第8話 どうかお手柔らかに

 食堂で待ち構えていたアイリーンは、まず目の前の光景に、一度ぎゅっと目を瞑った。

 数回瞬いて現実だと確認した後、睨んだ先はクラウスだった。


「ちょ、ちょ、俺は無関係だからね?!」

「貴方が、道すがら声を掛けて連れてきたのではなくて?」

「アイリーンといいカーティスといい、俺の認識どうなってんの!」


 アイリーンが食堂で待っていたのは、カーティスとクラウスの二人だった。

 しかしもう一人、可愛らしい女の子が共にいる。驚くのも当然だった。

 かつてこんなことはなかったのだから。


 カーティスは少し申し訳なかったなと思いつつ、椅子に座るよう促してから、事態を説明し始めた。


「アイリーン嬢、彼女は僕の連れみたいなものなんだ。本当にクラウスは無関係だよ」


 授業が終わった後、二人で食堂に向かっていたこと。

 その途中で女性の言い争う声がしたこと。

 平手打ちされそうな場面に遭遇し、助けたこと。

 そして助けた彼女が王宮の建国記念パーティーに出席したいと思っていること。

 そのときに必要なドレスの手配を、カーティスがしてあげたいと思っていること。

 それらを順に話した。


 話している間、時折ミアの顔を伺っていたアイリーンだったが、カーティスが話し終えると大きく頷いた。


「わかったわ。折角の晴れ舞台ですもの。綺麗に着飾りましょう! わたくしもお付き合いさせていただくわ」

「とても助かるよ。女性の支度にはやっぱり女性のほうがいいと思うから」


 カーティスはほっとした。

 ミアの手前、一緒に出掛けるとは言ったものの、ドレスの見立てなど得意なことではない。

 必要最低銀の知識は持ち合わせているが、流行り云々と言われてしまうと太刀打ちできる気がしなかった。

 それらに精通しているアイリーンが手伝ってくれるなら安心である。


 話がひと段落したのを見計らったように、クラウスが、ところで、と口を挟んだ。


「アイリーン、この子、誰か知ってんの」


 カーティスの話では、名前を出さなかった。

 トントンと話は進んだものの本当に理解しているのかとクラウスは心配になったのだ。

 アイリーンはそんなクラウスを尻目に口の端を上げて笑う。


「ええ。ミア・ベイカーさんでしょう。可愛らしい方ですもの、すぐにわかりましたわ」


 迷いもせず即答したアイリーンに、面白くなさそうにクラウスは嘆息した。


「あーあ、知ってるかー。カーティスはわからなかったのに」


 その台詞に、ちらりとカーティスを一瞥して、アイリーンはミアに向き直った。


「ドレスの件は、早々に洋裁店へ参りましょうか。パーティーまでそれほど日数もございませんし。このお休みの日でよろしいですか」


 段取りよく進めてくれるアイリーンには感謝しかない。

 相手のミアはアイリーンの気迫に押されているようにも見えるが、楽しそうなアイリーンには口を挟めない。耐えてくれ、と贄になってもらう。

 パーティーまで二週間を切っている。

 ドレスを一から仕立てるのであれば厳しい期限だ。

 しかし、アイリーンの行きつけの店であれば、何においても優先して仕立ててくれるだろう。


「ドレスは当日までに用意できるように手配しますわ。けれど直近の問題が別にあるの」


 アイリーンの翡翠色の瞳が、ミアからカーティスに移って、それを射抜く。


「もう少し、自重されてはよかったのでは?普段女性を連れて歩かないカーティス様が、女性を連れていると今頃噂が広がっているでしょう。しかも、ミア・ベイカーさんは結構有名なの。貴方がたは知らなかったみたいだけれど。おそらく、ミア・ベイカーさんの名前も広まるわ」


 アイリーンの鋭い指摘に、カーティスは大きく溜息を吐き、天を仰いだ。


 それもそうだ。なんで気付かなかった。

 


「今もよ。周り、ご覧なさいよ」


 そう言って、アイリーンは目線で促した。


 食堂は生徒全般に開かれたもので、誰でも使用できるのである。

 大声でなければ内容は聞かれないほどには各テーブルの間隔は広くなっており、植物で簡易的な仕切りもあるにはある。

 しかし、個室ではない。

 いつものメンバーの三人であっても、遠くからちらちら視線を向けられるのだ。

 その中に見慣れないミアがいれば、刺さる視線はもう、ちらちらどころではない。

 誰よあの女! と聞こえそうな視線をあからさまに送ってくる女性もいる。


 うわー。しまったな。


 ミアのことを思えば食堂に連れてくるべきではなかったのかもしれない。

 普段あまり周囲を気にせず利用していたため、全く気付かなかった。


 四人がいるテーブルを見る視線は男女問わず多く、物珍しげな視線もあれば敵意を含む視線もある。

 カーティスたちは気にしないが、貴族の中には──それは肩書きを大事にしたがる中堅の貴族に多いのだが──平民の分際で、と彼女のクラスメイトであるカミラも言っていたように、平民を下に見る人間は多い。

 成績トップの地位を得ているとはいえど、ミアもその対象に含まれるのだ。

 平民の分際で、カーティスに取り入るなんてと言われようものなら、ミアになんと謝ればよいのか。

 余計な攻撃の口実を作るのは失態でしかない。


 カーティスは慌てて、少し屈んでミアに視線を合わせた。


「……そこまでは気が回らなかった! 本当に申し訳ない。ミアをトラブルに巻き込みたくはないのだけど」


 カーティスの謝罪に、ミアは焦ったように手を振った。


「い、いいえ! 私だけではドレスの準備もできなかったので、とても助かっています」

「しかし、」


 ここでアイリーンがパンと手を鳴らした。

 三人の意識がアイリーンに向くと、「一つ、考えがあるのですけれど」とにんまりと悪戯をする子供のように笑う。


「ベイカーさんは、”わたくしの”友人ということにしませんか」


 カーティスではなく、アイリーンの友人。

 ミアと同性のアイリーンの友人であるほうが、ミアにとって害は少なそうだ。

 さらにそれであれば、食堂に向かう途中、アイリーンに用事があったミアと合流した、ということにできるのだ。

 もちろんアイリーンに取り入ったと責められることも考えられるが、敵意はだいぶ減るだろう。

 女性を寄せないと噂されるカーティスとは違い、気に入ったものは隔てなく愛でる、とアイリーンはそう認識されている。


「……なるほど」

「うん、いいんじゃない?」


 それはいい考えのように思う。カーティスとクラウスは頷いた。

 ミアの様子を伺うと困ってはいるものの、嫌そうではない。


「どう? ミア。君が嫌でなければ、そのように振舞ったほうが君への害は少なくなると思うのだけど」

「……はい。お気遣いありがとうございます。友人として接していただけるなら光栄です」


 ミアが嫌なら、と続ける前に、ミアは賛成の意を示した。

 アイリーンは満足げに頷く。


「そうと決まれば、ミア、とお呼びしても? 私のことはアイリーンで構いませんわ」

「……アイリーン、さん?」

「ええ、アイリーンでも構いませんけれど、今はそれでもいいかしら」


 それはもう愉しげにミアと話す姿は、さながら久しぶりに会う友人と話すようだ。

 さっそく友人設定を徹底し始めたのかとカーティスは思ったのだが。


「こんなに可愛らしいお友達ができるなんて! カーティス様の無計画さに感謝したいくらいだわ」


 心から、ミアと友人関係を築けることを楽しんでいるようだ。

 アイリーンと友人だということでカーティス関連での手出しはされにくいだろうし、有力な伯爵家令嬢と交友を持てるというのはミアにとっても有益になるだろう。


「ドレスを仕立てるときには一緒にカフェにも行きましょう! ドレスもカーティス様がご購入くださるということですから、お金は一切お気になさらなくて大丈夫よ。ミアに似合う素敵なドレスにいたしましょう」


 出費は嵩むかもしれないが、仕方ない。


 カーティスはキャッキャとはしゃぐ女性二人──おもにアイリーンだったが──をしばらく眺めて、それからおもむろに口を開く。


「で、アイリーン嬢。君は一体何が得になるんだ」

「そうだな。アイリーンが旨みもなく手なんて貸さないだろうし」

「まあ、酷い言い草ではないこと?」


 男二人の悪態に近い言葉に、けれどアイリーンは怒るでもなく悲しむわけでもなく、ただただ微笑む。

 それが怖い。


 ミアとお友達になれたというだけでも素晴らしい収穫ですけれど、とアイリーンは前置きして。

それはそれは、遠くで様子を伺う人間さえも魅了するような、そんな微笑みを見せた。


「カーティス様に貸しが一つ作れたということかしらね」

「……どうかお手柔らかに頼むよ」

 

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