第9話 手を貸しただけだよ

 ミア・ベイカーは、低身長だということを除けば、平凡な外見であった。

 ありふれた茶色の髪に、目立たない灰色の瞳。

 決して高くない鼻の上にはそばかすがある。

 お世辞にも美人とは言えない、そんな見た目。


「まあ! なんて可愛らしいの!」


 藍色の髪の美しい女性──アイリーンに褒め称えられる。

 それの多くは、ミアの身長を主に指した言葉だと彼女は思っている。

 ミアの低身長は、子供のように扱われるか、それとも蔑まれるかのどちらかの評価を受けるのだから。


「そんな。用意していただいたドレスが素敵なので!」


 全てはそう、自身の身長と、仕立ててもらったドレスがそう思わせるだけなのだ。


 低身長による幼さをカバーするモスグリーンのドレスに左右非対称なドレス丈。

 地味にならないようにと散りばめられたシルバーの刺繍は上品でありながら、可愛らしさを残す花模様。

 丸みを帯びたスカートは、小さな身丈でも存在感を出してくれる。


「こんなに素敵な格好をできるとは思っていませんでした……本当に、ありがとうございます。なんて言ったらいいか」

「なあに。まだ始まってもいないのよ。お友達ですもの、お礼なんて。でもそうね、全て終わった後にわたくしとまたカフェに出掛けてくれれば嬉しいわ」


 アイリーンの顔は楽しそうに微笑んでいて、本当に友人のように思ってくれているのかもしれないと錯覚しそうになる。

 ミアは小さく頭を振って、甘い考えを追いやった。

 自分を対等に見てくれる同年代の人間は、これまでにたった一人。

 それはとても貴重で、大切な。

 だからこそ、そう簡単に現れるものではないとミアは思っている。


 ミアはぎこちなく笑って、「……喜んで」とだけ言った。




 ◇◇◇




 王宮で開かれる建国記念パーティー当日。

 支度を終えた女性二人を、カーティスとクラウスは待ち構えていた。


「おお? いいじゃん」

「ああ、とても素敵だと思うよ」


 ミアのドレス姿を目に留めると、即座に出る称賛。

 照れるように俯く姿が、可愛らしく、勿体ないなあとカーティスは思う。


「……そうでしょう、可愛らしいでしょう! お店でいろいろ試着させていただいて、わたくしの要望をたくさん取り入れていただきましたの。私の審美眼も褒めてくださらない?」


 ふふ、と誇らしげにミアを見せつけるアイリーンにも褒め言葉を投げておく。


「確かに。アイリーン嬢に任せて正解だった。本当に助かったよ。おかげでこんなに素敵なミアを見ることができたし」


 結果を思えば、全く痛くない出費だった。

 落ち着いた色のドレスは、ミアによく似合っている。


「さあ、あと半刻でパーティーが始まる。僕はアイリーン嬢と入場することになっているから、これで失礼するよ。ミアもパーティーを楽しんでね。……クラウスは、程々にな」

「はい、本当にありがとうございました」


 ミアはお辞儀をし、クラウスは早く行けとばかりに手を振った。


「ミア。もし何か言われたりすることがあればわたくしの名前、アイリーン・フレンツェルを出して構わないわ。大抵の人間は怖気づくから。……こういう時に、名前は使わないとね」


 アイリーンは愛嬌たっぷりに片目を瞑り、カーティスとともに去っていく。

 ミアに気づかれないようにとアイリーンが去り際に寄越した目配せを、クラウスはその意味ごと受け取り、がしがしと頭を掻いた。


 平民でありながら成績トップ。

 それだけでも十分目立つというのに、近頃はクラウス達三人と共にいる。

 どこからか目をつけられていてもおかしくない。

 単なるやっかみならそこまで気にならないが、取り入ろうとしてくる人間がいると、面倒だ。

 それらを見極めろ、という合図だった。


 クラウスとしては、女性を守るのはやぶさかではないにしろ、面倒ごとを押し付けられた気がしてならない。しかも責任重大だ。

 ミアをパーティーに出席できるように手配したのは他でもないカーティスなのに。

 が、自分の代わりにアイリーンのエスコート役をお願いしてしまった手前、カーティスに文句も言えない。


「……それでも、これはお前の仕事だろうよ。カーティス」


 これまたミアには気づかれないよう、クラウスはぼそりと呟いた。

 続く溜息に、ミアは不安げにクラウスを見るものだから、慌てて取り繕った。


「いや、俺らも行こうか。会場はあっちだよ。ミアは初めてなんだよね?」

「あ、はい。少し緊張します」

「はは、でもどうして出ようと思ったの。マナーばかりで堅苦しいことが多いと思うんだけど」


 口には出さないが、不慣れな平民では正直つらいとクラウスは思う。

 言外の意味を察したのだろう、ミアは眉を下げる。


「……会いたい人がいて」

「え、誰? 俺も知ってる人かな」

「それが家名はわからなくて。貴族だとは聞いていたんですが」

「うーん。家名がわからないんじゃなあ。ここで会う約束をしてる?」

「……いいえ。私が学校以外で貴族の方と触れる機会があるのはこういうパーティーだけなので、ここで会えたらいいなと思って」


 必ず会えるわけではないと言うミアに、クラウスは「会えたらいいねぇ」と笑った。

 出席しているかどうかもわからない。

 仮に出席していたとしても会場は広い。よっぽど目立つようなことでもしない限り、会える確率はだいぶ低い。

 それはミアも承知しているのだろう。

 頬を人差し指で掻いて──クラウスに気を遣わせないためだろう──もう一つの理由を教えてくれた。


「あとは、卒業後の就職に有利になるツテができたらなとは少し思ってます」

「お、ちゃんと考えてるのかー。年が一つ下だとは思えないね!かっこいいよ。カーティスにも見習ってほしいもんだなぁ」


 茶化すようにカーティスを持ち出して、ミアとともに笑う。


 王宮の会場までもう少しだった。

 パートナーがいない出席者は先に会場に入り、待機しなければならない。

 その後、パートナーがいる出席者は連れ立って入ってくる。


「俺たちみんな会場にはいるから、もし何かあったら遠慮なく言ってねー。カーティスなんかはこき使ってくれて大丈夫だからさ」

「ふふ、はい、ありがとうございます」

「じゃあ、人探しと就職活動、頑張ってねー」


 金の装飾が施された白い扉を開いて、会場内をざっと見渡す。

 参加者で溢れていた。

 二人は分かれて、一人は待ち人を、もう一人は本日のお相手を探し始めた。




 ◇◇◇




 カーティスの掌の上にアイリーンは手を添えた。

 入場し始めてからだいぶ経つ。

 そろそろ自分たちの番だった。


「何か、企んでいるんでしょう」

「何を言うかと思えば。ダンスの相手に困っていたようだったから、手を貸しただけだよ」

「……まあ、いいわ。今は。助かっているのは事実だもの。でも後からきちんと教えていただきますわ」


 アイリーンは余所行きの綺麗な笑顔を前に向け、カーティスのエスコートを受けて進む。

 その様子を、カーティスは鋭いなぁと思いつつ、眺めた。

 眺める視線は、慈しむようなそれだ。

 あたかも、”本物の”パートナーであるかのようにカーティスは振舞い、アイリーンもそれに倣った。


 パートナーなしで出席するパーティーよりもはるかに多い興味深げな視線を感じながら、会場の中心へと向かう。

 途中クラウスとミアの姿を見かけたけれど、アイリーンを見つめることはやめなかった。


 少し待っていると、王が登場し、主催の挨拶が始まった。

 建国から今に至る簡単な歴史、今年一年の労いや、この国の繁栄を称えた言葉が王の口から紡がれる。

 それは適度に聞き流して、ちらりと辺りの様子を伺った。

 カーティスが知る限りでも、力のある侯爵伯爵が何人も見受けられる。

 目を細めて小さく頷き、カーティスは思う。

 やっぱりこの日にして良かった。


 挨拶が終わるとそのままダンス用の曲が流れ始めた。

 まずはパートナー同士踊らなければならない。

 アイリーンの手を引いて、カーティスはホールの中央に進み出る。

 お互いに小さくお辞儀をして、曲に合わせて揺られ踊る。

 一緒に踊るのは初めてだったが、ダンスに慣れている二人にとっては全く問題ではない。


「アイリーン嬢は、どうしてクラウスとは踊らないんだ?」


 顔には穏やかな笑みを浮かべ、カーティスは問う。


「婚約者だと露見するのを防いでいるのだとしても、別に今みたいに踊ってもいいんじゃないかな。普段もよく一緒にいるわけだし、おかしなことではないと思うけど」

「……卒業したら、まずは彼と踊ることになるでしょう? せっかく学生の間はフリーなのだもの。彼と踊る義務も、必要もございませんから」


 対するアイリーンも綺麗な微笑みを崩さない。

 会話の内容とは裏腹に、楽しそうに踊り続ける。




 そして思惑通り、見る者は才気溢れる若き美男美女の優雅なダンスに目を奪われていた。

 感嘆と、羨望と。


 そんな眼差しに包まれるなか、しかし無感動の目が二つ。


 ──ラインフェルト公爵のそれであった。

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