第2話 僕も成長しているとは思うんだけど
──カァン
くすんだ空へ剣が弾かれて飛び、地面に転がった。
剣の刃は潰れている。
あー、くそ!という声とともに枯れかけた葉が舞った。
「……成長しているじゃないか!」
フランツは目を丸くさせ、地面に座り込むカーティスに手を出した。
手を取って起き上がる。
「そりゃあ鍛錬を欠かしていないんだ、成長していないと困るよ」
「そりゃ違いない」
「けど駄目だー! まだフランツに勝てない!結構自信あったんだけど!」
十歳の誕生日から五年。
カーティスの身長も伸び、大柄のフランツには及ばないものの長身と呼ばれる部類に近づいた。
体格的にも勝機はあるかと思っていたのだけれど。
父親譲りの亜麻色の髪は今は小さく縛られており、肩で息をするたびぴょんぴょんと跳ねる。
対するフランツは涼しい顔で立っていた。
「いやいや強くなってる強くなってる! けっこう本気を出してんだぞ、これでも」
「でも息すら乱れていないじゃないか」
「お前……現役騎士を舐めるなよ」
呆れた顔にカーティスはじろっと睨むしかできない。
現役騎士、とフランツは言うが、普通の騎士であれば勝てることをカーティスはすでに知っている。上位騎士であり、父ロイモンドの信頼も厚いフランツがどれほどの力の持ち主なのか、どんなに強いのか、ようやく正確に理解したのだ。
力がわかるほど成長したとも言えるが、その力の差に落ち込みたくもなる。
「ふふ、お疲れ様です。休憩になさいますか?」
「コリンナ! そうだね、お茶を頼むよ」
「かしこまりました」
赤銅色のお団子頭でメイド服に身を包む彼女は、カーティスが幼い頃からこの屋敷で働いている。
初めは見習いとしてだったが、今では立派なメイドに成長している。
年齢がそう離れていないこともあり、メイドの中では一番話しやすく、こっそりと愚痴や相談事、自慢などを溢していた相手である。
訓練場の端にある簡素なベンチに腰掛け、準備してくれていた外套を軽く羽織った。
入れてもらったお茶を受け取る。フランツもそれに続いた。
「コリンナ聞いてよ。フランツが酷いんだ」
「どうされました?」
「余裕な顔であしらってくるのに本気を出してるなんて嘘ついてさ、僕も成長しているとは思うんだけどそれを一切感じさせてくれないというか」
「あらまあ」
「僕としては、久しぶりの手合わせだし少しくらい花を持たせてやろうと思ってくれてもいいんじゃないかと思うわけ」
「そうでございますねぇ」
「そりゃあ本気で相手してくれないと練習にならないのかもしれないし、手を抜かれて勝っても面白くないんだけども」
「ええ」
にこにこと笑うコリンナに、何をぼやいているのかわからなくなったカーティスは一つ大きく息を吐いた。
見ればフランツもにやにやしている。
「……ああ、わかったよ! フランツは悪くなかった」
「ふふ」
「分かればいいんだ、分かれば。ちゃんと誤りを正せるのは良いことだぞ」
口を尖らせて、どうにもこの二人にはなかなか敵わないなと思うカーティスだった。
「それにしても、少し見ない間に大きくなられましたね」
「ふふん。だろう?」
まだ私には及ばないけどな、と間髪入れずフランツが呟いたのが耳に障る。
「もーうるさいな!」
「カーティス坊っちゃまは、」
「コリンナ、もう坊っちゃまっていう歳でもないからさ」
「あ、失礼いたしました。カーティス様は、ますますロイモンド様に似てこられましたねぇ」
悪意の全くない笑顔に、カーティスは少し眉を下げた。
嬉しくもなんともないが、自覚があるだけに反論もできない。
「とても格好よく、学校でもさぞ女性に人気なのではないですか」
「えー、そうかな? 僕は騎士専攻だから学校で女性との関わりはほぼ無いんだよ」
「あら。そうでございましたか。昔はともかく、今のカーティス様でしたら周りの女性が放っておきませんよ」
「……何か、トゲがあるように聞こえるな?コリンナ」
一応褒め言葉なのだろうが、素直に喜べない。
コリンナは爽やかな笑顔を崩さず、大袈裟に頷いた。
「ええ、抜け出した坊っちゃまを探しに屋敷中走り回ったり、折角綺麗に本棚へ並べた本を片っ端から平積みにされ涙したり、坊っちゃまが持ち込んだ土や虫に掃除が何度やり直しになったかわからないほどですけれど、今のカーティス坊っちゃまは、いえカーティス様はとても立派になられて! 今までの苦労も報われるというものです」
「うううん……悪かったよ」
髪を留めていたゴムを外し、頭を掻いた。
あの頃は迷惑をかけているつもりはなかったが、よほど困らせていたのだろう。
フランツを見ればうんうんと頷いているからよほどだったんだろうなと思いつつ、息を深く吐いた。
温かいお茶の湯気が白く上る。つられて見上げれば空は白く、葉の落ちた木が風になびいていた。
──あれから五年。
サボり癖は直した。勉強にも剣の稽古にも力を入れるようになった。結果、成果は出てきているとは思う。
ロイモンドからはどちらでも構わないと言われていたカーティスだったが、王都にある寄宿学校へも通うことにした。
十四歳になる年から入学することができるのだ。
入学には試験があるが、やる気を出したカーティスはトップクラスの成績で入学を果たしていた。
試験が通過できれば身分に関係なく入学が可能で、無事に卒業すれば王都で専門職にも就ける。
生活に余裕のある貴族であれば家庭教師を雇って家でも勉強することができるため、入学できる学力があっても無理に通わない貴族は少なくない。
そういった貴族は大概名家であるため、職に就く必要がなかったりツテやコネで職に困らなかったりするからだ。
カーティスも特段学校へ行く必要はなかったが、王都や平民の様子を見てみたいとロイモンドに入学の許可をもらったのだ。
誰にも言っていないが、この屋敷から出て、一人で学びたいと思ったことも理由だった。少しでも自立したかったのだ。
学生は寮で生活するが、年に二回ある長期休暇には帰省が認められている。
カーティスも今回、入学してから初めて帰省していた。
「……戻ってからロイモンド様には会ってきたのか?」
「いや、まだ」
「帰ってきたのは一年半ぶりだろう? 一番に挨拶に行くところだろう、そこは」
呆れたように言うフランツにカーティスは口ごもる。
「まあ、ね。そうなんだろうけど、ふつうはね。うん」
「なんだロイモンド様に会えるのがそんなに不満だっていうのかお前は」
「不満というか……気まずいというか」
「何が気まずいもんか! ただいま帰りましたとお前にできる一番いい笑顔で挨拶差し上げてこい!」
「あー、うん、フランツにはそう言われるとは思っていたよ」
遠い目で、屋敷の窓を見つめる。
そこはロイモンドの執務室だった。
「……これから、行くつもり、なんだ」
「そうか! 早く行け!」
「ええ、それがよいかと思います」
行きたくないと書いた顔で渋々言った言葉に、フランツとコリンナは揃って同意を示す。
一人くらい僕に優しくてもいいんじゃないかな。
しゅんと落ち込んで、行ってくるよとカーティスは立ち上がった。
屋敷に向かう背中に、きちんと身なりを整えてから行くんだぞとフランツの声が降り、ますますげんなりしながら足を進めた。
「父上、カーティスです」
「ああ、入って」
「失礼します」
軽くお辞儀をして入室し、久しぶりにロイモンドの顔を見た。
まるで衰えない整った顔に、自分が一つも成長していないかのような錯覚を覚える。
だから嫌なんだ。
一瞬眉をしかめたのを見られたのかロイモンドは眉尻を下げて微笑った。
「……いつ帰ってきたのかい」
「さきほど、帰りました。フランツと手合わせをしてきたところです」
「おお、フランツと。どうだい、彼は強いだろう」
「はい。僕も多少相手になるかと思っていましたが、まだまだでした」
本当は勝つ気でいたのだが、悔しいやら恥ずかしいやらでおくびにも出さない。
しかもフランツよりもロイモンドの方が強いというのだから、ロイモンド相手に勝負になるのは当分先になることだろう。
いつか父上にも勝ちたいんだけどなと椅子に座るロイモンドを見やり、そのまま屋敷や領地内、学校の近況を言い合った。
「そういえば父上も同じ学校に通っていたのですね」
「ああ、そうだね。誰かから聞いた?」
「はい、校長先生から」
「あ、そうか。彼とは同級生でね。変わったやつだが、とても頭が切れる。弱みは握られないようにするのが賢明かな」
近況報告という名の雑談に終始穏やかな顔を浮かべていたロイモンドだったが、ふと真顔になった。
「ねぇ、カーティス。お前が社交場に顔を出していると聞いたのだが、本当かい」
聞かれると思っていた質問がとうとうきた。これが気まずい一因だった。
ロイモンドの耳に入っているということはすでに裏も取れている情報で、ただカーティスの口からも聞いておきたいというだけの台詞だ。
誤魔化せるとも思っておらず、はい、とカーティスは頷く。
「別に怒っているわけじゃないし、それ自体が悪いことであるとも思っていない。ただ、“お前が“社交場に現れていると“私の“耳に届いている。……その意味がわかるね?」
真顔のままの問いに、またも頷く。
「はあ…………どうして名を隠さなかった?隠せば、私の耳に入るようなことにはならなかったのに」
「隠す必要がないと考えたからです」
「それは……、お前の一存でできることだったかな」
ぴり、と視線が刺さる。
やっぱり怒ってるじゃないか。
「僕の勝手な判断で行ったことだとは承知しています。確認を取らなかったことは申し訳ないと思っていますが、そんなに隠さなければいけないことでしょうか」
僕がロイモンドの息子として社交場に出るのはそんなに恥ずかしいことでしょうか。
カーティスが顔を引き締めてロイモンドに問えば、さらに大きい溜息を吐かれてしまった。ついでに大きな掌で自らの顔を覆う。
そんなにか。
だから父上と顔を合わせるのが嫌なんだ。
僕はいつも、一人の男として扱ってもらえない。
カーティスは目を逸らしたくなるのをぐっと堪えた。覆われた顔を見続ける。
ややあって、カーティスとロイモンドの藍色の目が合った。
ロイモンドは小さく口を開く。
「お前が、私の跡を継ぐというのかい。わかっているとは思うが、お前が社交場で名を明かすとはそういうことだ」
表情が読めないロイモンドに、もう一度頷いた。
知っている。
知っていて、やったのだ。
「はい。そうでありたいと……まだまだ未熟ですが、そうなれるよう精進していきたいと考えています」
ロイモンドという人物は、王都でも領地でも、はたまた他の領地でも影響力のある人間で、そんな彼と同等になれる日はくるのだろうかと気が滅入ることもある。
ただ、そうなりたいという気持ちに嘘は無い。
たとえ、ロイモンドがカーティスを、自分の息子として社交場に出したくないほど、出来が悪いと思っていたとしてもだ。
震えないように手を握りしめ、目は逸らさない。逸らせば負けだとわかっていた。
「…………そう。これでこの話は仕舞いにしよう。久しぶりの我が家だろう、残りの冬休みを満喫しなさい」
下がっていいよと言われ、カーティスはそっと目を伏せて執務室を後にした。
お前に私の跡が継げるものかとロイモンドの声が響いた気がした。
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