偽りの僕と君とのしあわせな世界
夕山晴
カーティスは何も知らない
第1話 面白くないんだもん
「おい、カーティス! いい加減にしろ!」
「あ、フランツ。やあ」
木の下で寝そべっていた身体を軽く起こし、カーティスは手を挙げた。
「やあ、じゃないだろう! いつもいつもお前は剣を放り出して!」
父の部下であるフランツはよく稽古をつけてくれる人物で、カーティスのサボり癖の一番の被害者だ。
身軽なシャツとズボンで現れたフランツは騎士の身なりとは程遠かったが、腰に下がった上位騎士にのみ与えられる剣が強さを証明していた。
フランツの、筋肉がしっかりとついた腕から目を逸らしてカーティスは言う。
「だって、重いし疲れるし痛いし、面白くないんだもん」
「──いつも言うのな、それ。面白いかどうかは、ある程度やらないとわからないんだぞ」
「やってるよ~」
足を左右にプラプラさせて、カーティスは口を尖らせる。
「いーや! お前のはやってるとは言わないんだ! もう少しロイモンド様を見習ったらどうだ」
「父上? そりゃあ父上が見習うべきすごい人だって言うのは知ってるよ。みんな言ってるし」
鍛錬をしないカーティスに周りの大人は口々に言う。
お前がロイモンド様の跡を継ぐのだから、剣の稽古も勉強もちゃんとして、立派なロイモンド様のようになりなさい。
もう聞き飽きている。
「せっかくロイモンド様自ら稽古をつけてくださる機会もお前はふいにするし」
「だって剣は面白くない」
周りの同じ年頃の男の子と手合わせをすれば、負けなしだったこともそれを助長させていた。
嫌々ながらとはいえ、王から自国の警備を任せられるほどの父から鍛錬を受けていたのだから、勝つのは必然だ。
それがカーティスにはわからない。
同じ年頃にライバルがいない、向上心もない、目標もない。そんなカーティスは一層鍛錬を怠るのだ。
「ああ、嘆かわしい! お前の稽古に充てる時間を、私との手合わせに使ってもらえないだろうか!」
「父上に言ってあげようか?」
「馬鹿か! そんなことお前の稽古を任されている私が言えるわけないだろう! そもそもそんなことをご自身の息子であるお前の口から聞かされるなどお優しいロイモンド様が悲しむだろう?!」
相変わらずの父への熱量にカーティスは苦笑した。
フランツの良いところは、ロイモンドとカーティスを一切一括りにしないところだ。
十歳も離れてはいるが、まるで友人かと思うような掛け合いも楽しかった。
「え、そんなこと気にしないと思うけど」
「お前に見せておられないだけだ」
「えー、そうかなぁ? 僕のこと、稽古の時以外で気にしているの、見たことないんだけど」
一度稽古を始めれば一切手を抜かないロイモンドだが、始めるまでは何も言わない。
周りの大人は跡継ぎだと騒ぐけれど、彼自身どう考えているのかさっぱりわからない。
口に手を当てて思い返すも、顔を合わせれば他愛もない話をするだけだ。
首を捻ってばかりのカーティスにフランツは精悍な顔を苦渋に歪めた。
「……! ……っ嘆かわしい!」
「あーはいはい」
涙を流しそうなフランツのふくらはぎを軽く叩く。
背中を叩くには立たなければならず、面倒くさいカーティスは身近なふくらはぎで妥協した。
「────本当、そういうところだぞ。お前、やればできるのに、何をそんなに面倒がる?」
何をそんなに気負ってる?
少し落ち着いたのか睨みを利かせるフランツに、からからと笑った。
「たった今泣きそうだったフランツに言われてもな〜」
そう言ってカーティスはもう一度転がった。
目を瞑る。
「……いつも言ってるでしょ。面白くないんだって」
「……まあお前がそう言うなら無理強いはしないがな。俺は、お前はできると思うぞ。今まできっかけがなかっただけでな」
フランツはカーティスを見下ろして、それ以上は何も言わなかった。
◇◇◇
いつものように勉強を放り出し、カーティスは屋敷の庭を詮索していた。
手習いをするくらいなら、庭で虫を探していたほうがよっぽど楽しい。
茂みの中でごそごそと虫探しに興じる姿を、家の使用人が見つければきっと溜息を吐くのだろう。
枝葉の間から見えたメイド服が右へ左へ通りすぎていく。
「? なんだか今日は騒がしいな」
そう呟いてから、カーティスはにんまりと微笑んだ。
今日でカーティスは十歳になる。
勉強や稽古は疎かにしているが、それ以外のことにおいてはカーティスは物分かりの良い少年であり、家庭教師など一部を除いては、使用人との関係は良好だった。
サプライズかなー、と意識して隠れるように身体を縮めた。
息をひそめて観察していると、メイドに交じって屋敷の騎士見習いも走り回っている。
いつもより騒がしく、サプライズの誕生日パーティーにしては緊張感がある様子に、カーティスは考えを改めた。
「なんか、これはまずそう、かな。部屋に戻ろ」
茂みからお尻を出した瞬間、いつもの怒鳴り声が聞こえた。
「カーティス!!! 見つけたぞ!」
どこ行ってた!とフランツがカーティスの首根っこを掴む。
「見つかっちゃった~。けどこれ大好きなロイモンド様の息子にする態度じゃないよねー」
吊られながらいつものようにおどけてみせたが、フランツの顔は崩れない。
いつもとは違う様子に、ようやくカーティスは神妙になった。
「えっと、なんか、あった……?」
「お前を、探していた。先ほど連絡があったようでな、本日これから客人がある。ロイモンド様がお前にも出迎えるようにと仰っておられる! ……ってお前はまたそんな泥だらけの格好をして!!」
「ああ、屋敷が慌ただしかったのはそれかな。格好はしょうがないんじゃない、知らなかったわけだしさ。さすがに事前に知ってたら身支度くらい済ませておくよ、僕だって」
「お前っ! 呑気なことを言っている場合か! 急ぐんだ!」
「えぇー。それ僕も必要なの?」
「ロイモンド様が! お前がいてもいなくても構わない顔合わせに、お前を呼んだことがかつてあったか!?」
大声が耳を抜け、数秒遅れて頷く。
「うん、ないね」
「だろう!? 身支度に戻れ!」
急かされてわたわたと服に付いた葉を落とす。家の中にはできるだけ持ち込むなというメイドからの小言を律儀に守って、それから小走りに屋敷に戻った。
「ロイモンド。突然の訪問で申し訳ないな。急に予定が空いたものだから」
「アデル……わざわざこんな場所にまで……言ってくださればこちらから出向きましたものを」
急いで身なりを整えたカーティスとともに、ロイモンドは客人を出迎えた。
そのまま客間の椅子に腰掛けるようロイモンドが促し、全員で着席した。
客人は二人だった。
ロイモンドと同じ歳くらいの男性と、カーティスより少し小さく見える少女。
カーティスは彼らが部屋に入ってきた瞬間、少女から目を離せなくなった。
栗色の背中まで伸びた髪。
淡いピンク色のドレスと白い髪留めは少女の白い肌によく似合っている。
ルビーのような大きな瞳は、緊張からか少し揺れていて、それが一層目を奪う。
「それで、だ。ロイモンド。どうして私が今日ここまできたと思う」
「…………挨拶、ですかね」
嫌々ながら答えるロイモンドに、アデルは満足げに頷いた。そしてカーティスを見やる。
その顔は機嫌良さげに笑っていた。
「……カーティス。たしか初めてお会いするだろう? ご挨拶を」
カーティスは我に返って、男性の客人に向き直った。
「お初にお目にかかります。カーティス・アーレンベルクです」
「君がカーティスか。ロイモンドから話はよく聞いている。アデル・ラインフェルトだ。君の父上殿とは友人でな、今日十歳を迎えた君に会いたくなったのだ」
「? はあ、ありがとうございます」
わけのわからない訪問理由に、カーティスは首を傾げてロイモンドを見る。
ロイモンドの顔は眉間にしわが寄っていた。
にこやかなアデルとは対照的だ。
「……まさか当日にいらっしゃるとはね」
「早い方が良いかと思ってな。お前は興味のないことは忘れるから、少し心配していたのだが……余程気に入っていると見える」
ふははと豪快に笑う彼に、ロイモンドのしわはより深くなった。
「何しろ一人息子なもので」
「それは理解するが、お前にとっても悪い話ではないだろう?」
「それは、そうなんでしょうけど」
ぶつぶつと言うロイモンドをカーティスは珍しげに眺める。
父のこんな萎え切らない態度は初めて見た。いつも冷静に的確な指示を出す父とは違う。
人間味ある姿に、アデルとは本当に親しい間柄なのだろうと呆然と思った。
「まあそう言うな。今日はこの通り娘も連れてきている。紹介させてくれないか」
挨拶なさい、と促され、少女は立った。
栗色の少しウェーブのかかった髪が揺れ、胸元のリボンは小さく跳ねた。
幼いながらも整った顔立ちだとわかる。
カーティスの目に、少女はとても眩しかった。
「こんにちは。マリー・ラインフェルトともうします。カーティスさま、このたびは、十歳のお誕生日、おめでとうございます」
スカートの裾を小さく摘み、にこりと優雅に笑う。
立ち居振る舞いは言うまでもなく、声までもかわいい。
カーティスはしばらく硬直し、どもりながらお礼を言った。
「……あ、あ、ありが、とう……ございます」
それ以降カーティスの頭は今日初めて会った少女マリーでいっぱいになり、ロイモンドのさらに増えた眉間のしわと、濃くなったアデルの笑みには気づかなかった。
「今日は突然すまなかった。近くまで来た際には我が屋敷にも顔を出してほしい。お前は自分の領に篭りすぎる!」
「まあ、行く用事もないもので」
「はっはっ、他の者と親睦を深めるのも悪くないぞ。たまにはまた社交場に現れたらどうだ」
「………………考えておきます」
ロイモンドのあからさまな嫌な顔にアデルは笑い、突然の訪問者たちは馬車に乗って帰って行った。
「カーティス。お前が会うことはしばらくないだろうが、今の二人を覚えておきなさい」
「え、はい」
「……もう少し余裕があるかと思ったが……。あまり言いたくはないが、しっかりな」
そうロイモンドは言い、肩をぽんと叩いて去っていく。
カーティスは今の言葉とマリーの顔を幾度となく思い返すのだった。
部屋に戻る途中、カーティスはラフな格好で屋敷を歩く人物を見つけた。この屋敷内でそんな格好で歩き回るのは剣の指南役の彼だけだ。
後ろから抱きつくように首にぶら下がる。
「聞いてよ、フランツ!」
「お、おぉ。客人は帰られたのか? ちらっと見えたが、ラインフェルト卿だったな」
「知ってる人?」
「そりゃあ、ラインフェルト公爵様だからな」
「公爵家!」
「言われなかったか? 大物だぞ。知らないやつはいないくらいだ。ロイモンド様とは古くからお付き合いされているし、この屋敷にもたまにいらっしゃるぞ」
「へーえ」
「というか、お前も習っているはずだけどな」
余計なことを、とカーティスは顔を歪めたが、その話題は日々散々言い合っているからか深くは突かれなかった。
「それで、どうしたんだ。上機嫌じゃないか」
「……ご令嬢も一緒だったんだけど。や、公爵様とはあんまり似ていない子だったんだけど……」
少し目を逸らしながら、カーティスはぽつりと言う。
いつもよりぼそぼそと呟くと、フランツは少し戸惑い、そしてにやりと笑った。
「ははあ。お前、そのご令嬢、かわいかったんだろう。気に入ったな?」
ずばりと言い当てるフランツを、恨めし気に睨む。
それはそうなんだけどそんなにバレバレなのかな。たしかにかわいいとは思ったけどそれと気に入る気に入らないは別の話では?いや、頭からあの子の笑顔が消えない時点で気になっていると言っているようなもの!もしかして僕が内心浮かれていることは父上にもばれているのだろうか!
「おい! そんなに気を落とすなよ。機嫌が良くなったり悪くなったり忙しいなお前は。お前も男だからな、可愛い素敵な女性に惹かれるのは至極真っ当だぞ」
「……それはそうかもしれないけど、それをフランツに言われるとちょっとなって思う」
「聞き捨てならないんだが」
お前にはまだわからないかもしれないけどな、私だって鍛えているわけだし見目もそんなに悪くないし大人の包容力があったりしてだな…とぼそぼそと聞こえたが、カーティスはまるっと無視をして続ける。
「どうしたら…………僕のこと目に留めてもらえるかな」
「そんなもの決まっている。まあ一概には言い切れないものだが、女性は清潔感があり優しくもあり教養もあり強くもある、そんな男を嫌いにはならないものだ。つまりはお前のお父上であるロイモンド様のように!」
「……ええー、そこで父上?」
「そうだ。ロイモンド様のように、だ。強く、賢くなれば、彼女にも好まれるんじゃないか?」
にやにやしたフランツの言葉に、カーティスは、まぁ一理あるかと頷き、初めてやる気を出した。
嫌がっていた剣の稽古と勉強は、この時から、日課になった。
恋の力は偉大であった。
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