第5話 うちには強い騎士がいてね
「つまり、カーティス様は、ご当主様とずっと旅行していた、と?」
真剣な面持ちで、アイリーンは言う。
あまりにも目が据わっているものだから、カーティスは頷くのを躊躇われたほどだ。
「んん? まぁ、そう言われるとそういうことになるのかな?でも旅行が目的ではないんだけど」
あえて断定せずに答えるも、アイリーンの凄みは収まらない。
心底口惜しそうに、テーブルの上で掌を握り締めた。
その様子を眺めながら、カーティスもクラウスもそっと目の前のカップに手を伸ばす。
普段は使わない角砂糖を三つ落として、音を立てずに飲み干した。
二人ともアイリーンとは目を合わそうとしない。こういう状態のアイリーンに絡まれるとろくなことにならないのだ。
注目を浴びていたガーデン近くから移動して、三人は校内の談話室でティータイムを始めていた。
貴族が多く通うこの学校にはメイドが常駐しており、ちょっとしたお茶やお菓子の準備はスムーズにやってくれる。
さすがに日頃の身支度の手伝いまでは学校のメイドはできないので、必要があれば家からメイドもしくは執事を一人連れてきてもよいことになっている。
貴族であれば、使用人の一人も連れてこられないのかと思われては困るからと、連れてきている学生の方が多い。
が、カーティスとアイリーンは連れてきていなかった。
見栄を張る必要もなければ、世話をされる必要もないのだった。
クラウスには執事がいるが、クラウスもまた基本的に自分のことは自分でできるので連れて歩くことはしない。
今も学校のメイドにお茶を準備してもらったが、その後は退席してもらった。
談話室に三人、休暇中の話をしながら優雅なティータイムとなるはずだったのだけど。
「いや、アイリーン。羨ましいのはわかるけどな、そこじゃないだろ。問題は、カーティスが実家まで帰って、後継者の承諾を受けてこられなかったってことだ」
アイリーンの逆鱗に触れないように淡々とクラウスは言う。
それにアイリーンは小さく首を傾げた。その顔は怪訝に歪められている。
「ええ……? そのお話は自領内のことなのだから、お好きにどうぞ、とわたくしは思うけれど」
あっさりと無関係な立場を示して、アイリーンは続ける。
「それに、ご当主様がそう言われるのでしたら、何かお考えがあってのことでしょう。わざわざカーティス様に嫌がらせするような心の狭い御方ではございませんし」
だから大した問題ではないわ、とアイリーンは落ちてきた長い藍色の髪を耳にかけた。女性らしい白い首筋が見える。
見惚れるような仕草だが、残念なことに、この場にそんな輩はいない。
それどころかアイリーンの言葉に物申すようにクラウスの目が鋭くなったのを見て、カーティスは慌てて割って入った。
余計な火の粉を食らわないように気配を消していたが、そもそも自分の話なのだ。
「……確かに自領の話だ、聞いてもらえるだけで助かるよ。後継者の話は、父上に考えがあるのかどうかは知らないが、拒否されたわけでもないから、また帰ったときに話をしてくるよ」
だから大丈夫だと、アイリーンとクラウスの口喧嘩が始まる前にこの場を収めるよう努めた。
気を紛らわせるようにお茶を入れ直し、再度口を潤す。
ほっと息を吐いた。
カーティスのそんな様子を見て、クラウスも一拍置いて頬を掻く。
その表情は幾分か和らいでいた。
「いや、お前の話だから、本人がいいなら俺がとやかく言うことではないけどな。後継者ってのは、な。……大事だろう?」
貴族の爵位は基本的には長男が受け継ぐものだ。だが例外もある。
後継者争いが起きることはままにあるのだった。
「しっかし、カーティスは一人息子だろ? 普通は後継者に決まっているようなもんなのに。なんてったってそんなにカーティスは弱腰なんだ?」
クラウスの問いに、アイリーンの視線もカーティスを向く。
二人の視線にカーティスは一瞬言葉に詰まり、ずっと忘れられないあの時の言葉が鮮明に脳裏に浮かぶ。
しかしすぐにカーティスはぱっと笑顔を見せた。
笑顔を取り繕うのは得意だ。
「大したことじゃないんだ」
──あれは、マリーに出会う前。
まだ勉強にも剣術にも真剣ではなかった頃だ。
◇◇◇
カーティスは屋敷内を探検とばかりに歩き回っていた。
大きな屋敷のため、壁の装飾や絨毯の柄などを楽しんで見て回るとあっという間に時間が経ってしまう。
気づくと、あまり近づかないロイモンドの執務室まできていた。
仕事中に邪魔をしてはいけないな、とカーティスは進行方向を真逆へと変更した。
が、タイミングが悪かった。
執務室から、ロイモンドとフランツの声が聞こえてくる。
『どうだい、カーティスの様子は』
『どうもこうも……いつも通りですね』
自分の名前が出て、カーティスは進む足を止めた。
執務室の扉に目をやると、少し隙間が開いている。
閉め忘れたのか、閉める必要もない程度の話なのか。
カーティスが聞いているとは考えていないのだろう、二人の話はそのまま続いていく。
『そうか。勉強もよく抜け出していると家庭教師から報告がきている。剣の方は身体を動かすものだし、勉強が苦手でも剣ならと思っていたのだけれど』
やはりそういうわけでもなさそうだね、とロイモンドは呟いた。
『まあ、あいつはまだまだ子供ですからねぇ』
『ふむ。まあいいんだ。遊ぶのが好きならそれで。少し、貴族のルールからは逸れるかもしれないが、好きなものを追えるのは良いことだろう』
不真面目なカーティスの態度を正そうとするわけでなく、ロイモンドはふ、と小さく笑う。
もたれたのだろう、椅子がぎいっと鳴った。
『いや、ロイモンド様。カーティスは跡継ぎでしょう? そんなに呑気にしておられては必要な教養を教え込む時間が無くなりますよ。剣の方だけでももっと力を入れましょうか』
フランツの提案にロイモンドは考えるように喉を鳴らした。
立ち聞きしているカーティスの顔は、今より鍛錬が厳しくなるのかもと強張ったのだが、ロイモンドは予想を裏切って静かに否定する。
『それに関しては、意見が合わないね。確かに跡継ぎは必要だが……別にカーティスでなくてもいいと思っている』
『は、何を仰って、』
『ああ。冗談ではないよ?跡継ぎなど、血に拘らなくてもいいと私はずっと思っているからね』
『は……』
戸惑うフランツの声に、ロイモンドがくすくすと笑う。
『ほら、養子を迎えたりもするし、ね』
『いえ、それは、』
跡継ぎにできる男児が生まれなかったからだ。
子供ができない場合もあるし、跡を継げない女児ばかり生まれることもある。
健康な息子がいる上で、迎えた養子を跡継ぎに据えるなどあまり例を見ない。
『力さえあれば、血筋なんて関係ない。この家は特に。……フランツは強いからね。君を養子として迎え、跡継ぎになってくれれば私も嬉しいのだけど。もちろん君が嫌でなければ、だが』
そう話すロイモンドはずっと楽しげだ。
カーティスは止めていた足を無理やり動かした。
この先の会話も、ロイモンドの楽しそうな声も聞きたくなかったのだ。一心不乱にこの場を去る。
どう辿ったのか記憶にはないが、気づくと自室のベッドに倒れ込んでいた。
手入れのされたリネンに、心臓の音が響く。
……ああ、五月蠅い。
急いで廊下を歩いてきたからか、衝撃的な会話を聞いたからか。
大きくなった心拍は一向に治まらない。
跡継ぎなんて面倒だと思っていた。父のようになりたくなかったから。
しかしロイモンドの口から、後継者にフランツを、と聞いてしまうと、どうしてと思わずにいられない。
面倒でも、いつか自分が跡を継ぐんだろうとカーティスは思っていた。
それが不要だと聞いた今、自分の存在意義がなくなっていくように感じたのだ。
手足が冷たくなっていく。
自身の手なのかシーツなのかわからなくなるほど感覚が無い。このまま、ベッドの一部として消えてしまえればいいのに。
カーティスの頬を涙が一つ伝い、リネンに真新しい染みができる。
それを隠すようにくしゃっと握りしめた。
跡継ぎになりたくない、じゃなかった。
そもそも力の無い僕には、その資格すらなかったんだ。
◇◇◇
穏やかな笑顔を張り付けたまま、カーティスはクラウスの疑問に答えていた。
「…………うちには強い騎士がいてね。本当に強いものだから、なかなか勝てないんだ。だから、自信がつかないのかもしれないな」
嘘ではないが、本心でもない。
そんな台詞に気づいたのかクラウスは目を細めて頷いた。
「へーえ。強い騎士、ね」
しかしそれ以上踏み込んで聞かれることはなく、クラウスはお茶とともに用意されていたクッキーを摘み始めた。
カーティスは内心ほっと胸を撫で下ろし、同じくクッキーに手を伸ばす。
程良い甘みが口の中に広がった。
さくさくと静かに音が鳴る中、アイリーンが、ポンと手を叩いた。
「ねえ。そんなことより! 今度、帰省される際にはわたくしも連れて行ってくれないかしら。リーヴェル領にも興味ありますし……ご当主様にもお会いしたいですし」
目的がロイモンドだと堂々と告げ、アイリーンが満面の笑みを浮かべる。
いつも浮かべている微笑みとは違う、楽しそうな笑みだ。
自分の願いを率直に言えるところには好感を持てるものの、できることとできないことがある。
「……未婚の女性を、しかも婚約者のいるご令嬢を、屋敷に招く真似はできないかな」
助けてくれ! とクラウスに視線を送るも、それは意味を為さなかった。
クラウスはにやにや笑って、挙手する。
「あ、じゃあ、それ、俺も行こっかな」
「は?」
「アイリーン一人じゃなくなるし、俺はアイリーンの婚約者だし。俺ら二人ともカーティスのご学友なわけだし。友人が家へ遊びに行っても何も問題ないと思うんだけど?」
それは名案ね! とアイリーンはクラウスを珍しく褒め、二人揃ってカーティスを見る。
こういうときばかり気が合うのだ。
期待に満ちた眼差しの二人に、たっぷり数十秒停止して、引く気が無いことを感じ取ったカーティスは溜息とともに頷いた。
「……機会があればね」
最後の足掻きとばかり、その機会が来ないことをカーティスは祈るのだった。
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