第1話 いきなり始まったソレ3



 答える者はいない。

 木村や沢井はおそらく、仕事や学生時代の活動で、主導権をにぎることになれている。それでも、とつじょ、こんな異常な状態に置かれて、いきなり「この人を死刑にしましょう」とは言えないようだ。


 と、アナウンスが言った。

「では、今夜の裁判は処分放棄でよろしいですか?」


 沢井と木村がうなずきあっている。

 ふふふと笑ったのは、河合だ。


「そうそう。それでいいのよ。だって、ドッキリなんだから、ほんとに誰かを殺すなんてできないもんね」


 そうだろうか?

 そうならいいのだが。


 それで、少し場がなごんだ。

 きっと、このあと著名なタレントが出てきて、ドッキリでしたって告げるのだ。みんな、そう信じた。


「順序が逆になりましたが、これから夕食です。一人一つずつトレーをとってください。翌朝以降、食事は一日三食、すべてこのホールにご用意いたします」


 ホールの奥からロボットが五台、キッチン用のカートを押してやってくる。給食用のバットによく似たものにかんたんな料理が一人前ずつ載っていた。飲み物はミネラルウォーターとお茶が一本ずつだ。


「明日の朝まで飲食物の補給はありません。入浴はシャワールームを使用してください。寝室は館内をご自由にお使いください。ただし、鍵のかかる部屋はかぎられておりますので、お早めの確保をおすすめします。では、みなさま。ご無事に明日の朝を迎えられますように」


 アナウンスは切れた。


 詩織はフォークを手にとって、ふつうに食事を食べ始めた。ポテトサラダと春巻き。唐揚げが数個。それに白いご飯と中華スープだ。


 椅子に収納式のテーブルがついている。トレーを載せて春巻きを口に運ぶと、自分が空腹だったことがよくわかる。


 だが、ロボットからトレーとペットボトルを受けとったとたんに走りだす者が数人あった。鍵つきの部屋というのを探しに行ったのだろうと、背中を見送ってから、やっと気づく。もしかしたら、のんびり食べている場合ではなかったのだろうか?


 詩織がすくんでいると、となりの女が声をかけてきた。


「すみません。これ、ほんとにドッキリなんですか? それとも、わたしたち、何か事件にまきこまれてます?」


 二十歳前後の女だ。名札を見ると、名前は鬼頭きとう優花ゆか。恐ろしげな名前とはまったくそぐわない、今どきめずらしい大和撫子の印象。顔立ちも可愛い。


 相手がおとなしそうなので、詩織は安心して答える。


「わかりません。わたし、ここに来る前の記憶がなくて。なんだか、ぼんやりして……」

「ああ、それ。わたしもです」


 それを聞いて、詩織はホッとした。自分だけではなかったのだ。やっぱり、何かの薬の作用ではないだろうかと思う。そうなると、ドッキリというよりは治験の可能性のほうが高い。きっと、集団心理か何かの実験に違いない。


「よくわからないけど、みんなに薬が使われて、記憶が奪われたのだとしたら、テレビ番組ではないと思います。テレビでそこまでするのは、法律にふれるんじゃないですか?」

「ですよね」


 しかし、治験だとしたら、ほんとに人を殺しはしないだろう。これはきっと極限状態で人間がどういう行動をとるかを調べているのだ。


 詩織たちの会話を聞いて、すぐ近くにいた高校生の女の子と、二十代の男がそばによってきた。椅子の背には一人ずつ名前が貼ってあるものの、移動はさせられる。


 高校生はさっき、やけにしっかりしてると思った子だ。


「わたし、市川いちかわ香澄かすみです。お姉さんたちが一番信用できそう」

「僕は戸田裕樹とだゆうきです。そばにいたので、話にくわわってもいい?」


 ぐうぜん、詩織の名字と戸田の下の名前の読みが同じだ。

 詩織たちのまわりでも、何人かが年の近そうな人同士で話しだす。沢井は木村や会社員らしい人たちとひとかたまりになっている。


 被験者はおおむね平凡な、どこにでもいる人たちだが、数人、とても目をひく容姿の人もいた。

 とくに目立つのは、一人だけ金髪の美少女がいる。ハーフのアイドルだろうかと思うほど、端正な美貌と抜群のスタイルをしている。数人の男が彼女のまわりにむらがっていた。


 悪い意味で目立っている男もいる。街で出会えば、たいていの人がさけて通るタイプ。指名手配中の凶悪犯のような風貌で、目つきがするどい。


 あとは一人だけ、誰とも話さず、黙々と食事をしながら、みんなを観察している男。

 なぜか、詩織は彼が気になった。キレイな顔立ちをしているから、というより、そのふんいきのせいだろうか。なんとなく謎めいている。


「これ、やっぱり、なんかの実験かなぁ? 人間の行動学とか、心理学とか?」と声をかけられて、詩織は我に返った。戸田がこっちを見ている。


「たぶん。それが妥当な考えかなと、わたしは思います」


 ホッとしたようすで、優花が吐息をつく。

「そうですよね。いくら実験だからって、人を殺していいわけがないし。それにしても、グールって、なんですか? グールになっていくって、どういう意味なんですか?」


 香澄が説明した。やはり、この子は冷静沈着で、年のわりにどこか冷めて見える。


「人間の死体を食べる化け物です。日本語ではしかばねを食べる鬼って書くの」

「そうなんだ……」


 優花は初めて聞いたようだ。詩織はどこかで聞いたことがある気がした。たぶん、ゲームとか、オカルトとか、そんなもので知ったんだろう。


 香澄は続ける。

「仏教で餓鬼がきっていうのがいるじゃないですか。あれに近いものなんじゃないですかね? 餓鬼道って言って、悪行をした人が落ちる地獄の一種です。ネットで調べると、けっこうエグイ内容ですよ」


 そんなふうに言われて、初めて詩織は自分のポケットをあさった。が、スマホはない。財布や免許証のようなものも身につけていない。最初から持っていなかったのか、治験のためにとりあげられたのか。


「ねえ、お姉さんたち。シャワー浴びに行きませんか? 一人じゃさすがに怖いので」


 香澄が言うので、詩織はうなずいた。戸田が無念そうな顔をする。


「じゃあ、僕はもう寝ます。一晩くらい風呂は入らなくてもいいかな。どうせ着替えもないし」


 男一人だから遠慮したのだろう。そこで、戸田とは別れた。

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