第24話 今は授業中のはずだろう?

 チチチッと鳥の鳴く声がした。

 風の音と、草木の音、遠くで人の話す声が微かに聞こえる。

 カーティスは空に浮かぶ雲を数え、立ち並ぶ木の本数を数え終えた。

 そのまま石畳の枚数を数え始めようとして、一度向かいに座る人を見た。

 無表情を貫き、無言も貫き、だけど時折何かを話したそうに口が開く。

 そうしてかれこれ一時間。

 お昼休みはとっくに終わってしまっている。


「……あの、マリー嬢?」


 カーティスとしては至福の時間に違いないが、マリーにとってはそうではないだろう。

 つい声をかけてしまった。


 石畳を数えたくなかったのもある。

 目の前のマリーを直視していると自分の顔を保っていられない気がして、カーティスは周囲にばかり目をやっていた。

 だが、限界だ。

 こんなに近くにいるマリーを見られないのも、顔を崩せないのも、無意味に数を数え続けるのもだ。




 マリーと向かい合って座るまでにはそう時間は掛からなかった。

 いつものように挨拶をし、若干の気まずさを見せたようだったが、マリーも返してくれた。

 そのまま立ち去る前に、一言「ミアがね、」と呟いただけだ。

 本当にそれだけ。

 マリーは一瞬で顔を固めて、その場に凍りついた。

 お付きのメイドに判断を委ねると、近くにあったガーデン内の歓談スペースへと連れて行かれた。

 あまり人の通らないこの場所で、二人向かい合って座る。

 警戒されているのかメイドにはしっかりと見張られていた。

 そうして今に至る。


「えっと、大丈夫ですか? 午後の授業は始まってしまいましたが」


 話しかけてしまった手前、なんとか場を繋ぐための言葉を投げかけた。

 それをきっかけとしてかマリーは長い長い沈黙を破った。


「………………ミア、は」


 ぎりぎり聞こえる声を絞り出したマリーに対して、カーティスは不安にさせないようにとすぐさま「はい」と頷く。

 真紅の瞳が藍の瞳を一瞬見据え、目を伏せた。

 長い睫毛が真紅を隠す。

 不謹慎にもやっぱり綺麗だなとカーティスはそれを見て思う。


「……ミアは私のことを、話しましたか?」

「アリィという娘のことは話してくれましたよ。とても楽しそうに」


 穏やかな口調で、警戒心を少しでも和らげるように。

 マリーが少しでも心開いてくれたらいいのにと、力強く頷いた。

 瞼が上がっても、マリーの瞳はカーティスを映さない。


「ミアは、アリィに対して怒ってはいませんでしたか」


 ぼんやりと焦点の合わない目は、ここにはいないミアを映しているのだろうか。

 何を心配しているのかわからないが、ミアはアリィに対して怒ってはいなかった。

 カーティスは大きく頷き、「怒ることなんてなかったよ」と言う。


「失望したり、腹を立てたり、悲しんだり、は」


 していませんでしたか、と消え入りそうな声で呟くマリー。

 それを聞いてカーティスは考える。アリィのことを話してくれたときのミアを思い浮かべた。


 ミアは仲の良い友人を失くしたような顔をしていた。

 それは悲しんでいたのではないだろうか。

 怒ってはいなかったが、それは失望に近いものではないだろうか。

 そんなことはないと言ってあげたいが──果たして本当にそうだろうか。


 ミアが本当はどう思っているのか、ミア本人じゃないとわからない。

 残念ながら、カーティスには、マリーが何をどうしてそこまで不安に思っているのか、ミアが実際にどう思っているのかわからなかった。


 アイリーン嬢が正しかった。

 自分が間になんて入らず、ミアとマリー嬢が直接話せるように動けばよかったのに。

 僕に何かができるなんて思い上がりだ。

 マリー嬢と少しでも話したいと自分の利益を優先したばっかりに。


「……っ、それは」


 不安を払拭してあげたいが嘘は言えない。

 言葉に詰まってしまったカーティスの後ろから声が掛かる。


「お困りのようですね、カーティス様」


 気配もなく、にゅっと覗き込むように現れた藍色の髪の持ち主を目に留めて、カーティスは思わず大きな声を出した。

 今思い浮かべたばかりの人物がそこにいた。


「え?! どうして君が?! クラウスも!」


 自信たっぷりの顔で現れた二人がなんだか救世主のように思えたのは、必ず秘密にしようとカーティスは心に決めた。


「いえ、カーティス様が心配だったもので。少し、様子を窺わせていただきましたの」


 ほほほ、と微笑むアイリーンは盗み見ていたことを全く悪びれていない。

 隣に立つクラウスもまたにやにやと笑う。

 一瞬でも助かったと思ってしまった心を隠して、カーティスは大げさに溜息を吐く。


「君たちは、今は授業中のはずだろう?」

「は、それをお前が言うのか?お前だって授業中に何やってんだ」

「ふふ、そうですよねぇ。カーティス様がそれを言うのは、おかしいですわ。カーティス様だって、わたくしたちが今ここにいてよかったと思っていらっしゃるでしょう?」


 鋭いアイリーンは、この場でも素早く空気を読んでいた。

 確かに、その通りではあるのだけれど。

 悔しく思ったっていいじゃないか。

 小さく睨むカーティスを横目に、アイリーンはすっとマリーへと向かう。


「はじめまして、マリー・ラインフェルト嬢。アイリーン・フレンツェルと申しますわ。お見知りおきくださいませ」

「……」

「ああ、そのように警戒なさらなくて大丈夫ですよ。わたくしは、貴女に危害を与えるつもりも取り入るつもりもございませんの。そうそう、以前の建国記念パーティのときには、ラインフェルト公爵様にもご挨拶させていただきまして。公爵様からも入学するご令嬢のことをお聞きしましたのよ。もしよろしければ仲良くさせていただけると嬉しいですけれど。もちろんお気に召さないようであれば無理にとは言いませんわ」


 にこりと笑いながら、マリーの無表情も意に介さず、アイリーンは最後まで言いたいことを言い切った。

 強い。

 マリーの様子を窺いながら話していたカーティスとは大違いだ。

 アイリーンにしてみれば、マリーと仲良くなろうがならまいがどちらでも構わないと思っているのだろう。

 それはクラウスも同様であるようだ。


「クラウス・エーヴァルトだ。はじめまして、ラインフェルト嬢」


 にこやかに簡潔な挨拶のみ口にする。

 マリーに好意を寄せるカーティスとは違い、クラウスにしてもアイリーンにしてもマリーは貴族令嬢の一人でしかない。

 少しばかり高位の爵位を持つ家の令嬢だというだけだ。

 マリーと仲良くなれなかった、嫌われたところで、大した打撃を受けないほどには、どちらの家も名家である。

 だから二人は全く気負わない。

 そんな様子の二人が珍しかったのか、マリーは戸惑ったように見えた。


「うーん? やっぱり可愛い顔してるんだけどなあ。笑ってみ、にこって」

「……クラウス。貴方いい加減になさいな。それは今言うことではありませんでしょう。ご令嬢に向かって不躾な」

「いやほら、緊張してんのかなって。緊張をほぐしてやろうという俺の優しさね、優しさ」

「それでは解ける緊張も解けないでしょう」

「アイリーンこそそんな怖い目つきしていると怖がられるだろ」

「……貴方のせいでしょう? 貴方が口を開かなければすぐに笑顔になるのですけれど」


 突然出てきて、突然始まる言い合いに、カーティスは眉の間を押さえた。


「何しに来たんだ、君たちは」

「あら? もちろん、カーティス様の手助けですけれど。少し、沈黙の時間が長かったのかしら」

「そうそう茂みにどれだけ身を潜めてたと思ってんだ」


 勝手に隠れて覗き見していた二人が、あたかもカーティスが悪いように話を進める。

 全くもって面白くない事態だったが、パンパンと手のひらを鳴らしたアイリーンによって、怒りは鎮められた。


「ふふ、ラインフェルト嬢。失礼しました。騒がしくして申し訳ありませんわ。実は、ご令嬢にプレゼントがございますの。気に入っていただけるといいのですけれど」


 先ほど取り入るつもりはないと言い切った彼女からの贈り物に、マリーは無表情の顔を訝しげに歪ませた。

 笑顔を取り戻したアイリーンは手のひらで自身の隣を指す。


「どうぞ」


 指された茂みから出てきたのはミアだった。


 がたっとマリーの椅子が音を立てたが、いつの間にか後ろにはクラウスが陣取っていた。

 簡単には逃げられないようにするためだろうが、マリーを取り囲む形になっている。

 大丈夫だろうか。

 不安になって、メイドを見るが、やめさせようとする素振りはない。

 マリーにも椅子から立つ様子はなかった。

 それにミアはほっとしたように息を吐いて、胸に手を当てて話し始めた。


「アリィ。さっきの話だけど、私は、怒ってないよ。アリィは? アリィが怒ってるんじゃないの」

「……え。どうして」


 マリーが不可解そうに首を傾げた姿を、初めて見た。


「どうしてって。どうして私がアリィに怒るの。アリィと会えなくなって寂しいとか、この前は声を掛けても逃げられて悲しいとは思ったけど、怒らないよ。今はアリィと話したくてここにいる。この前はどうして逃げたの? 私、何かアリィを怒らせるようなことしたかな」


 そう言ってミアは不安そうに手を握りしめる。

 マリーと少しの間見つめ合っていた。

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