第12話

2月4日金曜日。


午後6時過ぎ、仕事のあと久しぶりに外食をし、駅前の〈やよい軒〉で早めの夕飯をすませ帰ってくる途中、家の前の坂で津島さんにばったり会った。

制服姿だ。

自販機で飲み物を買っている。

「学校の帰り?」

声をかけると、津島さんはピタッと動きを止めた。

手袋をした左手でマフラーの端が落ちないよう押えながら背をかがめ、飲み物を取り出そうとした姿勢のまま、こちらを振り向く。

「あ、こんばんは。浅井さんは・・・・・・仕事終わりですか?」

私服のジャケット姿を俺を見て、疑問調の声で尋ねてくる。

「仕事はまだリモート。今やよい軒で夕飯食べてきたとこ」

「あ、駅前に新しくできた」

「そうそう、学生時代から好きなんだよね」

「そうなんですか。別の所ですけど、わたしも友達と行ったことありますよ。美味しいですよね」

津島さんは笑顔で言った。

自販機から缶を取り出す。やっぱり俺もよく飲む、あのロイヤルミルクティーだ。

今日は売り切れじゃないらしい。

せっかくなので俺も同じのを買った。

彼女が買った紅茶を学生鞄にしまったので、俺も家で飲むことにした。

並んで坂をのぼる。

登りながら俺は、小柄な津島さんの足が遅いことに気づいて歩速を少し緩めた。

「そうだ、浅井さん」

津島さんが上目遣いにこちらを見てくる。

「読みました?」

「読んだよ」

俺は頷く。主語がなくても、彼女イチオシのラノベ『東方帰譚』のことだとわかった。

「どどどッ、どうでした?」

カッと目を見開き、スサ子に人格チェンジする寸前の目付きで尋ねてくる。

「全部読んでから言おうと思ってたんだけど」

「は・・・・・・はい」

「めちゃくちゃおもしろいね」

俺は正直に言った。

まだ全巻読めていないが、このところ暇さえあれば読んでいる。ちなみに今出ている分は外伝も含めてKindleでデジタル版を全部買った。

「おっしゃ!」

ボクシングの動きで右の拳を突き出す津島さん。

だからそれひとりの時にやるやつだから。

「で、どこまで読んだんですか?」

「帝国軍側の超魔法兵器オーパーツで武装した暗殺隊が出てきたところまでだから・・・・・・えっと」

「8巻ですね!サブタイトルは〈白蓮アルビノの不死姫〉、アンデッド族の辺境伯の娘クリスタ・ガートルードが出てくる巻です!」

「あっそれそれ。副題まで覚えてるんだ、凄いね」

「次の巻が帰譚屈指の神作ですから!」

目をキラキラ──じゃなくてギラギラさせて見上げてくる津島さん。

「あ、そうなんだ」

と頷きながら俺は思った。


そういえばこの子・・・・・・学校で好きなラノベの話が出た時どんな反応してるんだろ?やっぱりスサ子出るのかな?


今度聞いてみようと思いつつ、今は『東方帰譚』を読みながら気になった事を聞いてみた。

「8巻の真ん中あたりでさ、読者に敵の帝国側の秘密兵器の存在が匂わされるじゃない?」

「ありますね、暗殺隊のデュアメル子爵が大臣のオリバーに言った台詞だったかな」

ほとんど中の人のような知識でしゃべる津島さん。俺はちょっと圧倒されながら続けた。

「あの秘密兵器ってさ、太陽光発電機でしょ?」

『東方帰譚』は最初はファンタジーと思わせておいて途中で、主人公の少年が目覚めたのは実は異世界ではなく、遠い未来の世界だったと明かされる。

作中で超魔法兵器とよばれるのはこの時代の船や銃器のことだ。現代(作中では古代)の兵器が遺跡と呼ばれている地下に埋もれた倉庫やシェルターから見つかるという設定だ。

ファンタジーと見せかけて本当はSFだったというのがこのラノベの一番読者の意表を突くところだろう。

まだ読んでいる途中だけど、俺は物語の設定から、その匂わせの正体を予想して尋ねてみた。

すると津島さん、ギョッとした目で俺を見た。

「なっ、えっ・・・・・・なんでわかったんですかッ?!」

普段の可愛らしい声が思いっきり裏返る。俺の腕を掴んで立ち止まり、思いっきりマスクをした小さな顔をぐいぐい寄せてきた。綺麗な二重の目が迫る。

俺は体がビクッとして、そのまま関節も筋肉も固まったみたいになる。

慌ててつま先立ちになって、出来るだけ顔を遠ざけた。

「わたし覚えてますけど、当時の考察サイトでも誰も太陽光パネルだとは予想してませんでしたよ?!」

「あー、えーっと・・・・・・」

俺はしどろもどろになって説明した。

「伏線、かな」

「この時点ではほとんど伏線なんて張られてませんよ?!」

スサ子の息遣いの津島さん。

目がまばたきを忘れている。

「作者のひと、あの有名私大の文学部出身って説があるんだよね?」

「はい、ほぼ確実って言われてます!」

「だからだと思うんだけど、伏線の張り方がなんていうか・・・・・・〈文学〉っぽいんだよね」

そう言うと津島さんの顔がキョトンとなった。ぱちぱち瞬きをする。

スサ子の目じゃなくなった。

「どういうこと・・・・・・ですか?」

いつもの静かな声で首を傾げる。

俺はまた立ち止まったまま答えた。視界に入る範囲には誰もいない。

「少年マンガの場合だと、伏線って読者が注意して読めば気付く形・・・・で張られるのが普通だよね? その作品を読んでる人が〈この伏線の正体が気になる〉って思うように」

「え?」

津島さんが怪訝な顔をした。

「それ、当たり前じゃないんですか?だって気付かれないと〈伏線〉じゃないですよ?」

俺はゆっくり首を振った。

「文学の場合はちょっと違う張り方をすることもあるんだよ」

「どんな張り方ですか?」

「一言でいうと、」

俺は綺麗な二重の目を見て言った。

「読者が、伏線だと〈気付かない・・・・・〉張り方」

坂を一台のバイクが音を立てて駆け上がって行った。

後にはガソリンの甘く煙たい臭いが残る。夕暮れの肌寒い風が吹いて、どこからか梅のほのかに爽やか香りが漂って来た。

10秒ほど魔法にかかったように固まっていた津島さんの顔が、急に動いた。

「それ、もはや伏線じゃない!」

動揺した表情。

声が完全に上ずっていた。

「文学って、ひょっとして書いてると頭が変になるんですか?!」

今度はスサ子とは違う荒ぶり方をする。

というか激しく混乱していた。

「そ、そいういえば文豪の太宰治さんって川に飛び込んで自殺したんですよね? やっぱり文学って頭が変になっちゃうんだ?!」

文学部に入るという夢を抱いている津島さんは、青ざめた表情で目を見開き肩を震わせる。

俺を見つめる目まで震えていて、焦点が全くあっていない。

俺は慌ててなだめるつもりで言った。

「大丈夫、文学やると頭がおかしくなるわけじゃないから」

「本当ですか?」

「ほんと、マジのマジ」

ちなみに太宰治も本当は自殺するつもりじゃなかったのに、うっかり死んでしまったというのが現在では有力だ。

「じゃあ・・・・・・何でそんなおかしな伏線の張り方をするんです?」

怪訝な目で見つめてくる。

俺は手短に説明した。

「文学の全部がってわけじゃないけど、基本的には文学の場合はあえて分かりにくい伏線を貼ることで、読む度に〈違う読み方〉が出来るようにする。そういう独特の張り方をするんだよ」

「なんでそんな張り方を・・・・・・?」

「文学って、読者の人に自分なりの〈解釈〉をしてもらってナンボってジャンルだから。それであえて遠回しに書くし、伏線も遠回しな張り方をするんだよね。だから芥川賞の選考会でも審査員の解釈が別れるのは毎度のこと」

「へぇ、そうなんだ」

津島さんは驚いた目で俺を見、溜息のような声を出した。

「じゃ、浅井さんはどこで帝国の切り札が太陽光発電機ってわかったんですか?」

「前の巻で、帝国の子爵が『水素があれば空飛ぶ軍艦を作れる』とか『酸素が爆発の威力を増す鍵だ』って意味のセリフをさりげなく言ってたでしょ。でも作中のテクノロジーじゃ、まだ水の電気分解は出来ない。大量の電気を使うから」

「あー、それは当時の考察でも言われてました。『安定した電力が必要だ』って。でもそこから太陽光発電機は出てこなくないですか?」

マスクをした顎に人さし指の側面を当てて、探偵の推理を聞く刑事みたいな疑問顔をする津島さん。

コナンの高木刑事か誰かのモノマネみたいだ。

「子爵が電気系の魔法使いとは思わなかったんですか? ネットではそう予想されてましたけど・・・・・・」

「それで安定した電力供給が出来たら、もう製造に入ってるよ」

「あ、確かに」

こちらを疑問の目がじっと見てくる。

俺は答えを言った。

「帝国の王家の紋章は?」

「あっ、太陽!」

驚いた表情でこちらを凝視する。

さすが津島さん、敵の王家のことまで覚えてるとは。

「え、それだけで当てたんですか?」

「1巻の時点から伏線の張り方が文学っぽいって思ってたからね」

この場合は伏線というより〈象徴シンボル〉っていった方が正しいのかもだけど。

津島さんは右手の平を口の辺りに当てている。

うそー、って感じの反応だった。

「文学部出てると誰でも分かるんですか、そういうの・・・・・・?」

「けっこう分かると思うよ。有名なカフカの『変身』でも三島の『金閣寺』でも、そういう象徴的な書き方がされてるから。もっとも読む人によって意見が別れるけど」

「うわぁー、やっぱり文学部って頭よさそー」

「いやいや、理系のほうが賢いよ。俺、三角関数とかもう死亡フラグだから」

俺は自分の顔の前で手を振った。

「あっ、じゃあわたし勝った!今年、三角関数のテストでクラス1位でした」

津島さんがスレンダーな胸を張る。

目を閉じて眉を自信ありげに逆八の字にした、「エッヘン」という顔だ。

「おー、おめでとー」

俺が手を叩くと、

「どーもどーも」

と頭に手を当て会釈する。

すごくノリがいい。

この子、たぶんクラスでも愛されてるんだろうな。

俺はそう思った。


また歩き出し、坂を登りきった時だった。

「浅井さんはもうお仕事終わったんですか?」

津島さんが聞いてくる。

「そう。もう社畜タイムは終わり」

そう答えると、

「じゃあ・・・・・・今から遊びに行ってもいいですか?」

津島さんが俺の目をまっすぐ見てくる。

俺はほとんど咄嗟に、

「うん」

その目に頷き返していた。

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