、確かに聞いた。しかし、
それは心底疑っている問いであった。
以前、跡を継ぎたいと誠心誠意伝えたつもりだった。しかしそれは一つもロイモンドの心には届いていなかったということだ。
それともロイモンドに認められず辺境伯を継げないカーティスでは、公爵家とは釣り合いが取れないという意味なのか。
なかなか答えないカーティスに、ロイモンドは再度溜息を落とした。
「……お前は、嫌いだっただろう、ここが」
人差し指で机をコツコツと鳴らす。それは辺境伯の座を指していた。
「だから剣も勉強もしなかった。そうだろう?」
「……!」
ロイモンドにそっくりな顔で、カーティスは目を見開いた。気づかれていたことも驚いたが、覚えられていたことにも驚いた。
父上は自分のことなど興味がないと思っていたのに。
剣も勉強もしなかったのは幼い頃の話だ。そして、その時は確かにカーティスはロイモンドの跡を継ぎたくなかったのだ。
◇◇◇
昔から父上にそっくりだと言われ続けていた。
「坊ちゃまもいずれはロイモンド様のようになるんですよ」
みんなが口々に言うそれは、まるで呪いの言葉のようだった。
立派なロイモンドを褒め称え、それを倣うようカーティスへ促す。
僕は父上のようにならなければならず、剣も勉強もがんばらなければ、父上のようになれない。
そう思って励んだ時もあった。
しかし、剣も勉強も決して簡単にこなせるものではなかったから、カーティスは不安になったのだ。
もし、剣も勉強もがんばって、それでも父上のような結果が出せなければ、僕はどうすればいいんだろう。
がんばったら、父上のようにならなければならないのに。
それから少しずつ、色々なことを面倒がるようになった。家庭教師からは逃げ、剣の稽古はフランツを揶揄い紛らわせた。大人たちの目を盗んでは木の下で昼寝をするのが好きだった。
決定打は、母上の死だったと思う。
元気だった母のソフィは、本当に急に、唐突に、風邪をこじらせ倒れたのだ。
それはロイモンドが王家からの命を受け、遠征に行っているときのことだった。
帰ってきてからのロイモンドは表情一つ変えず、その事実を受け止めた。
一日、たった一日だ。ロイモンドがソフィの為だけに費やした時間は。丸一日、もう二度と目を開けることのないソフィが眠る部屋に篭り、次の日からは淡々と業務をこなし始めた。
ロイモンドがソフィを気に入り一緒になったと聞いていたにも関わらずだ。
カーティスの記憶にある限り、ロイモンドとソフィは仲の良い両親であった。二人が一緒にいる時間は少ないにしろ、その間の二人は常に穏やかに微笑んでいて、お互いを想い合っているようにカーティスには見えていた。
だから、ロイモンドの対応には悲しくなった。
当然のことながら、カーティスはしばらく母ソフィを失ったことに泣きじゃくった。長期間屋敷を空けることが多かったロイモンドよりもソフィと過ごす時間の方が長かったのだから仕方のないことだ。
ずっと泣いて、そばに居なかった父を心の中で罵り、何もできない子供の自分を責めて。
大好きな人を屋敷に置いたまま長期間離れなければならない父上のようにはなりたくないと思ったのだ。
月日が経ちソフィのいない世界に慣れ始めても、カーティスは変わらなかった。
授業をサボり、剣を嫌がり、ロイモンドのようになれないかもしれない自分が露見しないように。
──これはロイモンドのようにならないためだと正当化して。
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