第11話 今日の君は一段と綺麗だね

「お疲れさん」

「本当よ。疲れたわ」


 バルコニーに残されたクラウスとアイリーンは二人並んで外を見る。

 王宮内の明るさと騒めきに反するように、外の木々は黒く静かに揺れていた。

 アデルとの会話中、遠くから見守っていたクラウスは、そのときのアイリーンの顔に苦笑していた。

 アイリーンの取り繕って引き攣った顔は遠くからでもよくわかる。

 肩から落ちかけたストールをそっと直し、アイリーンはふうと息を吐いた。


「公爵様に御目通りできたのはよかったのかもしれないけれど、どう見てもわたくしのことは眼中になかったもの。むしろ疎ましく思っているくらいではないかしら」


 何度席を外そうかと言い出したかわからない。

 その度にカーティスに気を遣われ、退出するタイミングを逃した。

 視線で合図するも全く効果はなく、あまりの通じなさにわざとではないかと疑いたくなるほどだった。


「まあ? ご当主様の学生時代のお話をたっぷり聞かせていただきましたから、それを考えると幸せな時間だったのかもしれませんけれど」


 若かりし頃のロイモンドの話はとても興味深く、自分のことをあまり視界に入れないようにしている公爵が気にならなくなるほどであった。

 満更でもないアイリーンのほくほくとした顔に、クラウスは目を逸らし、寄る眉間のしわを擦った。

 んん、と咳払いを一つしてアイリーンの意識をこちらに戻す。


「……なんでお前のことは興味なかったんだろうなあ」


 フレンツェル家の娘と言えば利用価値もあるだろうに。

 アイリーンの家、フレンツェルは代々宮中伯を務める。

 宮中伯にはいくつかの伯爵家が拝命されているが、その中でも一番領地が大きい。つまりは古くからの信頼と、伴う実績がある。

 国の財政を司るフレンツェル家が頷けば、だいたいのことは上手くいくとまで言われるほどだ。

 ぽつりと言うクラウスにアイリーンは真顔になって首を傾げる。


「それはわからないわ。でも、もしかしたらわたくしがカーティス様のパートナーとして現れたから、かしら。よっぽどカーティス様を気に入っているようだったから」

「ふうん。公爵家のご令嬢の相手にカーティスを、とか考えてるのかねぇ」

「あり得るわ。でも王家を差し置いて伯爵家? ……少し釈然としないけれど、もし仮にそうなら、」


 言い淀むアイリーンの言葉を引き継いで、クラウスは遠慮もなく鼻で笑った。


「は、カーティスは間抜けにも程があるな」


 言葉の選び方にアイリーンは少し眉を寄せたが、否定もせずにそのまま頷いた。

 まさしくその通りだと思ったのだ。


 カーティスは、ラインフェルト公爵の令嬢マリーに好意を抱いていた。

 数年前に出会い、彼女にまた再会したいと思っていることを二人は知っている。

 そのときのために、見苦しくないよう学業にも身なりにも気を付けていた。

 アーレンベルクの家名のため、リーヴェル辺境伯の爵位のため。

 そういった自身の抱える背景も関係はしていただろうが、マリーのためというのが一番しっくりくる。

 いつか出会うその時のために力を蓄えている──そんな状態なのだ、カーティスは。


「笑えるわー」

「まだそうと決まったわけではないわ」

「しっかしなー、公爵家がもし、もしもの話だぞ。カーティスとそのご令嬢を結婚させるつもりでいるんなら、カーティスの頑張りなんて意味ないだろ。結婚なんて、家同士が決めるもんなんだから」

「……まあ、そうね」


 クラウスとアイリーンも家同士で決められた婚約者だ。

 卒業後には婚約者だと公となり、おそらくその一年後には結婚式を挙げることになるだろう。

 たとえ、そこに愛が無くてもだ。


「カーティスには、どうする? あいつ、たぶんわかってないぞ」


 ラインフェルト公爵はあからさまにアイリーンを牽制している。

 にもかかわらず、カーティスはこれでもかとアイリーンを側から離さなかったというではないか。

 それが、公爵──好意を寄せているマリーの父──の機嫌を損ねているとも知らず。


「教えて差し上げても……信じるとは思えないわ。頑固でしょう、彼」


 頬に手を当てて、アイリーンは首を傾げた。


「なら、放っておくか」

「そうしましょう。面白いし」


 人の色恋沙汰には関わらないようにするのが一番だ。

 しかも揉めているわけでもない。

 相手の父から好かれているなんて、幸せだろう。

 カーティスはそんな幸せの中、何も知らず、せいぜい足掻けばいいのだ。


 ふふ。

 ははは。


 と、意地の悪い顔で二人は笑い合うのだった。




 風が吹き、外の枝とともにアイリーンのストールが靡いた。

 だいぶ暖かくなってきているとはいえ、まだ夜は冷える。

 クラウスは着ていた上着をアイリーンに差し出した。

 それに少し驚いた顔をしたものの、素直にアイリーンは受け取った。


「あら? ありがとう。たまには気が利くじゃない」

「たまには、は余計だ」

「……貴方は、わたくしに対して、こういうことはしないと思っていたわ」

「そんなことは、ないだろ」

「そうかしら」


 涼しい顔のアイリーンと渋面のクラウス。

 しばらく見つめ合って、先に根負けしたのはクラウスだった。

 ふいっと目を逸らして、首の後ろに手をやった。


「……カーティス、遅くないか。どこまで行ったんだか」


 苦し紛れに呟くと、合わせたようにホール内から一際大きな歓声が上がる。

 クラウスはちらりと視線を向け、ひゅっと息を吸い込んだ。


 今の今まで話題にしていた人物が見えて。

 クラウスはこれでもかと盛大な舌打ちを鳴らした。


「あの間抜け、やらかしてるぞ……!」


 歓声の先にはミアと楽しげに踊るカーティスがいた。




 ◇◇◇




 差し出した手に、ミアがぱちくりと目を瞬いたとき、踏み込みすぎたかと後悔した。

 慌てて取り繕って、穏やかな顔を見せる。


「いつもの君もかわいいけど、今日の君は一段と綺麗だね。素敵なお嬢さん、僕と一曲踊っていただけませんか」


 差し出した手はそのまま、ミアの顔を窺う。

 再び瞬いてからミアは小さく吹き出した。


「なんですか、それ」

「何って、ダンスのお誘いだけど」

「……ふふ」

「笑うところかな」

「ふふ、笑うとこ、ですね」


 カーティスの手に、小さな手を乗せてミアは言う。

 至極真面目に言った誘い文句を笑われてカーティスは首を捻ったが、ミアの顔は困ったように笑っていて、安心する。

 意気消沈した姿からは立ち直ったように見え、切り替えの早さにもミアの賢さが垣間見える気がした。


「私、ダンスなんてできないですよ」

「構わないよ。僕に身体を預けてくれれば大丈夫だ。こんなところにいるなんて勿体ないよ。せっかくのパーティー、楽しまないと」


 平民の娘にカーティスが近づいたことで、遠巻きにしていた人々が興味を示し始める。

 それを焦点を合わさずに確認しながら、カーティスは踊り始める。

 身長差があるため、大人と子供のダンスのようだ。


「あの。どうして、カーティス様は、」


 ぎこちなく身体を揺らしながらミアは言いづらそうに口を噤んだ。

 気持ちはわかる。

 カーティスは微笑んだ。


「どうして君を気にかけるのかって?」

「はい。……どうしてここまでしてくださったのかと」


 クラスメイトからの平手打ちを防いだだけでなく、ドレスの準備からパーティーに参加する手筈まで。

 疑問に思うのも仕方ない。


「ねえ、ミアは、今日誰かに話しかけられたりした?」

「……いえ、平民に話しかける人間はこの場にいませんよ」


 質問に質問で返すカーティスをミアは訝しげに見る。

 何を企んでいるのか、意を汲み取ろうとする目に楽しくなった。

 理由もなく特定の平民に優しくする貴族はいないだろうから、ミアの反応は正しい。


「……そうか。君に構う理由はあるけど、まだ言わない。でも大したことじゃないよ。今度落ち着いたときに話をさせてくれ。今はこの場を楽しんでくれると嬉しいかな」


 カーティスの「理由はある」という言葉にミアは安堵を覚えたようで、強張っていた身体の力が抜ける。

 揺れる動きにも慣れてきたのか楽しそうな顔になった。

 カーティスのリードのもとくるくると回る小さい身体は、羽根が生えているかのように軽く、顔を崩して笑う姿は、まるで。


 平民だからと突っぱねる奴らの目に焼き付けてやりたいような、自分の中だけに留めておきたいような。

 相反する思いを胸に隠して笑顔で踊った。


「この馬鹿! やりすぎだ……!」


 曲が終わるや否や乱入してきたクラウスに止められるまで踊り続けて。

 カーティスは全く悪びれず、「ごめん、思わず」と口先だけで謝った。


 周りの目を少しでも誤魔化すためにカーティスは再度パートナーであるアイリーンと、ミアはカムフラージュにクラウスと、もう一曲踊ることになった。

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