第25話 笑っているのが可愛い

 目の前に、可愛い妖精がいる。

 マリーは目の前の人物を眺め、最後に町で会ったときと変わらない姿に安堵していた。


「ミア、怒っていないんですか」

「うん。そう言ってる。どうして、私がアリィを怒るの? すごく良くしてもらったのに」

「けれど、ミアのことを私は騙して、」


 マリーが気にするのは、ミアを騙していたということだ。

 本当の名前は、マリー。

 アリィなんて人物はいないのだ。


「騙して? どういうこと?」


 察しの悪いミアに、内心心苦しく思う。

 本当なら、今なおミアに呼んでもらう資格なんてないのに。


「……私は、マリー・ラインフェルト。貴女の言う、アリィではございません。……アリィは自分の本当の名前も貴女に言えない、ただの臆病者ですわ」

「もしかして、本名を伝えていなかったことを言ってる?」

「え、ええ。そうでしょう。貴女はいつだって私に笑いかけてくれて、一緒に遊んでくれて、仲良くしてくれていたというのに。アリィは貴女に正しい名前すら告げず、」


 ミアとの楽しい時間を満喫して、勝手に拠り所のように甘えて──。

 そう自分を責める言葉を続けようとしたが、遮るように、ミアは吹き出した。


「ふふっ、よかった、私が何かしちゃったかと思った。アリィがアリィという名前じゃなくても、公爵令嬢のマリーでも、アリィはアリィだし、一緒にいた時間が消えてなくなるわけじゃないし。そんなことでアリィを怒らないよ。アリィにはたくさん助けてもらってる、受けた恩も絶対忘れない」


 久しぶりに見るミアの笑顔は、マリーにとって何よりの癒しだ。

 ミアが笑顔でいられるように全力を尽くそうと思えるほどに。


 ミアと初めて出会ったのは本当に偶然だった。

 あのときは少し、疲れていて、疲れる原因である公爵家を離れたいとこっそり家を抜けだしたのだ。

 こっそりと言ってもマリー付きのメイドには平民用の服を用意してもらったし、これが初めてではなく、よく抜け出していることを父である公爵も知っているしで、全く隠れてはいない。

 メイドも手慣れた様子で準備をしてくれた。

 そんな公認の家出というのは、一人で出かけられるわけもなく、目の届く範囲には護衛が付いてきており、お忍びの一人散歩のようなものである。

 何かと人目がある公爵家から離れられて一人になれるのなら、背後に多少護衛の気配があっても構わなかった。

 町を散策したり、露店で買い物をしたり、ベンチでパンをかじったり。


 慣れない頃は一人で行動はできず、メイドなり騎士なりを平民用に仕上げて、一緒に回っていた。

 しかし何度か繰り返すと、不慣れだった町で一人で行動できるようになった。

 町の喧騒や不出来な舗装の道や、隙間もなく並ぶお店や住宅が、不思議なほどに居心地が良く。

 マリーは一人で町を歩き回ることを好むようになる。

 ミアと会ったのは一人での外出を楽しむことを覚え、頻繁に公爵家を抜け出していた頃だった。


 通りかかった花畑が、目に付いたのだ。

 家の庭とは違う、乱雑に咲き乱れる白い花が珍しかったのかもしれない。

 花畑に近づいて白い花に触れようと手を伸ばしたとき、急に下から出てきた茶色の頭。

 マリーは悲鳴を上げ、近くにいた護衛もやってくることになったのだが──それがミアとの出会いだ。


 ミアは、マリーを知らず。

 また正体を隠すアリィを詮索することもなく。

 ありのままの自分自身を見てもらえることに喜びを覚えて、マリーはミアの元へ通うようになったのだ。

 ミアもマリーを拒むこともせず、仕事のときと母親の具合が悪いとき以外は付き合ってくれた。

 それがどんなにストレス解消に繋がっていたか、ミアは知らないだろうし、マリー自身も最近まで気づいていなかった。


 ミアは笑顔のままマリーを見る。


「私は、これまで通り一緒にいられるとすごく嬉しいんだけど。ああ、でも身分の違いもあるし難しいのかな。ここにはアリィを知らない人はいないんでしょう? 私なんかと一緒にいると迷惑になるかもしれない……」

「まさか! 迷惑になんてなるわけありませんわ! これまで通りに接してもらえると嬉しいのは私の方ですのに」


 本当の自分を知られることで、ミアの態度が変わるかもしれないと思うと怖くて会いに行けなかった。

 自分で勧めたこととはいえど、貴族が通う学校と関わりを持ってしまったら、ラインフェルト公爵家のこともいずれ知られてしまうと思ったから。

 余所余所しい態度のミアに対面して、平気でいられるとは思えなかったのだ。


 けれど、とちらりと今まで背景と化していた周りの人物へと視線をやる。

 冷たい態度を取っても穏やかな表情を浮かべて近づいてきたカーティスはさておき、他の二人は本当に自分に興味がなさそうだった。

 初対面であそこまではっきりと取り入りません! と言われたのは初めてだ。

 余計な装飾もない簡潔な自己紹介も珍しかった。いつもは自分の家柄をやたらとアピールしてくる人間ばかりなのに。

 そんな珍しい人間に、助けてもらった。

 自分一人ではなかなかミアに近づけなかったに違いない。

 視線を外しながら、心の中で感謝をする。


「ね、アリィ……あ! この呼び名もやめた方がいいよね……マリー、公爵令嬢?」

「ふふ、今更ですね? ミア。私はただのマリー。ミアだけはただのマリーと呼んでくださいませ」


 話し始めたときとは打って変わって、心休まるミアとの対面に、マリーは人前では見せたことのない満面の笑みを浮かべていた。




 ◇◇◇




 いきなり饒舌となったマリーにぽかんとしたのはカーティスとクラウスとアイリーンだ。

 公爵令嬢とミアが自分たちの世界を作って、微笑ましい様子で笑い合っている。

 目的だったミアとの会話も弾んでいるようで、自分たちは完全に背景だ。

 二人の世界を邪魔しないようにそろそろっと集まり、ぼそぼそと戸惑いの声を上げた。


「え、何これ。どういうこと。氷姫、すげぇ喋ってるんだけど」

「ミアとは仲良しでしたのねぇ。あんなに笑顔でおしゃべりなんて。羨ましいですわ」

「僕の時とは大違いだ……。あんなに楽しそうに笑って」

「というか、笑うんだ? 氷姫、無表情は?!」

「……ギャップを狙ってでしょうか。ミアともっと仲良くなるためには私も無表情を鍛えていくほうがいいのかしら」

「やっぱりマリー嬢は笑っているのが可愛い。……昔のままだ」


 三者三様の感想に、クラウス一人が頭を掻きむしった。整えられていた黒髪がぴょんと跳ねる。

 気に入らないのはわかるが、いらつく感情を表に出すなんてらしくないな。

 カーティスはクラウスを雑に慰めつつ、横目でマリーとミアの様子を窺い続ける。


 先ほどまでの無表情は何だったのかと思わずにはいられないほど、マリーの笑顔は眩しい。

 笑うと少し幼くなるのがまた愛らしく感じて、カーティスはうんうんと頷く。

 ミアのおかげで良いものが見られたとカーティスは喜んだが、心の奥は小さくちくんと痛んだ。

 本当は、自分が、笑わせたかった、など。

 身勝手な嫉妬は首を振って、感じなかったことにした。


 話に夢中になっていたミアが一度こちらを振り向いた。

 マリーへ向き直って、声を少し潜めた。


「ねえ、マリー。これまで通りって言うなら、、直らない?なんだか別人みたいで。公爵令嬢という立場だからなんだと思うけど、ここにいるみんなはそんなこと気にしないと思うよ。平民の私とも仲良くしてくれる人たちだから」


 ミアの言葉に、マリーは少し停止して、考え込むように口に手をやる。

 それから「それもいいかもしれないわね」と呟いて、カーティスたちを見渡した。

 


「ごめんね。、本当はすっごくおしゃべりだし、無表情でもないの。ミアと町で遊ぶのも平気だし、ガーデンよりお花畑のほうが好き。公爵令嬢なんて、本当に窮屈で退屈よ」


 がらりと変わった口調と表情に、カーティスたち三人は絶句し。

 お付きのメイドは手を額にやって嘆息して、ミアはマリーと顔を見合わせてくすくすと笑ったのだった。

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