第27話 わざわざ領にまで行かなくたって

 カン、カンと練習用の剣を打ち合う音がする。騎士課程の実技の時間だった。

 練習場の中央に剣を持ち向き合う二人。一人はクラスメイト、そしてもう一人は。

 その姿を目に留め、ペンに引き摺られていたカーティスは動きを止めた。


「──え?」


 同じ課程の大勢が見守る中、剣を振るクラスメイトを余裕に満ちた顔で諫める。一撃を与えられることもなく、かといって生徒に向かって与えることもせず。それは相手に練習させてやろうという優しさなのか、ただの嬲りなのか。生徒の顔には疲労ばかりが募る。


 そして、とうとう剣を持つクラスメイトの首にそっと剣が当てられる。相手の圧勝だった。

 負けました、とクラスメイトが膝を地面に落とした瞬間、湧き上がる男だらけの歓声。


「うおおぉぉ! すげえ!」

「あいつが相手にならないじゃん!」

「見たか?! こう、サッと体勢を変えた──」

「いやいやいや、その前の剣の弾き方が」

「……手加減してくれてこれだもんな、本気でやったらどんな戦い方なんだ!」


 憧れの眼差しを一身に浴びる勝者。

 その彼をカーティスはよく知っていた。


「……フランツ?」


 茫然と呟いたカーティスに、ペンはホホホと目を細めた。


「驚いたかしらぁ?」

「…………驚くでしょう、これは」


 だってフランツは、アーレンベルク家の騎士だ。なんだってこんなところに。


 カーティスの知る限り、いつだってフランツの周りには屋敷内の見知った顔がいたし、フランツを見るのはアーレンベルク家の領地内だった。なのに、だ。今のフランツは、学校──自分の領域内に入り込み、しかも自分のクラスメイトに慕われている。クラスメイト達に囲まれるフランツはあまりに不似合いで、まるで異様な光景にさえ、カーティスの目には映る。


「アタシは貴方のその顔が見られて、とても愉しいわねぇ」

「……先生、どういう、ことでしょうか。説明をお願いしても?」


 悪趣味にも人の嫌がる顔を心底楽しむペンに、カーティスも嫌そうな顔を隠すことをしなかった。

 真剣に問いただそうとペンに向き直った時、一緒に引き摺られていたクラウスが目を輝かせてカーティスの肩を掴む。真正面に向かい合って、カーティスの頭はクラウスによってぐらぐらと揺らされた。


「おい! 今フランツって言ったな? てことはやっぱりあの方は、上位騎士の!」


 いつになく興奮した様子のクラウスにカーティスはたじろいだ。


「あ、ああ。彼はフランツ。僕の屋敷にいる騎士で……。確かに上位騎士だけど」

「やっぱり! うわー、ホンモノだよ」

「……そんなに珍しいかな?」


 首を傾げるカーティスに、信じられないとクラウスは目を見開いた。


「珍しいもなにも! この国に現在何人の上位騎士がいると思ってる?! 十にも満たないんだぞ。しかもフランツ様と言えばあの有名な話もあるだろう? あいつらが喜ぶのも無理はないだろ! 俺もあいつらのことばかり言えないけどな」

「…………有名な?」

「はあ? なんだカーティス、知らないのか? 騎士過程で知らないやつはいないと思ってたが。しかもアーレンベルク家のお前が知らないとは、」


 意外そうにクラウスは瞬いた。この様子をにやにや顔で見守るペンはこうなることを予測していたはずだ。カーティスの知らないことが多すぎるのだ。

 クラウスの手前、舌打ちは控えたものの忌々しいこと極まりない。


「その有名な話って?」


 クラウスに対してはイライラを鎮めて、何事もないよう装った。なんにせよ内容を把握するには人に聞かなければならず、その相手はこの場においてクラウスが適任だった。


「フランツ様は、田舎の男爵家の子息だっただろう?」

「え」

「?! まさかそこからか? いや、じゃー、もう初めから話すぞ」


 驚いた顔にげんなりとした様子を滲ませて、それでもクラウスは教えてくれる。


「フランツ様は田舎の男爵家の長男だった。だが、男爵家はとくに治める領地もないだろ?普通は一代限りで、跡継ぎも重視しない。だから以前から興味があった騎士になりたいと騎士過程に入学した、と聞いてる」

「はあ」

「で、だ。フランツ様は騎士過程で剣術を学んでいた。成績は中の上くらいで、悪くはないが、抜きん出て目立つわけでもなかったそうだ」

「はあ」

「そこで現リーヴェル辺境伯様だ」

「は、あ?」


 一気にきな臭くなってペンに視線を送る。にやにや顔が崩れているはずもなく、口元を隠しながら「続けてちょうだい」とクラウスを促している。


「ある時、学校の騎士過程の授業風景を見学しに来られたんだ。そして授業を受けていたフランツ様を呼び寄せ、先生にも話を通し、領地に連れ帰った。わからないが、もしかしたらそれが目的で学校にきていたのかもしれないな」

「強くなかった? あのフランツが」

「そうらしい。まあ弱くもなかったわけだが。それで、そこまで強くなかったフランツ様を強くしたのが、現辺境伯様だな。フランツ様は在学途中でリーヴェル領へ行ったものだから中退扱いになるところだったんだ。が、辺境伯様の計らいで、卒業試験は受けられることとなった。そこで優秀な成績を収めることができれば卒業資格を得るという条件でさ。そのときの結果が、」

「──フランツが強くなってた?」

「そうだ、リーヴェル領に行く前と後では別人のように強くなってたんだと。で、あっという間に国内指折りの上位騎士だ。だから、憧れる。自分ももしかしたらフランツ様のように強くなれるんじゃないかってな」


 クラウスがフランツを眺めるものだから、カーティスもそれに倣う。そこにはクラスメイトに囲まれ困惑するいつものフランツがいた。

 弱かっただなんて信じられない。何度も何度も剣を交えたが、これまでカーティスが勝てると思えた瞬間は無いのだ。


「それもあるから、お前のところの領にはいつも騎士が詰めかけてるだろ? みんな、辺境伯様目当てさ。辺境伯様に教えてもらえれば、認められれば、フランツ様のように強くなれると思ってるんだよ」


 確かに屋敷には騎士見習いも多い。それは父が強いからだと思っていたが、それは正しくも不完全な考えだったということだ。フランツを鍛えた強いロイモンドならば、自分もフランツと同等に強くしてもらえるのではないか、という結果も求められてのこと。


 父は「知り合いからの頼みはなかなか断りづらい……私が全てを教えられるわけでもないからな。多少よくできるものならしてやりたいとは思うが」とぼやいていたこともあったから、すべての人間が等しく上達するものでもないのだろう。


「とまあ、実は俺もその一人だったりする。……さすがに手放しで強くなれるとは思ってないけどな。あわよくばフランツ様、辺境伯様にご指導いただきたいと思ってるわけ。だからな、カーティス」


 クラウスはカーティスに視線を戻した。


「リーヴェル領へ連れて行ってくれるのを、俺は心待ちにしているからな!」


 キラキラした目のクラウスに、カーティスは思い出した。そういばそんな話もしていたような気もするな、と。

 ロイモンドに会いたいと主張したアイリーンのついでのような話だったが、クラウスもちゃっかり目的があったのだ。


「いや、わざわざ領にまで行かなくたって、フランツならそこにいるじゃ……って、だからなんでここにいる?」


 ぐるりとペンへと方向を変え、今度こそ説明を求めた。


「──校長先生! 笑ってないで!」

「ふふ、あー可笑しいわあ。アタシが説明してあげてもいいんだけどね、フランツ君に説明してもらったほうが面白い……いえ、ロイの話も聞けていいのではないかしら」

「おもしろい……?」

「んふふー! フランツ君! ちょっとこっちへいらっしゃい!」


 ペンが呼べば、フランツに群がっていたクラスメイト達も渋々ながら解放してくれる。

 輪っかから脱出してきたフランツが声の主のペンを見て。

 その横に佇むカーティスを目に留めるなり、ずかずかと寄ってきた。


「……カーティス! 誰のせいでこんなことになったと思っている!」

「え?」

「お前、一度屋敷へ帰るんだ」


 真剣な眼差しにカーティスは息を呑む。

 フランツを寄越すほどだ。何か深刻な事態が起きたのだろうか。


「ロイモンド様が呼んでいる。お前をだ! 確認したいことがおありだそうだ。……その間、私はここで剣の師事をすることになった。そうすればお前の一足早い夏休みも見逃してやるとそこの校長がロイモンド様に持ち掛けたらしい。全くお前のせいでな、私はロイモンド様の側を離れなければならなくなったんだぞ。ロイモンド様の頼みだから私には断れない。早く戻り、用を済ませ、とっとと戻ってくるんだ。わかったか!」

「ええー」


 フランツがここにいるのは大した理由ではなさそうで安心したが、カーティスは屋敷に戻らなければならないのは決定事項のようだ。

 ペンがにやにやしているので、これもおそらく深刻な事態によるものではないのだろう。

 カーティスの休暇に目を瞑る代わりに、クラスメイト達の憧れの的──フランツを講師にできて、ほくそ笑んでいるに違いない。ペンにとってはどう考えてもメリットの方が大きい。


 カーティスはマリーに別れの挨拶もできないまま──それどころか途中になっている会話の弁明もさせてもらえないまま、強制的に早めの夏休みへと突入させられたのだった。

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