エルナンデス子爵

 イーサン・エルナンデス子爵は退屈していた。自身は地位も金もあり、有り余る時間もある。だがそれすらもエルナンデスを満足させる事はなかった。エルナンデスは父、ロバート・エルナンデス伯爵の長男だった。だが伯爵である父が亡くなった場合、伯爵を継ぐのは弟のフレッドになる。


 エルナンデスはある失態をおかしたのだ。エルナンデスは金にも地位にも女にもまるで執着しなかったが、唯一好んでいる事があった。それは剣での戦いだ。貴族の嗜みとして幼い頃から剣の師匠に習っていた。エルナンデスは剣の師匠に見出され師よりも強くなった。だがエルナンデスは形だけの手習いに飽きていた。次第に強い剣士と命をかけた試合がしたいと願うようになった。


 ある時トランド国王主催の剣技大会が城で催される事となった。エルナンデスは、意気揚々と剣技大会に参加した。エルナンデスは着実に戦いのこまを進めた。剣技大会で優勝すればトランド国王の目にもとまるだろう。はたしてエルナンデスは決勝戦まで勝ち進んだ。さすが決勝に残っただけあってエルナンデスの対戦相手はとても強かった。エルナンデスは喜びに震えた、この時のために幼い頃より剣を振るっていたのだとさえ感じられた。


 長い間の攻防が続き、ついに対戦相手が降参した。だがエルナンデスは戦いをやめたくなかった、ずっと戦い続けていたかった。止める審判を投げ飛ばし、エルナンデスはひたすら剣を振るった。気がついた時には対戦相手は動かなくなってしまっていた。エルナンデスは、対戦相手を模擬刀で叩き殺してしまったのだ。


 慈悲深いトランド国王はこの事にたいそう怒り嘆いた。エルナンデスの父、ロバート・エルナンデス伯爵はエルナンデスの所業に落胆し、エルナンデスを勘当した。エルナンデスは、子爵の爵位と財産を持たされて、東の辺境の館に幽閉されてしまったのだ。



 エルナンデスは日夜退屈しながら、あの時の剣技大会の事を思い出していた。弱い相手ではつまらない、強い相手を徹底的に屈服させる力をふるいたいのだ。そのようなエルナンデスの願望が、かの者を呼び寄せたのだろう。


 その者は音もなくエルナンデスの自室に入ってきた。その者はまぶかにローブを被り、顔は見えなかったが、しわがれた声からかなりの年老いた老人に思えた。老人はエルナンデスに声をかけた。


「エルナンデス子爵、あなた様は強く望んでいる事がおありです」


 エルナンデスはおっくうそうに椅子から身体を起こすと、老人に向き直り言った。


「一体俺が何を望んでいるというのだ」

「絶対的力で強い相手を打ち負かす事です。私めならばあなた様の願いを叶える事ができます」


 エルナンデスはローブの人物をにらみながら言った。


「どのように俺を強くするというのだ?」

「魔物との契約でございます」


 エルナンデスは思案した。この世で魔物と契約した人間は、強大な魔力を手中におさめる事ができると聞いている。だが魔物と契約するには対価が必要だと言う事も聞く。エルナンデスはローブの男に聞いた。


「魔物との契約に必要な対価は何だ?」


 ローブの男はヒヒヒッとしゃがれた笑い声と共に答えた。


「対価はあなた様の魂です。ですが対価はすぐにとは申しません、あなた様の寿命がつきてからいただくのです」


 エルナンデスはニヤリと笑った。人はいずれ死ぬのだ。死んでからの事など知った事か、エルナンデスは今この時の退屈を解消したいのだ。エルナンデスはローブの男との契約を承諾した。


 ローブの男はエルナンデスの部屋の真ん中に赤い絵の具で魔法陣を描いた。、そしてその魔法陣の真ん中にエルナンデスに立てという。エルナンデスはその通りにした。ローブの男はエルナンデスに、自らの言葉を復唱させた。どうやら魔物と契約する呪文のようだ。初めて聞く言葉を、エルナンデスは注意深く復唱した。


 すると魔法陣からまばゆい光があふれ出し、エルナンデスを包んだ。エルナンデスはあまりのまぶしさにきつく目を閉じた。次に目を開くと、先ほどの光は消え失せていた。目の前のローブの男がエルナンデスに聞いた。


「ご気分はいかがでしょうか?」


 エルナンデスは自身の身体の奥から、あふれ出さんばかりの力を感じた。エルナンデスは身体から湧き上がるような力を吐き出したくて、両手のひらを上に向けた。すると手のひらには光り輝く球体が現れた。魔法だ。


 エルナンデスは魔法というものをこの時初めて見た。そしてエルナンデスは、この自らの魔法がどういったものなのかハッキリと理解していた。エルナンデスは光の球体を部屋の壁に投げつけた。部屋の壁には大穴が空き、その穴からは外の景色が見えていた。


 エルナンデスは外の景色が見やすくなった大穴に足をかけ踏み出した。何とエルナンデスは二階の自室から地上に落下するでもなく、まるで平地を歩くようにスタスタと空中を歩いているのだ。エルナンデスは愉快になり足を早めた。すると自身の身体は、まるで羽を生やしたように軽やかに速度を早めた。エルナンデスは空をかけているのだ。エルナンデスは自身の強大な魔力を自覚した、自分はこの世の王になったのだ。


 エルナンデスを幽閉している森を抜け、いまだ見たこともない森へと足を進めた。そこでエルナンデスは不思議な生物を目撃した。その生物は雄の大きなヘラジカだった。だがただのヘラジカではない、そのヘラジカの背には鳥のような翼があったのだ。この生き物は霊獣だ、エルナンデスはこの時初めて霊獣を見た。そしてある考えが浮かんだ、あのヘラジカの霊獣は王たる自分に相応しい乗り物ではないか。


 そう思い至ると、エルナンデスの手には槍が握られていた。その槍は見た事もない文字がギッシリと書き込まれていた。エルナンデスはその槍をヘラジカめがけて投げた、その槍はまっくずとヘラジカに向かっていった。飛んできた槍に気がついたヘラジカは、自身の防御魔法で槍を止めてしまった。エルナンデスの槍はポトリと地面に落ちてしまった。エルナンデスは我知らず舌打ちをした。


 ヘラジカの霊獣は、何事もなかったように歩き出した。だが思いもよらない事が起きた。地面に落ちた槍が再びヘラジカめがけて動き出したのだ。再び動き出した槍に気づいたヘラジカは、今度は防御魔法を発動する事はせず。自身の翼で空高く飛び立った。そしてあっという間にエルナンデスの目の前から消えてしまった。このようなヘラジカの速さでは、あの槍も追いつけまいと思ったが、しばらくすると、エルナンデスの脳内に映像が思い浮かんだ。


 巨大なヘラジカが地上に横たわっていて、その後脚にはエルナンデスの放った槍が深々と刺さっているのだ。エルナンデスは半信半疑で、吸い寄せられるように走り出した。はたしてそこにはヘラジカの霊獣が横たわっていた。エルナンデスはヘラジカの側に立つと、ヘラジカに声をかけた。


「高貴なる霊獣よ、貴様の名は何という」


 ヘラジカの霊獣がエルナンデスに敵意の目を向けて言った。


『私の名を聞いて何とするのだ。愚かな人間よ』


 エルナンデスはニヤリと笑って答えた。エルナンデスは霊獣の言葉を理解する事ができた。


「まだ自分の立場がわかっていないようだな。貴様は俺を運ぶ乗り物として働くのだ」

『真の名の契約か、死んでも我が名を名乗るつもりはないわ』


 ヘラジカの答えに、エルナンデスはアゴに手をやり思案した。そしてヘラジカの後脚に深々と突き刺さっている槍を見た。すると槍はみるみる小さくなった。途端にヘラジカは叫び声をあげた、全身を駆け巡る痛みのためだ。エルナンデスの槍は、とても小さくなり、ヘラジカの体内を動き回り、ヘラジカの脳内まで移動した。するとヘラジカは大人しくなった。エルナンデスはもう一度ヘラジカに名を問うた。ヘラジカは素直に答えた。


『我が名はエルク』

「エルク、俺の名はイーサン。俺と契約をするのだ」

『イーサン、真の名により契約する』


 エルナンデスとヘラジカの霊獣エルクの周りが輝いた。エルナンデスは強大な魔力と霊獣を手に入れた。

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