第26話 会いに行ってもいい?

 マリーの変化に受けた衝撃はそのままに、丸テーブルを全員で囲む。

 不自然なほどにくだけた様子のマリーには面食らったままだった。

 マリーは公爵令嬢で、先のパーティーでは冷たい視線を浴びせられていて、挨拶に何度も通ってもようやく返事をもらえるようになったのである。

 カーティスはすぐに状況が飲み込めない。


「アイリーンさん、でいいかな。クラウスさんも」


 畏まった敬称をつけない呼び方は、平民よりである。

 マリーは平民の話し方に近かった。

 公爵家を退屈で窮屈だと評したとおり、平民と同じように過ごすことをマリーはすき好むのかもしれない。それでも公爵家を捨てることはできない。いくら願ったとしてもそうさせてもらえないであろうことは想像できる。公爵家の一人娘だ。父のアデルも、王家も、他の誰もが放っておいてはくれない。


「ああ、問題ない。俺は、マリーと呼ぶな?」

「私も異論ありませんわ。同じようにマリーさんとお呼びしても?」


 早々に我に返った二人はどんどん会話を進めていく。

 貴族社会においていい顔はされない話し方を窘めることもせず、気軽に倣う二人に、マリーは目を瞬かせた。


「──驚いた。なかなか合わせてくれる人っていないのよ。本当に、貴方たちって変わってるのね」

「誉め言葉として受け取っておきますわ」

「そうなんだよ、こいつ変わってんだよな。いいとこの令嬢のくせに。──そう言うと、マリーもか。変わってるやつばっかりだな、高い爵位を持つ家の人間は」

「クラウスさんもでしょ?」


 マリーは首を傾げたが、俺はいいの、とクラウスは軽く流す。

 あっという間に友人のような会話である。

 一人取り残されたカーティスは、全く面白くない。


「どうして、氷姫を演じていらっしゃるのか、お聞きしてもいいかしら」


 誰もが思う疑問をアイリーンは流れるように口にする。

 答えないかとも思ったが、マリーはふふっと笑って答えてくれた。


「単純よ。面倒だったから。それだけ」

「それだけ?」

「そうね。それだけではないかもしれないけど。……アイリーンさんは、氷姫のこと、演じていると言ったけど、あたしはそうは思っていない。あれも間違いなくあたしで、あたしは間違いなく公爵家の人間なの。貴方たちも同じだと思うけど、あたしの周りにはほんとにろくな人間が寄ってこなくて。家柄に釣られて寄ってきて、自分自身や家名を売り込もうとしてくる。本当に、愚かでみっともなくてあたしは嫌い。自分の努力を怠って、他人の力だけを頼りにするなんて、気持ち悪いの」


 本音のように聞こえるそれに、お付きのメイドは困った顔で静かに溜息を吐いていた。


「冷遇されれば、そういうの、減るでしょ。媚びを売りたい人間は酷い目に合わされたくないんだから。無表情のあたしには、寄って来なくなる。面倒な社交辞令も減っていいでしょ」


 徐々にしかめ面になるのを自覚してか、マリーは一度話を切って、ぱっと明るい表情に変えた。

 嫌な話題から早く抜け出したい。そんなふうに見えた。


「だから氷姫は公爵家としてのあたしで、今のこれがそれ以外のときのあたし」


 わかってくれる? と最後はアイリーンに返して話を締めた。

 他人の感情に敏いアイリーンはおそらくマリーの気持ちに気づいている。嫌な話題を続けるようなことはせず当たり障りなく「ええ」と微笑んでいた。


「ありがと。だからね、他の人間がいるときはあたしは公爵家として行動する。氷姫のあたしだということを覚えていて。……ミアも。もし氷姫のときに話しかけられたら冷たい対応をすると思う。けど絶対二人の時間は作るから! 二人の時は今まで通りでお願いよ!」


 それは話し方に気をつけろということだ。人の目に触れるところでは氷姫でありたいとマリーは思っている。

 今まで氷姫へと会話を試みていたカーティスにそれができるだろうか。氷姫ではないマリーを知ってしまった今、氷のような視線を浴びて平気だろうか。いや、やれと言われればやるんだけど。


「マリーはさ、どうして俺らに話してくれたんだ? ミアは知ってたんだろうけど、別に俺らにまで話さなくて良かったろ」

「……あ、それは、私が言ったからでしょうか」

「ミアが狼狽える必要なんてないよ。クラウスさん、それはあたしが話しても大丈夫かなと思ったからよ。ミアに言われたから気づけたんだけどね、話しておいたほうが都合がいいかなと思ったの。あ、貴方たちには直接関係はないからあまり深く捉えないでね」

「それはそれは、俺らも高評価いただけて光栄至極だ」


 おどけるクラウスにマリーが目くじらを立てることもない。

 そんな状態に、カーティスの気持ちも緩んでいた。ようやくマリーの変化に頭がついていけるようになっていた。


「……僕はこれまで通り氷姫のマリーに会いに行ってもいい?」


 断られても困るのだが、一応聞いておく。

 ミアのようにとはいかないとは思うけれど、もしかしたら気さくに会話できる時間を作ってくれるかもしれない。そんな甘い期待もあった。


「それは……好きにしたらいい。けど、」

「けど?」


 これまでに笑顔がす、と消える。

 今のマリーに向けられるはずのない視線。それは冷たいような、警戒心が強く表れたような、拒絶に近いものだった。


「でも、貴方は信用できない」

「っ、どうして?」

「だって貴方は、氷姫に近づいたでしょ。それに、ミアにも馴れ馴れしいし」

「いや、それは、」


 元々ずっとマリーに興味があって、会いたいと思っていて、やっと会えるようになったんだから。

 他の誰にも近づきたいとは思わない。爵位は関係ない。マリーだからこそだ。ついでに言うミアのことは、八つ当たりだろうか。

 考え直してもらえないか、言い訳と説明をしようと口を開く。


 ──ガサ


 大きな足音がして、一斉に振り向いた。

 今までそんな気配はなかったから、あえて音を立てたようだった。

 マリーとの話を途中で遮られ、カーティスは乱入してきた人影を睨む。


「君たちぃ? 今は、何の時間だったかしらぁ?」


 見れば校長先生──ペンが腰に手を当てて立っている。

 言われてみれば、今は授業中であった。


 全員がそろっと視線を外し、今までの集会が嘘のように「じゃあ、これで……」など各々が呟き、解散していく。

 カーティスもペンから離れようとしたが、腕を掴まれ、引き留められた。


「ああ、アタシも一緒に行くわ。ちょうど騎士専攻の学舎に用事があるのよぉ」


 にこりと笑う不吉なペンに、カーティスは引き留められたと同時にクラウスの腕を掴んだことは間違いじゃなかったと確信した。

 握る腕の先にあるクラウスの顔は厄介者を見るような目つきだ。琥珀の輝きも鈍い。でも知ったことではない。巻き添えを食らうのは不本意でしかないが、巻き込む側であれば何も問題ないのだ。


 ペンに引き摺られるように、優秀であるはずの男子生徒二人は、授業中の学舎へと連行された。

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