第5話 見えない涙

 緋陽昇る朝。天気は晴れ。朝の少し冷えた風を体に受けながら、村人たちはすでに各々のやるべきことに手を付けており、少しずつ外も活気が起き始めていた。私はベッドから起き、窓を開けて宿の屋根に上る。朝の少しひんやりした空気が肺に入り、新鮮な冷えで体が起き始める。

 昨日、私は恐らくこの世界の人ではない子を拾った。彼の居た世界は地球と呼ばれ、私たちとは違う生活様態を持っている。何故彼が昨日、あの場所に居て盗賊に襲われたのか、どうやったら元の世界に戻れるのか、そもそも彼は戻りたいのか、色々と疑問は出てくる。だが、今やるべきことは、まずは彼にとって安全な場所を確保することだろう。何を考えるにしても、落ち着いて考えることのできる時間と場所が必要だ。なので、ここから一番近い都街へ行き、旅人ギルドの宿舎を確保する。そのあとに尋に元の世界に戻りたいか聞いて、それから具体的にどう動くかを考える。


(うん、我ながら良い感じな方針が立ったな。尋が起きたら話そう)


 私はそう意気込む。少し背伸びをしてあくびを吐き、空を飛ぶ鳥たちを見ていたら、下の部屋から歩く物音が聞こえ、尋が起きたのだろうかと思い、窓からまた部屋に戻った。


「あ、おはようございます、アルマリアさん」


 寝起きで目が半分しか開いていない尋が朝の挨拶をしてくれた。寝ぐせのついた髪を手でいじっている。


「おはよう、尋。その様子だと、よく眠れたかな」

「は、はい。久しぶりにぐっすり眠れました。熟睡って、やっぱり大事なんですね。夢の中でそのことを学ぶなんて、なんか変ですけど」


 そういえば、尋はこの世界を夢の中の世界だと考えるようにしているのだ。良くも悪くも、その設定は、彼にとっての非現実なものを納得させてくれる。


「それで、その、これからどうすればいいんでしょうか。すみません、いくら夢の中だとしても、いずれ夢は覚めるだろうし、でも昨日、ああいう人に会ってしまったからには、やはりこのままぼうっとするのもなんか、違うのかなって思って」

「ちょうどそのことを私も考えてたんだ。とりあえず座って」


 私たちはベッドに座り、先ほど考えていたものを尋に話す。


「ひとまず、この村にずっといるのはあまり良くないと思う。昨日のような奴らがいても、正直村の自警団だと対応できない。だから、もっと大きな、都街に行こうと思うんだ。ここから一番近い所だと、オーヴィル王国領の街だね。そこを拠点にして、この先のことを色々と考えようと思う。ここから少しの旅になると思うんだけど、どう?」


 尋は少し俯き、考えているようだ。少しして、尋は口を開く。


「そうですね。アルマリアさんがそういうなら、その方が良いんでしょうね。行きましょう、その都街に。どうか、よろしくお願いします」


 尋は頭を下げてそう言った。とてもきれいで律儀な会釈で素晴らしかったが、頭を下げる仕草に慣れを感じ、妙にやるせない切なさを感じた。

 方針が決まった以上、長居は無用。私たちは宿の朝食を食べ、さっそく村を出発した。


 ひたすら続く街道、緩やかな坂道に辺りには所々に小さな林が茂る。鳥のさえずりと川の流れる音が耳をくすぐる。小さい風が頬を撫で、草木の匂いを届けてくる。尋はのどかな街道の風景にくぎ付けだ。綺麗に整備された街道は歩きやすく、視界も広い。ちゃんと街道を歩くのは久しぶりだが、たまには徒歩も悪くないかもしれない。


「自然が豊かなところって、心が癒されるんですね。ほっと安心感があります」

「尋はこういう環境は慣れてない?」

「そうですね。僕の住んでるところは、都会なんです。こういう自然豊かな環境はなくて、公園に木があるくらい。ここまで広い所はないんです。あるのは、コンクリートで出来た建物の森がほとんどですね」

「ふうん。まあつまりは全く落ち着かない森の中にいたって感じか。それは心休まらないよ。地球って、大変な環境なんだ」

「そうですね。皆がそうではないんですけど、少なくとも僕はダメでした……」


 ここに来る前の尋の居た環境は、かなり劣悪だったようだ。言葉は普通な感じで話しているが、話している表情は辛そうだ。


「でも、そんな生活環境だけじゃなかったんです。特に、学校が今、一番きついんです」

「学校か。人間関係とか? 好きな女子がすでに彼氏いたとか?」

「それは、今のところないんですけど……どうやら、僕は嫌な役目を押し付けられる体質みたいで……皆やりたがらないことは、全部僕に回ってくるんです」

「尋も断れば?」

「それが出来れば良いんですけど、結局引き受けちゃうんです。それで、大体、委員長みたいな上に立って色々とやる役割がほとんどでした」

「上に立つって、本当に大変だと思うよ。でも、委員長ってことは、一応は頼られてるってことなんじゃないの?」

「ええ、最近まではそう信じてやってきました。でも、どうやら、そうじゃないみたいで……」

「反論してこなさそうだから、押し付けられているだけってこと?」

「はは、よく分かりましたね。そうみたいなんです。副委員長の女子から、それを指摘されて、心の中では分かっていたことだったのに、改めてそれを表に出されて言われると、なんだか、心を砕かれたようで、もう何を信じてやっていけばいいのか、分からなくなったんです。そしたら、何か、生きてる希望も疑問に思ってきて……」


 どうやら、尋は地球での生活に疲弊しきっているようだ。話している彼は涙一つ流れていないが、確実に悲しんでいる。人のいないところでずっと泣いてきたのかもしれない。そんな彼を見て、私は、尋の心の整理がひと段落着くまで、傍で支えたいと思った。


「そっか。それはかなりきつい指摘だったね」


 その先の言葉は、何を言っても気休めにしかならないと理解している。なので、私は風魔法の鳥を作り、彼の肩に止まらせ、風で頬を撫でた。彼は心地よい表情で少し辛い表情を緩和させていた。どうやら尋のいた環境は、この世界とは別の厳しいものがあるようだ。物理的な痛みでなく、心理的な痛みが。それからしばらくは、尋は静かに自然に触れ、私は魔物や盗賊などの物理的脅威がいないかを警戒して、街道を歩いていく。

 しばらく歩き、昼前ごろ。尋は街道先にある出来事を見つけた。


「アルマリアさん。あれ、なんか人が襲われていませんか?」

「ん? どれどれ」


 少し目を凝らしてみると、ある人が、集団で囲まれて何かをされている様子が見えた。私の経験上で判断するなら、恐らく人さらいの類だろう。


「あれは多分、人さらいかな。人をさらって、売買する反社会集団だよ」

「じ、人身売買ってことですか……とんでもない場面を見てしまった……」


 尋は驚いた表情で人さらいの場面を見ている。そしてその場面は、集団が一人の人間を縛り上げ、袋に詰めて運んでいくという結末で終わった。この世界では正直ごくありふれた出来事だ。目撃するのは珍しいかもしれないが。だが、尋はどうしても、そのさらわれた人が、気になっているようだった。

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