第1話 いきなり始まったソレ4



 シャワールームは個室がいくつかならんでいた。いちおう男女でわかれている。


 この施設はもともとホテルか病院のようなものだったのだろう。床にはホコリがたまっているし、窓にヒビが入っていたり、壁に大きなシミがあったりする。長らく使われていなかった廃墟はいきょを、急きょ使えるように水道と電気だけ通わせた感じだ。


 着替えはないが、タオルはそなえつけがあった。これも新しく用意されたものらしく、清潔な香りがしている。熱い湯を浴びて、少しだけ人心地ついた。


「ねえ、結城さん。今夜は三人で同じ部屋を探さない? わたし、一人じゃ寝られない」


 優花がそう言うので、詩織も賛成した。一人になるのは不安すぎる。たぶん法律にふれないギリギリの実験にすぎないのだろうが、それにしても廃墟だし、グールが出るなんておどされれば、怖がらない女はいない。


 三人で建物のなかを歩きまわった。カーテンはやぶれているし、窓にも鉄格子がハマっていてひらかない。それでも、鍵のかかる部屋を見つけられた。パイプベットが壁ぎわに二つずつ、計四つならんでいる。


「ここ、いいですね」

「じゃあ、おやすみなさい」

「早く実験終わるといいな」


 そんなふうに話して、ホコリっぽい布団にもぐりこんだ。


 だが、緊張しているせいか、なかなか寝られない。

 今は夜中の何時ごろだろう。時計もないのでわからない。でも、きっと深夜というほどではなかった。


 どこか遠くのほうで、男たちの話し声がしている。ときおり、笑い声。みんなけっこう快適なようだ。それほど、あわてふためいてはいない。


(わたしは、なんでこんなとこに……今まで何をしてたんだろう? みんな、自分のこと忘れてしまって不安じゃないの? 子どものころの記憶も、何も思いだせない)


 ただ目を閉じると、白い光が浮かんでくる。ふわふわと漂うような感覚……。


 いつのまにか眠っていた。

 とつぜん、目ざめたのは、どこかで悲鳴が響きわたったからだ。


 詩織はベッドにとびおきた。同時に、香澄や優花も起きてくる。


「ねえ、今の、何?」

「わ、わからない。誰かがふざけたんじゃ?」

「そんな感じじゃなかったですよ。お姉さん。断末魔の叫びって、ああいうのじゃないですか?」


 香澄の言うとおりだ。

 夢うつつで聞いたから、男か女かすらもわからなかったが、ただごとではない。あんな悲鳴をこれまで一度も聞いたことがなかった。まるで、獣に生きながら食われてでもいるかのような……。


「どう……する?」


 詩織がたずねると、優花は泣きだした。首をふって、頭をかかえる。

 それを見て、香澄もため息をつく。


「あの感じだと、今さら遅いんじゃないですか? 今夜のグールは食事を終えたんでしょ?」


 食事——つまり、人間が食べられたのか?

 いや、でも、ただのお芝居かもしれない。グールが本物だと被験者に思わせて、行動を観察しているのだ。


 優花が泣きじゃくるので、詩織はその考えを述べた。


「だから、心配ないと思うよ。今夜はもう寝ましょ」

「うん」


 香澄も賛同する。


「それがいいです。どうせ廊下も暗いし。朝になってからたしかめましょう。とにかく、わたし、眠くて、眠くて。おやすみなさい」


 年下の香澄にはげまされる形で、詩織はベッドによこたわった。なかなか寝つけなかったが、それ以降、なんの物音もしない。

 ほかの部屋の被験者たちは、みんな、寝入っているのだろうか。それとも、誰もが安全な朝が来るまで、ようすをうかがっているのか……。


 考えているうちにウトウトしていた。次に目がさめたときは朝だ。

 まだ早朝のようだ。霧が出ている。やぶれたカーテンのすきまから、うすぼんやりした景色がもやのなかに見えた。


 カツカツと足音が聞こえる。すでに誰かが起きて活動を始めているようだ。ぼそぼそと話し声も届く。


 詩織は気になって起きあがった。


「どこへ行くの?」


 声をかけてきたのは優花だ。あれからまったく寝てないのだろう。泣きはらした腫れぼったい目だ。


「昨日のあれが気になるから、ちょっと見てくる」

「やめたほうがいいよ」

「でも、もう朝だから、とりあえず夜までは大丈夫」

「そうだけど……」


 話していると、香澄が起きてきた。


「わたしも見に行きます」

「待って。一人になりたくない。二人が行くなら、わたしも行く」


 けっきょく、三人で廊下へ出ていった。

 夜中に悲鳴が聞こえたのは、どのあたりだったろう。


「そんなに近くじゃなかったよね?」

「わかんない。ウトウトしてたから」

「お姉さんたち。あっちに人が集まってますよ」


 香澄に言われて、階段のほうへ歩いていく。

 すでに十人近くが集まっていた。沢井。木村。河合。謎めいた美青年も。みんな青ざめ、ひきつった顔をしている。


「あの……?」


 人だかりのあいだから、詩織はそれを見た。

 とたんに息がつまった。

 ただの心理的な実験で、ほんとに人殺しなんて起きないと思っていたのに。


 そこにはひとめで死体とわかるものが、ゴロリところがっている。はらわたがひきさかれ、内臓がえぐりだされ……。

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