第13話

俺に下心などない。


ただ津島さんとライトノベルの話をしたり、彼女が自分の将来─文学部に進学するかどうか─を決めるための相談を受けるだけだ。


だって俺はアラサーのおっさん。

彼女は現役の女子高生。

歳の差どーのの問題じゃなく、俺たちの間に何かあれば、それはただの(俺の)犯罪だ。

どこの誰が犯罪者になることを望むものか。俺は社会人だぞ。いちおう部下だっている。


「そうだ。やましいことなんて俺の心にはこれっぽっちも無い」


俺は声に出し、自分の意志を確認するようにギュッと拳を握った。

なぜか手のひらが妙に湿っているけど。

場所は俺の借家のリビング。

今は津島さんを待っているところだった。

彼女は家に鞄を置いて着替えてから来るそうだ。

さっき家の前で一度別れる前に、

「これ、持って行ってもらってもいいですか?」

と彼女の買った紅茶を渡された。

だからキッチンの沸かして火を止めた鍋の中では、俺と津島さんの紅茶の缶が温泉に浸かって寄り添うように仲良く並んでいる。


あっ、いや仲良く寄り添ってるのはあくまでも比喩ひゆ的な表現であって、べっ別に俺と津島さんが親密な関係とかそういう意味じゃ


と俺がひとりで勝手に慌てていると、ポーンと間の抜けたチャイムの音が響いた。

いきなり後ろから肩を叩かれたみたいに体がビクッとする。

一瞬遅れて、津島さんだと気付いた。

自分がマスクを付けていることをしっかり確認してから、妙にバクバクしている心臓を落ち着かせようとひとつ深く呼吸をし、早足で玄関に向かった。


「ごめんなさい、待たせました?」

玄関のドアを開けるなり、パステル調のオレンジ色のパーカーと空色のスキニージーンズに着替えた、マスク姿の津島さんが笑顔を見せてきた。

「いや、全然」

「あー良かった。今日体育の棒高跳びで汗かいたから、これじゃ浅井さんとこ行けないなってシャワーしてて」

言われてみると、不織布のマスクも黒から白に変わっている。

「あ、そうなんだ」

俺は平静を装って素っ気なく頷いた。

でも内心、シャワーしてきたのワードに僅かにドギマギしてしまった。


女子って知り合いと喋るだけ・・・・でわざわざシャワーするものなの・・・?


が、そのくだらない戸惑いはすぐに吹っ飛んだ。

「これ」

津島さんが何かを両手に乗せて俺の顔の前に持ち上げる。

見覚えのあるデザインの箱だ。

「あっ、ミスタードーナツ・・・」

「たまたま昨日買ってたんです。一緒に食べましょ」

そう言って俺の目の前の箱の後ろから、彼女の顔が半分チラッと覗く。

「我々のお話はなかなか難しいですからね。故に適切な糖分補給が必要です」

わざとらしく厳かな声音でそう言うと、津島さんはニヤリと歯を見せて悪戯いたずらっぽく笑った。


その屈託ない笑顔につられて、俺の顔も自然と笑顔になっていた。

そうだ。

彼女にとって俺は人生相談の相手だ。

それ以上でもそれ以下でもない。

ちょっとでもドギマギした自分が馬鹿らしかった。

「ありがとう」

俺は言ってミスドの箱を受け取る。

そのままつっかけのクロックスを脱いで廊下に上がり、

「上がって」

と後ろを振り向いた。

「おじゃましまーす」

津島さんがいつものほがらかな感じで家に入ってきた。


「おおっ、めっちゃ温かい!」

紅茶の缶を鍋から取り出し、綺麗なタオルで水滴を拭いてからテーブルに置くと、津島さんは子供のような歓声をあげる。

「ちゃんと湯煎ゆせんで温めといたからね」

彼女の向かいに座りながら俺はニッと笑った。

一人暮らしをしていると、こういう部分ばかり気が回るようになる。

実家で暮らしていた頃はなんでも母親がやってくれていたので、湯煎ゆせんなど知る由もなかった。

「浅井さんって何気に女子力高め?」

津島さんが感心した、というより、なんだか愉快そうに目を細めてくる。

「それ褒められてる?」

「うーん」

マスクを顎の下にずらして紅茶を飲み始めていた彼女は、缶を口から離すと難しそうに眉根を寄せた。

数秒ほど考える顔をし、

「まぁ褒めてます」

冗談ぽく口元を笑わせる。

「いや、その〈まぁ〉って何?すごく気になるんだけど」

さらに尋ねると彼女は今度はちょっと真顔で答えた。

「これだけ一人で何でも出来ちゃうと、逆に女性が近づきにくくなっちゃうだろうなーって」

「え、そうなの?」

俺は意外な言葉にキョトンとしてしまった。

「あっすみません、浅井さんってなんていうか、一人でも何も困らない感じがしたので」

慌てて津島さんが取りつくろう。形の綺麗な細い眉が八の字になっていた。

「いや、別に謝らなくていいよ」

俺も慌てて手のひらを振る。

あっ、小皿小皿、と俺は椅子を立って棚に向かいドーナツ用の皿を二枚持って来た。

「ありがとうございます」

立ったまま皿を置くと、津島さんはまだちょっと気まずそうに肩をすくめて小さく頭を下げた。

俺は改めて椅子に座る。


うわー、女子ってすご。


俺は内心ドキドキしていた。

いやらしい意味ではない。

彼女の洞察力のことだ。


というのも事実、会社では仕事の要件を除いて女子社員に話しかけられることはほとんどなかったからだ。

「一緒に行きましょーよ、楽しいですよ!」とごねるDTに、無理やり他の部署との合同飲み会に連れていかれた時も、やっぱり女子に話しかけられることはなかった。

別に無愛想にしているつもりもなかったが、仕事ができず万年ヘラヘラしているDTばかりが別の部署の若い女子社員と仲良くなっているのを、そのとき初対面だったアニメネクタイをした男性社員と二人で羨望の眼差しで眺めている時ほどあの会社をやめたくなったことはなかった。


その理由が俺の女子力に由来するかはさておき、女子から喋りかけられないという事実を見抜かれたことに、俺は自分の日記でも見られたようにドキッとしてしまったのだ。


ふと、大学時代にはじめてできた彼女に別れる直前に言われた最後のワードが、「涼介ってほんと鈍いよね」だったことまで思い出し、また津島さんの前で泣きそうになる。


数日前、俺は卒論のことを思い出し彼女の前で号泣してしまった。

そしてあろうことか女子高生の津島さんに慰められるという、社会人としてあまりにも恥ずかしいことになった。


俺はだから、今度こそ彼女に涙の心配さられないために即座に行動に出た。

涙が零れるより先にサッと手を伸ばし、テーブルの上のミスドの箱を開ける。

そして声を上げた。


「うわぁポンデリングだー!」

俺は目頭からこぼれる涙を誤魔化すために、わざと大袈裟に喜ぶ。

「ええっ泣くほど好きだったんですかポンデリング?!」

今年30になるおっさんとは思えない無邪気な俺の反応に目を丸くする津島さん。

「いやもう、このモチモチ感がたまらないんだよね!なんかもう無印良品とコラボして日用品全部ポンデリングの質感にして欲しいぐらい大好き」

半ばやけくそだったがポンデリングがミスドで一番好きなのは本当だ。

箱の中の4個のドーナツには無いが、抹茶味が好きで大学生の頃一度に3個食べたこともあった。

おっさんのリアクションとしてはあまりに痛いけど。

涙はうまく誤魔化せたが、ドン引きされてる可能性に気付き津島さんを見ると、

「おー。わたし浅井さんの意外な一面をまたしても見ちゃいました」

両手で口元を軽く押さえて楽しそうに笑っていた。

よかった。

俺は安堵する。

「早く食べましょ。わたしお昼ご飯から何も食べてないんです」

津島さんが手でお腹を押えて言った。

「あっごめん!」

俺は急いで手の甲で涙を拭う。

プレーンのポンデリングとチョコファッションをひとつずつ、俺と津島さんは二人で食べた。

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ラノベ作家になりたい女子高生と29歳社会人(独身男)が出会った話 @lostinthought

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