第28話 戻ってくるつもりは一つもなかったんだけどな
「お早いお帰りですね」
お団子頭のメイドが笑顔で出迎えてくれた。コリンナだ。
彼女の顔を見れば、屋敷へと戻ってきたという実感が沸く。
「いや、僕はこんなに早く戻ってくるつもりは一つもなかったんだけどな。……父上が呼んでいるんだろう?」
「ええ、フランツ様からお聞きになりましたか」
「ああ。フランツがぼやいてた……。父上と離れていたくないからって一刻も早く用を済ませて戻ってこい、だって。何の用なのかも僕はまだ聞いてないのにさ」
「あらまあ! フランツ様らしいですね」
少し目を伏せたコリンナをカーティスは見逃さなかった。
「はは、少し寂しいんだろう、コリンナ。フランツがいなくて」
「ふあっ!?」
予想通りの赤面にカーティスの旅の疲れも少し癒された。
コリンナは長年フランツを慕っている。
それが尊敬なのか恋なのかはっきりとカーティスに言ってくれたことはないが、恋に違いないと踏んでいる。
いや正確には、恋であってほしい、か。
カーティスはマリーに出会ってから、コリンナによく話を聞いてもらっていた。
いかにマリーが可愛かったのか、マリーに会うためにどうすればいいのか、はたまたどうすれば女性に好かれるのか。
そんな話をしていたものだから、コリンナもまたフランツのこういうところが素敵だとか今日フランツはこんなことをしてくれたなど話してくれるようになった。
恋愛における相談相手。そういう位置づけにしておきたい。だから恋であってほしいと願う。
振り向いてもらえるように頑張っている人間が身近にいるのは、心の拠り所になる。もちろん傷の舐め合いにならないようには気を付けないといけないが。
「っ、そういう坊ちゃまはマリー嬢と出会えましたか?」
「坊ちゃまはやめてくれって。そう! 聞いてよコリンナ。会えたんだよ、学校で! マリーが今年入学してきてね」
「それはそれはさぞかし楽しい学校生活を送られていたようですね? 早めの帰省が残念だったのではございませんか?」
少しばかり棘のある物言いのコリンナに、カーティスはがくりと肩を落とした。
コリンナの言う通り、残念すぎる。なんだってこういつもタイミングが悪いのか。マリーとの話はいつも途中で邪魔が入るような気がする。
目に見えて落ち込むカーティスにコリンナは慌てた。
「え? そ、そんなにでしたか? お屋敷だって楽しいこともありますよ? お菓子もお好きなものをご用意いたしますし、食事も腕を振るうように伝えてきますし! 私が言わなくても料理長は重々承知のことと思いますが」
「……はああ」
「ああ! あとで剣の訓練場を使われますか? 騎士団長へお相手をするように伝えてきましょうか?」
「…………いい」
「でしたら、久しぶりに町へは……」
「…………ちょっとそれは惹かれるけど。でも今はいいかな」
「ええと、私も、フランツ様に『カーティスが好きなんだろう』なんて言われてしまいまして、落ち込んだりしましたし、」
「っ、はあっ?!」
カーティスは一瞬で顔を上げた。復活だ。
とんでもないことを聞いた気がする。
「え? 何、フランツのやつ、コリンナに向かって僕が好きなんだろう、って?」
「……元気になりましたね、坊ちゃま」
「そんなことはどうでもいい。何考えてるんだフランツ!」
「まあ仕方のないことでしょう。確かに一瞬何を仰るのかと慌ててしまいましたが、私はカーティス様を第一に考えなければならない立場ですし。恋愛感情ありきで仕事をしていると思われるのは少々癪ではありますけれど、カーティス様を優先できているということであれば、きちんと仕事を評価されているようで嬉しくもあります」
仕事のときの穏やかな笑みで言われれば、強く否定もできない。
小さく尋ねるだけに留めた。
「それでいいの? コリンナは」
「いいも何も。これ以上を望むことは私にはできませんよ」
本人が望まないことをカーティスには無理強いはできない、「わかった」とだけ返した。いつかコリンナが望むようなことがあれば必ず叶えてやりたいとカーティスは思う。一途に想う相手がいる仲間として。
コリンナはこの話はおしまいとばかりに手を打って、話題を変えた。
「……そうそう、ロイモンド様からご伝言で、今日はしっかりと休むようにとのことです。長旅の疲れもありますでしょうし、明日の朝、執務室へ来るようにと仰せつかっております」
「明日?」
「はい、必ず今日は休息をしっかりと取るように、と念押しされておいででした」
「今日はもう父上とは顔を合わせないということ?」
「おそらくは。近頃ロイモンド様は執務室に籠りきりのことが多いので……」
カーティスは軽く首を捻る。
「忙しいのかな。とにかくわかった。今日は休むよ、荷物の片づけはお願いしてもいいかな」
「かしこまりました」
コリンナのお辞儀姿を見やって、カーティスは自室へと足を進めた。
自室の扉を開け、ソファにどかっと腰を下ろす。
疲れていた。長旅による疲労もあるが、学校での出来事を整理できていないことが大きい。馬車の中で時間はたっぷりあったにもかかわらず、だ。
自分だけでは解決できないことばかりだったのた。
まずはマリー。なぜかクラウスやアイリーンとは打ち解けているのに自分には冷たい。
というか信用されていない、のか。
その理由が「公爵家の自分に近づいたから」ということであれば、その目的をマリーに話すしかないだろう。
「一目惚れ、で恩人、だなんて、」
簡単に言えるものならここまでの苦労はしていないような気もする。
そもそもそれは”公爵家”に近づくことにはならないのか。ちゃんと話さなければ余計に拗れることにもなりそうだ。
カーティスは唸って、すらりとした足を組む。
「でもちゃんと伝えないとな。たぶん誤魔化しても彼女は見抜いてくるだろうし。今以上に好感度は下げたくないし」
考えを纏めるようにカーティスは一度頷く。
好感が少しでもあるのかさえ疑問である。その事実から目を逸らすように、次は学校に滞在しているフランツへと思考を移した。
フランツがクラスメイトに囲まれていた光景は、実はカーティスに多大な影響を与えていた。
本当は喜ぶところなのかもしれない。特定の家門の騎士が授業で人に教えるのは珍しいことだ。それは家門に有利なこと不利なことを都合よく学生に広められる場になり得て、教える内容や思想に偏りが出てしまうかもしれないからだ。そうならないように人選には最大限の注意が払われている。基本的には教育機関に属する教育者、あるいはどこにも属さない研究者だったり専門家だったりする。
しかしカーティスには、それがまるで自分の領域が浸食されたように思えて──フランツにすべてを奪われるような気がして、あの光景を見てからはどうにも落ち着かない。
幼い頃に聞いてしまったロイモンドとフランツの会話──後継者の件だ──が脳裏にちらついていた。
「あれは、僕のトラウマに近いからな……」
息を一つ落として、過去の会話を振り払った。頭の片隅に追いやっておかなければ、フランツへの劣等感に苛まれてしまうのだ。
ロイモンドの用事とやらも怪しすぎる。
わざわざ学校から、フランツを差し出してまで、呼び寄せるほどだ。緊急の用事なのかと思っていたが、今日は休んでいいと言う。どういうことだ。
わからないことが多すぎていくら考えてもわからない。これに関してはどうせ明日にでもわかる話だろうと、早々に考えることを諦めた。
中断されているマリーとの会話と、フランツの講師就任と、ロイモンドの用事。
唯一自分に決断を委ねられているマリーとはしばらく会えないことになりそうだ。カーティスは大きく息を吐いた。
気は重いけれど、今ここでできることは何もない。
「とりあえず、っと」
カーティスは今日一番の出来事を思い、憎々しく、顔を歪めた。今できる唯一のことだ。
フランツめ。コリンナを泣かせたらただじゃおかないぞ。
しばらくはこの件も頭の中を占めそうである。
長旅で疲れているカーティスから寝息が聞こえてくるのは、それからすぐのことだった。
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