第7話

1月31日。月曜日。


新型ウイルスの対策でリモートワークになっていた俺の会社は、どうしても対面で顔を合わせた会議をする必要があると言いだした。

何でも、いまウチの会社が手掛けている大型プロジェクトに関係する部所の主要メンバーを集めて、早急に解決したい事案があるらしい。

だから俺はわざわざスーツをクリーニングに出して、その会議に臨んだ。


「ふざけんな老害どもッ」

それが会議を終えた俺の第一声だった。

「会議でわざわざ話すほどのことじゃねぇじゃねぇか!何が早急に解決が求められる事案だ、要するに案件の内容を理解出来てねぇだけだろうが!アホか!何年サラリーマンしてんだよ?!」

社内に設置された自販機の前で、紅茶を片手に俺は毒づく。

「浅井さん、声が大き過ぎます。そのアホの老害どもがそこで聞いてますがよろしいですか?」

俺の傍らで缶のドリンクを飲んでいた後輩の女子、多和田蘭子がそう指摘した。

「ほえっ?!」

ギョッとした俺は焦って裏返った声を出す。

「うそっ、どこっ?!」と慌てて周囲を見回し谷山部長達の顔を探した。

が、谷山部長はおろか、周りには俺たち以外誰もいない。

それもそのはず、ウチの部長を代表して来た俺たちは、部長の谷山や他の部所の老害どもの顔を見たくなくて、わざわざ会議室より上の階の自販機エリアまで来たのだから。

「お前、だましたな」

「その理解は『真』です。私は浅井さんをだましました。浅井さんはこれを迂闊な己の諌めとしてさらなる精進を積んでください」

俺が横目で睨みつけると多和田蘭子はそう言った。そしてつまらなそうな表情で手にしたレッドブルを傾ける。

やたらに肌が色白で、その肌に黒髪のボブカットのコントラストが人の目を引く、一年目の新入社員だ。

俺は眉をしかめた。

多和田の場合は終始いい加減なDTと違い、こういう台詞も真面目に言っている。だから怒るに怒れない。

多和田は俺がジッと睨むのも意に返さず、というか見向きもせず、レッドブルを飲み干すともう一本同じものを買った。すぐに二本目を飲み始める。

「浅井さん、私に何か?」

ようやく俺の視線に気付き、手の甲で口の端を拭って聞いてきた。多和田は口紅がとれても一向に気にしない。

だが、いつの間にか必ず綺麗に塗り直されていて、この後輩からだらしない印象を受けたことはかつて一度も無い。

というか、俺は多和田蘭子から人間らしい印象を受けることすらほとんどなかった。俺の頭の中で彼女の両親はアレクサとルンバということになっている。

「浅井さん、質問をどうぞ」

俺が何も言わないので抑揚のない声で促してくる。

「別に。なんでもねぇよ」

レッドブルで動く人型オートマトン。顔立ちが整っているから余計そう見える。

固い性格のためか必要な社会常識は身についているが、これはこれでDTに匹敵するクセの強さだ。

「非常に申し訳ないですが、劣情を向けられても私は浅井さんを受け入れるつもりは毛頭ありません。これは『真』です」

ちがった、マニュアル的な常識以外は何も持ち合わせていない。だから時々平然とズレた事を言って相手を困惑させる。

それが多和田蘭子という後輩だ。

「劣情じゃねえ!」

「では腹が減ったのですか?カントリーマアムならありますが」

そう言うなり彼女はマジでスーツの上着のポケットから、小分けの袋のカントリーマアムを取り出し、

「ひとつだけなら差し上げます」

真顔で渡してきた。

カントリーマアムを渡された俺は、手のひらの上のそれを眺めつつ、ほとんど呆然として尋ねた。

「あのさ・・・・・・」

「はい、何か」

「こう言うのもあれだけど・・・・・・お前って本読んでもまったく共感しなさそうだよな」

「共感はしません。共感ではなく、内容の理解に努めます」


まじかよと思う。

何となく聞いたけど当たってたよ。

イメージのまんまじゃねえか。


「ちなみにどんな本読むんだ」

それでも、このオートマトン女子が本を読むという事実を興味深く感じ、俺はそう聞いた。

多和田は飲んでいたレッドブルをゆっくり口元から離す。

「社会人になってからは時間が無くまったく読めていないので、学生時代に読んでいたものですが」

と前置きして、

「ラッセルとホワイトヘッドの共著『プリンキピア・マテマティカ』は難解でしたが楽しく読めました。私の卒論にも役立ったと理解しています」

答えて二本目のレッドブルも飲み干した。空き缶をゴミ箱に捨てる。

俺は引き気味に彼女を見た。

「それ、たしか数学の専門書だよな 」

「はい。その理解は『真』です」

だからその「『真』です」って口癖は何なんだよと内心ツッコミながら、俺は反論気味に言った。

「この場合・・・・・・それを読書に含めるか? 流れ的にはここで言う読書って、小説とかノンフィクションとか、主人公がいる本のことじゃないのか?」

「読書の定義によるとは思いますが、わたしが楽しく読めたので別に問題はないかと思います」

多和田はアレクサのような口調でそう答えると、自販機に向かい、三本目のレッドブルを買った。

自販機に向き合ったまま缶を傾け始める。もう俺のことは意識の外らしい。


どうしてだろう。

さっきのゴミみたいな会議より何倍も疲れた気がする。

一方多和田は、見ると、自販機をまっすぐ向いたままカントリーマアムとレッドブルを交互に口にしている。

上手いのか不味いのかさえ読み取れない、完全な無表情だ。


俺の周りの人間は妙にクセが強い。

改めてそう思い、脳裏にDT、そして津島悠花の顔が浮かんだ。

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