第4話
「小説家に・・・・・・なりたいですッ」
脈絡を無視して心の底から訴える津島さん。ちょっと待てよ、今のシリアスな展開は何だったんだ。
俺は彼女の中に潜むクセの強さを確信した。今の職場になってから俺は、これっぽっちも望んでもいないのに、クセの強い人間に囲まれている。
DTしかり、DTというあだ名を夢野真太につけた一年目の多和田蘭子しかり。
DTはクセのあるのがデフォなので分かりやすい。逆に多和田蘭子のような普段は常識人らしく見えるが本当は全然そうじゃない人種は、何かの弾みにそのクセが油田の原油みたいに溢れ出す。
そういう人間のほうが普段から面倒臭いDTのような人種より、圧倒的にクセが強い。
この子は、間違いなく後者だ。
「小説家に・・・・・・なりたいですッ」
「それは今聞いた」
「あっ、わたしまた再放送を」
津島さんはハッとした表情で俺を見た。
彼女、二回同じことを言うのを再放送って呼んでるのか。しかも「また」っていうからには頻繁にやるのだろう。
「ごめんなさい、わたし、たまに急にスイッチ入っちゃって。自分でも分かってるのに止められなくて」
親指の付け根でぐいっと濡れた目尻を拭いながら、照れ隠しだろう、津島さんは小さく笑った。
どうやら落ち着いてデフォの彼女に戻ったようだ。さっきとはまったく別人の大人しい美少女がそこにいた。
「あの、浅井さん」
立ち上がって中腰でスカートをはたいたり伸ばしたりながら尋ねてくる。
俺も立ち上がって肘やジーンズの尻に付いた砂を叩き落としながら応じた。
「なに?」
「また今度でいいので、文学部のこと色々教えてもらっていいですか?」
「そこまで本気で文転考えてるんだ」
真面目な声と表情で俺は返す。
脳裏にはまだ、さっきまでの目がギンギンしたり脈絡無視で訴えたりする彼女の荒ぶる姿がくっきり残っていたけど。
と、俺は「そうだ」と思った。
「ちょっと待ってて」
そう言って小走りで自宅に戻る。
五分ほどかかって目当てのものを見つけて、待たせていた津島さんの元に戻った。
彼女にあるものを手渡す。
「よかったらこれ、読んでみたら」
「え、何ですこれ?」
俺から渡されたものをまじまじと見つめる津島悠花。
俺が彼女に渡したのは一冊の本だった。街灯の白っぽい明かりに照らしてそのタイトルを見、声に出す。
「『六の宮の姫君』」
「そう。小説家になりたいんなら、これが何か参考になるかもって思って」
この本は俺がまだ文学部の学生だった時分に読んだものだ。引越しの際にも実家から持ってきた本のひとつだった。
「参考になるんですか?これミステリー小説みたいですけど」
津島さんは腑に落ちないといった目付きでこちらを見て首を傾げる。俺はちょっと説明した。
「そうなんだけど、文学部で卒論書く時にけっこう役に立ったから。この小説、ネタバレになるからあまり言わない方がいいかもだけど、作者の北村薫って人が書いた卒論をベースに書かれたミステリー小説なんだよね」
「へー、そんなのがあるんですね。卒論をベースにした小説かぁ」
手にした文庫本の表紙に向けて大きく見開かれた目とその声音の抑揚から、どうやら興味を持ったらしいことが伝わってきた。
「よかったら貸すから読んでみて。もう古いから汚すとか気にしなくていいから」
そう付け足すと、彼女はまたあのペコリと深い礼をして「ありがとうございます、貸してもらいます」と返してきた。
「それじゃあまた」
俺は片手を軽く挙げて挨拶し、道路を斜めに渡って家に戻る。
津島さんは「ちゃんとカバー掛けますから」と後ろから言った。
家のドアを開けて、ふと振り返ってみると、彼女がこちらに手を振った。その時坂と反対の方から見覚えのある軽自動車がゆっくり進んでくるのが黄色いライトとエンジン音で分かり、俺は彼女がこちらを見ていないと分かったので、静かにドアを閉めた。
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