第3話 疑惑


 朗らかなワルツを思わせる日々に不穏なノイズが侵入したのは、お屋敷での生活が始まって二週間ほどした時だった。


 やや寝過ごしたわたしがリビングに顔を出すと、珍しく晶斗の姿がなかったのだ。


 今日は朝から創作かな、そう思ってそっとアトリエを覗きに行くと、そこにも晶斗の姿は見当たらなかった。


 ――まだ寝てる?……昨夜は遅くまで作業に没頭していたのね。


 わたしはそう結論づけると、身支度を整えるため自室に引き返した。わたしの脚が止まったのは、リビングを横切る途中でソファーに掛けられた晶斗の上着を見た時だった。


 ――外出着?


 なんとなく上着を手に取ったわたしは、はっとした。上着からふわりと仄かな香水の匂いが漂ったからだ。


 ――これは……芹那がお店に出る時、いつもつけているやつだ!


 わたしはたちまち膨れ上がったある疑惑を、どうしても質さずにはいられなくなった。


 仕事から帰ったばかりで疲れてはいるだろうがそんなことは関係ない。わたしは上着をソファーに戻すと、深く寝入っている芹那を起こしにかかった。


                ※



「なにをしていたか、知りたいの?」


 わたしに追求された芹那は、狼狽えるどころか余裕を感じさせる笑みを見せた。


「いいわ、教えてあげる。何度か私の働いてるお店にご招待したのよ」


「あなたのお店って、女の子が接客するようなお店じゃない」


 わたしは口から出てしまった言葉に、自分ではっとした。芹那の仕事を「昼間の仕事と同じ」と尊重し、色眼鏡で見ることがないよう気をつけてきたつもりだったのに。


「ほんの二、三時間よ。ちょっと楽しんで貰おうと思って、ご招待しただけ」


 悪びれることなく晶斗との外出を白状した芹那に、わたしは思わず食ってかかった。 


「それでも勝手に外出したことには変わりないわ」


「そうよ、いけない?だって晶斗さん、一日中キャンバスやパソコンに向かってて気の毒じゃない。たまには華やかな場所で羽を伸ばした方が、作品のクオリティも上がるってものじゃない?」


「その時間はわたし、寝ているのよ。黙って出て行かれたらその間、何をしているかわからないじゃない」


 わたしは思わず「そんなのフェアじゃないわ」と言いそうになり、すんでのところで飲み下した。


「だったら、お姉ちゃんも研究室に晶斗さんを誘ってみたら?……もっとも、AIだのマイクロロボットだのに晶斗さんが興味を示すかどうかはわからないけど」


 わたしは閉口した。いつからこの子はこんな口の利き方をするようになったのだろう。


「とにかく、晶斗さんをお店に連れて行くのは止めて。……いいわね」


「わかったわ、でも……」


「でも、なに?」


「晶斗さんが勝手に行くぶんには、いいのよね?」


「それは……」


 わたしは沈黙した。たった一度の外出で、それほど引き離されたというのだろうか。


 まるで優位を確信しているかのような芹那の口調に、わたしは激しい焦りを覚えた。

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