第10話 久しぶりに気を張ったよ

 一曲が終わり、カーティスとアイリーンは向かい合って再度小さくお辞儀し、ホール中央を離れた。

 温かい眼差しに包まれながら、二人は張り付いた笑顔にそぐわない会話を続ける。


「アイリーン嬢、ダンス上手だなぁ」

「カーティス様こそ。とてもお上手でしたわ」

「いやいや、アイリーン嬢の相手を務めさせていただくわけだし、久しぶりに気を張ったよ」

「ふふ、まるで他のご令嬢と踊ったときは手を抜いていたような言い方ですわね」

「……まさか。アイリーン嬢だからこそ緊張したんだ。アイリーン嬢相手に失態を犯すわけにはいかないだろう?」


 にこにこと整った顔で笑い合う。

 傍から見ると割って入れない空気感の二人の間に、そこへ掛かる男性の声。


「やあ。見事なダンスだったな」


 カーティスが振り返ると、そこにはマリーの父で公爵の、アデル・ラインフェルトがいた。

 顔には柔らかな笑顔を浮かべ、拍手までしてくれている。

 顔を合わせるのは五年前のマリーと出会ったあの日以来だったが、忘れたことはない。

 記憶のままの姿にカーティスはほっとした。


「……ラインフェルト卿!」

「カーティスだったな。今のダンスはとても良かった。みな見惚れていたぞ」

「ありがとうございます。覚えてくださっていたとは、」

「なあに。ロイモンドの愛息子を忘れるわけなかろう。五年ぶりだろうか? 大きくなったものだな」


 そうアデルは言って握手を求め、カーティスはそれに応えた。

 大きくなった子供を喜ぶようにアデルは何度か頷き、それから今まで視界に入れていなかったアイリーンを見る。


「……そちらの綺麗なお嬢さんは?」

「ああ、僕の学友です」


 掌でアイリーンを指し示す。

 促されるや否やアイリーンは纏った黄色のドレスの裾を持ち、片足を下げて深くお辞儀した。


「アイリーン・フレンツェルと申します。お初にお目にかかります、公爵様」

「ああ、フレンツェル家の……。娘がいるとは聞いていたが、こんなに麗しいお嬢さんだったとは。フレンツェル卿もさぞ鼻が高いのではないか」

「勿体ないお言葉ですわ」


 とびきりの笑顔を披露したアイリーンに、アデルは一度にこりと微笑んで、すぐにカーティスに向き直った。


「どうだい、少し話でも?」

「ええ、喜んで」

「ロイモンドは一向に王都へ出てきやしないしなあ。あいつの話も聞かせてほしい」


 そう言ってアデルはバルコニーを指差した。

 外はすっかり暗くなっている。

 カーティスが頷くのを確認し、アデルはそちらのほうへ向かう。


 アイリーン嬢は一緒にきても面白くないかもしれないけど、一人にはできないしなぁ。

 そう思ったカーティスはアデルの後ろ姿に声をかけた。


「彼女も同席しても?」


 アデルは動かしていた足を止め。

 ゆっくりと振り向き、アデルは笑った。


「勿論だ。彼女も共にくるといい」


 再び背をこちらに向け、バルコニーへと歩き出す。

 カーティスはなぜか鋭い視線を飛ばすアイリーンの手を取り、後に続いた。

 さすが公爵家だけあって、アデルの行く手を塞ごうとする者はいない。

 人混みの中をスムーズに進み、バルコニーにはすぐに着いた。


「……カーティス様、わたくしはあちらでお飲み物でも取ってまいりましょうか」

「いや、いいよ。また一人にすると心配だし」


 前回のパーティーでの過ちを再度起こすわけにはいかない。

 再びダンスの申し込みが殺到しようものなら、エスコートを申し出た意味の半分を失う。


 気遣いをするカーティスに、アイリーンはアデルから見えない位置に移動して、忌々しげに睨む。

 さっきから変だな。なんで睨まれるのか。

 カーティスは首をひねった。


「ふはは、仲睦まじいことで羨ましいな!」

「そういうわけでは。彼女は目立つので、僕のそばにいてもらわないと困るのです」


 カーティスの返答にアデルは笑みを深くしたものの、何も言わない。

 隣にいるアイリーンが居心地が悪そうに身じろぎした。

 連れてきたのは申し訳なかったなと思いつつ、今更引き返せない。

 共通の話題──ロイモンドの話を切り出した。


「父が王都の寄宿学校へ行っていたと聞きましたが、ラインフェルト卿も通われていたのでしょうか」

「ああ、そうだ。あいつはそういった事は言わなさそうだが……私とあいつは先輩後輩の仲でな。ほら、あいつはあの顔だろう? いや、君もそっくりなんだが……。入学してきた当初から目立つ後輩でな。しかも見た目だけでなく、すでに辺境伯の地位にもあり、とにかく優秀だった」


 アデルの褒めちぎり方に、カーティスの心は少し暗くなったものの興味深げに頷いて聞いていた。


「私はその当時、今でこそ恥ずかしいと思うのだが、少し自分の力を過信しているところがあってな。そんな私は、あいつによく鼻を明かされたものだ。……懐かしいな。今こうして公爵として堂々と振舞えるのも、学生時代にあいつに負かされた経験がよかったのだろうと思っている。……まあ、こんなこと本人には言わないが」


 ふはは! と力強くアデルは笑う。


 カーティスは、ロイモンドからは聞かされたことのない、ロイモンドの学生時代の話をここぞとばかりに聞いた。

 何でもそつなくこなす優秀すぎるロイモンドは、基本的には優等生で、しかしだからと言って大人しいわけではなかった。

 自分のことは全て自分でこなし、学生でありながら辺境伯の職務までこなし、それを鼻にかけるわけでもなく。

 いつも柔和な笑顔を浮かべ、人と接していた、とアデルは言った。


「……父は、屋敷内でも一目置かれているようでしたから、その理由が少しわかった気がします」

「君もあいつの息子だ。聞いたところによると、君も優秀だそうだな。いやはや若い者が力をつけてくるというのは楽しいものだな。……少し年寄りくさいか」


 顎を撫でるアデルは遠い過去を振り返るように夜空を見上げた。

 つられてカーティスも見上げると、たくさんの星が輝いている。

 一人で眺めるときよりも輝いて見えるのは、マリーの父アデルと話しているからだろうか。


 ややあって、アデルが思い出したように言った。


「ああ、二人とも王都の学校へ通っているんだろう? 私の娘が今度入学することになっていてな。あまり世間には出さずにきたものだから心配だ。君たちに仲良くしてもらえるとありがたいのだが」


 視線はカーティス、それからアイリーンにも移って、眉間を寄せてにやりと笑った。

 それは何か企んでいるかのような顔だったが、思いもよらなかった言葉にカーティスは顔が緩みそうになるのを堪えるだけだった。


「僕で良ければ。勿論です」

「ええ、わたくしも。こちらこそ仲良くしていただければ嬉しいですわ」


 アデルは笑顔を見せ、カーティスの肩を数回叩く。

 二人の返答に満足したようだった。


「ではな」


 片手を上げて人の輪に戻っていくアデルの後ろ姿を見送って。

 カーティスは小さくガッツポーズをするのだった。




 ◇◇◇




 カーティスはダンスの曲がかかる会場の中を顔がにやけそうになるのを抑えながら歩く。

 アデルがいなくなってから少ししてやってきたクラウスに、少しアイリーンを任せると言って出てきたのだった。

 一人になって落ち着きたかった。


 今日のこのパーティーに、ラインフェルト公爵が参加するというのは知っていた。

 だから、ダンス相手に困っていたアイリーンに、これ幸いとエスコートを申し出た。

 少しでも目立つように。

 これまで参加していたパーティーでは、名前も隠さず出席していたが、アデルとは会話できなかったからだ。

 彼に話す気がなかったのか、見つけてもらえなかったのかは不明だが、今までとは違う行動を取らなければならなかった。


 結果、大成功だ。

 アイリーンのダンス相手も無事務めたうえ、こっそりと目論んでいたアデルとの会話もすることができた。

 会話できたことで、アデルに覚えられていることもわかり、さらにはマリーが入学してくるという情報まで得られた。

 予想を上回る成果だ。


 浮かれているな。

 カーティスは足がふわふわしているのを感じながら、ホール内を歩き回る。


 もう少し、もう少しで彼女に会えるのだ。

 嬉しさもこみ上げるというもの。


 人の顔を見ながら歩いているようで、頭の中は五年前のマリーの顔でいっぱいだった。

 あの、可愛らしい彼女が、今どんな姿になっているのだろうか。

 どんな話をしてくれるだろうか。

 自分のことは、覚えていてくれているだろうか。

 不安はあるが、楽しみのほうが勝る。

 顔が緩まないよう引き締めて歩くカーティスを見て、幾人かの女性が振り向き、声も掛けられたが、愛想のよい顔をして全く相手にしなかった。




 揚々と歩き回っていると、見覚えのあるグリーンのドレスが目に入った。

 ミアだ。

 ぽつりと壁に張り付いて、少し俯いている。



 ──ああ、だめだったのかな。


 ミアは何か目的があってこのパーティーに参加しているのだろうとカーティスは思っていた。

 だからこそ、クラスメイトに反対されてもパーティーに出たがっていたのだろうし、初対面の貴族にドレスを作ってもらってまで参加したのだろう。

 カーティスが興味を引かれた、あの強い意志を宿した目をして。


 それが、今は見えなくなっている。

 慣れない場に疲れたのもあるだろうが、ミアは見るからに気が沈んでいた。

 目的が果たせなかったのだろうと容易に想像できる。

 壁際で一人佇む姿は目立たぬように気配を殺しているようにも見えて、勿体ないなあとカーティスは思う。

 ミアにはいつも勿体ないと思ってしまうな。

 あの強い目は誰にでもできることではないのに。もっと自信を持ってもいいと思うのに。


 カーティスの目論見が無事に成功した手前、ミアの落ち込み様に少しの後ろめたさを感じて。

 カーティスは浮かれた気分が抜けないまま、またあの目を取り戻したくて、手を差し伸べた。

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