第11話
津島さんの好きなラノベ『東方帰譚』。タイトルはフランスの女性作家ユルスナールの小説『東方綺譚』のパロディだろう。
ユルスナールは小説家・三島由紀夫を高く評価し、彼を〈世界のミシマ〉にした立役者のひとりでもある。
昼飯にカリカリ梅を乗っけた塩ラーメンをおかずに白米を頬張りながら、iPadでその続きを読んだ。
昨日の夜に読みはじめたのだが、ページの残りがもう3分の1程だ。ラノベは初心者だが読みやすくていい。売れるのもわかる。
大ざっぱに『東方帰譚』の第1巻のストーリーを要約すると、主人公の日本人の少年ツルギは目が覚めると異世界にいた。
目の前にはいかにもファンタジーの住人を思わせる、耳の尖った美少女とケモノ耳をした美少女が。
状況が飲み込めない主人公に彼女達が説明するには、禁断とされる森でツルギが倒れており、悩んだ末、彼女達の暮らす貧しい家まで運んだという。
エルフの少女・ベルベットと獣人の少女・ジルは、生活費を賄うため時々その森に入り、二人だけが知る「光脈」と呼ばれる場所からレアエレメントと呼ばれる希少素材を取り出し、王都の闇市に流していた。
自分が異世界転移したと知ったツルギは、二人に自分が狂人だと勘違いされないために日本を「東方の島国」と説明し、助けて貰った恩返しとして、同じ家に住みながら力仕事をすることに。
序盤の方で、闇市を取り締まりに来た王都の治安維持組織「ガーベラ騎士団」という、ゲシュタポみたいな奴らからベルベットとジルを逃がすためにツルギが囮になり、あっけなく捕まる。
そのツルギを何故か反政府組織の女リーダー「強欲のスルト」が助け、礼を言うと、助けた対価として彼女が持っていた「奇書・第1万277号」を解読しろとすごまれる。
「奇書」は、作中に出てくる謎の書物のことで、その多くは王国が管理しているが、一部は闇市に出回っている。スルトが持っていたのはその第1万277番目とされる一冊だ。
なぜ自分に? と訝しむツルギだったが、スルトにその書物を見せられた彼は息を飲む。
「お前によく似てるだろ?」
と言うセクシー美女スルト。
その「奇書」はツルギの世界の書物であり、表紙には日本語のタイトル、中には日本人の写真がいくつも。古ぼけてはいるが日本の音楽雑誌だった。
動揺するツルギ。
なぜこんなものがこの世界に・・・・・・?
そこから第1巻のストーリーは急展開し、今読んでいるあたりでは、じつはツルギは異世界に転移したのではなく、コールドスリープのようなもので遠い未来で目覚めた可能性を示唆している。
ちなみにベルベットとジルが「光脈」と呼んでいた秘密の場所は、その世界ではまだ精製が不可能な金属が採れる場所のことだった。
20分後、読了した俺は、すぐに5巻までまとめてダウンロードした。
なにこれ、めっちゃおもろいやん!
心の中で俺は叫んだ。
ほとんど童心に返っていた。
外伝を含めると21巻まで出ており、ウィキペディア情報だがアニメは2期まで、劇場版は2本作られている。
そしてネットであれこれ夢中で調べるうちに、なぜ津島さんが文学部に入りたがっているのかも必然的に理解した。
書籍版の方には作者の情報がほとんど載っていないのだが、ネットには、過去の作者インタビューなどから、某有名大学の文学部出身ではないかと推測されていたからだ。
なるほど、と思う。
タイトルにユルスナールのパロディを持ってくるセンスや、めちゃくちゃ読みやすいのに描写に物足りないものを感じさせない文章力、所々に垣間見える他分野にわたる深い造詣など、その名門大学の出身と噂されるのも分からなくない。
俺の記憶が正しければ、あの村上春樹もその大学の文学部の卒業生だ。
けど、確定情報という訳ではなかった。あくまでもネット上の噂だ。調べた限りだと本人は何も言明していない。
そのことを彼女はどう理解しているのだろうか。
津島さんの文学部に行きたい理由が、この作者の影響だとしての話だけど・・・・・・。
とは言え、と俺は真面目に考える。
この作品が彼女を文転させるだけの可能性を秘めていることは十分に有り得る話だ。
読んでいる間はそれくらいドキドキした。信じられないくらいハラハラした。手に汗握った。
事実、途中で昼飯を食べていたことを忘れてしまい、塩ラーメンが冷めるは伸びるはで、子供の頃ウチの母親に「行儀悪いから食べながら読むのはやめなさい」と何遍も叱られたのをふと思い出した。
三つ子の魂百まで。
小さな頃の性格は大人になっても変わらないという意味のこのことわざの正しさを、思わぬところで実感させられた次第だ。
と、それはさておき。
次に津島さんに会ったら、とりあえず文学部に行きたい理由を改めて聞いた方が良さそうだ。
この前は何か言いにくそうにしていたけど、もしネットの情報を鵜呑みにして文転しようとしているなら、もう一度冷静に熟考した方が彼女自身のためかもれない。
だって前にも彼女に言ったが、小説家になるのに必ず文学部を卒業しなければならないなどという法は無いのだから。
じっさい、この小説の作者だって本当は理系出身もしれない。
理由はあって、作中でやたらと多種多様な金属類の性質を詳しく説明しているシーンがあったからだ。
なら、津島さんはこのまま理系に進んでも問題ないはずだ。
あくまで文学部に行く理由が『東方帰譚』の影響だとしてだけれど。
「じゃ、とりあえず2巻読むか」
俺は食器を片付けるのも後回しにし、さっそくKindleで『東方帰譚』の続きを読み始めた。
1巻のラストで出てきた東洋人の風貌をした暗殺者の美少女は一体何者なのか?
俺は早くその正体を知りたかった。
「今どきのダウンロード版はカラーイラストの色彩も綺麗だなぁ」
紙媒体版に載っているのと同じキャラクターのカラーイラストをデジタル画面で眺めながら、テクノロジーの進歩を実感する。
グラデーションの再現も紙と遜色ない。
すごい時代になったものだ。
俺はAppleの技術に感心しながら、デジタルのページをめくった。
「あっ」
そこで俺はハッとする。
「昼休憩中だったの忘れてた!」
あわてて時計を確認する。
あと1分で昼の2時だ。
「やべぇ!」
俺はダイニングテーブルの椅子から床を蹴って立ち上がると全速力で階段を駆け上がった。
昼の2時からzoomでの短い会議が予定されていた。
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