第七話 五日めの朝

第7話 五日めの朝1



 今日で五日めだ。

 昨夜は湯沢を犠牲にした。彼がグールであってほしい。今朝の被害がなければ……。


 そんな願いはつゆと消えた。

 七時ごろだろうか。目がさめると、廊下でボソボソ話し声。ああ、まただと詩織は思う。


 でも、まだ悪い知らせとはかぎらない。勇気をふるいおこして起きあがる。


「詩織さん。わたしも行きます」

「わたしも」


 香澄と優花も起きだして、ついてくる。


 今日は一階から声がする。

 階段をおりていくと、すでに廊下で血の匂いを感じた。おかしい。今まで、これほど強い臭気を感じたことはなかったのに。


「……なんか、変じゃないですか? すごい血の匂い」と言いつつ、香澄ですら怖いのか、詩織の服のすそをつかんでくる。


「そうだよね。ここまでヒドイのは、今まで——」


 ホールに人影はない。そのさきの廊下であの話し声がする。近づくと、さらに匂いが濃くなった。

 そのあまりの強さに、詩織はたじろいだ。匂いの壁のようなもので近づけない。これほどの臭気がするのなら、そこに恐ろしいがあるのだとわかりきっている……。


 部屋の前に沢井や神崎ら数人が立っている。アリスはかなり離れたところに、とりまきたちといた。室内を見たくないのだろう。


「あの……何か?」


 沢井は青ざめた顔で室内を示す。六人部屋だ。

 昨日、内宮という女の遺体が運ばれたあと、ほかに鍵のかかる部屋がないので、班のメンバーはそのまま、そこを使っていたのだが。


 詩織がなかをのぞこうとすると、神崎が来て首をふった。


「見ないほうがいい」

「でも、何かあったんですよね?」

「あったよ。全員、殺されてる」

「全員?」

「内宮と湯沢をのぞく残る四人、みんなだ」

「えっ?」


 四人が殺された。

 それも、グールにだろうか?


「食べられてるんですか?」

「たぶん。鋭利な刃物みたいなもので刺されてる。両手で首をしめられてる人もいる。肉がえぐられてるのは女の人だけだね」


 女の肉のほうがやわらかくて美味しいから……ということだろう。人喰い熊も女ばかり襲うらしい。


「でも……」

 反論したのは香澄だ。

「そんなのおかしいじゃないですか。昨日の夜、夕食の前にグールは内宮さんを食べましたよね? じゃあ、なんで一晩に何人も食べるの? だって、あれって生存本能がタンパク質を求めるからだって言われましたよね?」


 そう言われればそうだ。

 これまでグールは少なくとも昼のあいだ理性を保ってきた。生きのびたいという本能的欲求以外では人を襲わなかった。

 おかしくなったのは、昨日の夕方からだ。夜になる前に内宮を襲ったり、今朝には四人も……。


 香澄が急に走りだした。六人部屋をのぞいたのだ。


「香澄ちゃん!」


 詩織も追いかけた。

 なかを見るつもりはなかったが、視界に入った。ものすごい光景だ。床が一面、血にぬれ、壁まで、まだらに赤黒く染まっている。人体がバラバラにされて、あちこちにころがっていた。


 詩織は廊下のすみへ走っていき、吐いた。


「だから見ないほうがいいと言ったろ」


 神崎が来て、詩織をホールまでひっぱる。

 香澄も戻ってきて、詩織のとなりに立つ。幽鬼のような青い顔だ。


「……死んでましたね」

「ひどかった」


 神崎が嘘をついてるとは思っていなかったが、やはり、じっさいに自分の目で見るのと、言葉で聞くだけでは違う。


「グールの……仕業ですか?」


 たずねると、神崎はうなずいた。

「それ以外、いないだろ。あんなことするやつ」

「でも、なんで急に……香澄ちゃんも言ってたけど、一晩に二回も人間を食べて……」

「理由はわからない」


 食人は壊死の進行を遅らせるためだ。今朝であの薬剤を打たれてから三日半が経過した。それだけ壊死の進行が進んだのだろうか?


 でも、それなら全員を殺す必要はなかったはずだ。食べたいぶんだけ、殺せば。

 なんだか、さっきのあの凄惨さは、殺すことそのものを楽しんでいるかのようだった。これまでのグールにはなかった凶暴性だ。


「同じ人とは思えない……もしかして、壊死って脳にもおよぶのかな? もしそうなら、性格が変わってもしかたない」


 詩織はつぶやいたが、誰も答えてくれなかった。


 やがて、いつものようにロボットが来て、死体を回収し、室内の清掃を始める。詩織たちは遠くからそれをながめた。


 沢井たちもホールへやってくる。だが、おかしな空気だった。昨日までみんなの指揮をとっていた沢井が、木村や橋田や清水という、初期の仲間内で頭をつきあわせて、何やら話しこんでいる。


「マズイな」と、神崎が言った。

「あいつら、ついに仲間以外を見限ったよ。いつかそうなると思ってたんだ。やつらが率先して指揮してたのは、そのほうが自分たちの生存率があがるからだ。でも、こうなるともう、どこにグールがいるんだかわからないから」


 リーダーがいなくなってしまった。

 それどころか、もっと恐ろしい事実に気づいた。

 今夜からの裁判だ。

 総人数が三十一人だったなら、どこかにグールは隠れているはずだ。でも、たしかにいるかどうか、定かでない。薬で混迷した神崎が数えまちがっただけかもしれない。


 沢井たちもそう考えたに違いない。今夜の処分を誰にしようかと。


 いるかいないかわからない人物より、今たしかにいる者のなかから、少しでもグールの可能性がある人を一人ずつ消していくしかない。そのとき、自分たちの仲間以外の誰を信じるか、いやむしろ、、そこが問題なのだと。

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