第10話 賤ヶ岳の戦い

 北条との対応に追われていた滝川一益は清洲会議に出席できず、織田家における地位は急落した。伊勢に帰還していたが、関東を失って立場が弱くなっている。ところが清州会議に出ることが出来ず、その発言力が低下しているのに、織田家の遺領の再配分を求めているという。


「勘兵衛」

「はい、伊勢で御座いますか?」

「そうだ」


 この後に起こる賤ヶ岳の戦いでは、近江の勝家、伊勢の一益、美濃の信孝と三方面作戦を強いられることになっている。その一角を無くしたい。


「中立で良い。それで一益の望む再配分に応じよう」

「分かりました」


 ついでに美濃の織田信孝をも凋落してもらいたいのだが、難しいだろう。




 やがて始まった賤ヶ岳の戦いでは役者が揃っている。柴田勝家、お市の方、そして失態は演じたが最後まで武人を貫き通した佐久間盛政。

 いずれもおれ秀吉が手を加える人物はいない。


 羽柴軍の主力が長浜から美濃に移動したとの情報は、秀吉の仕掛けた誘い水である。

 佐久間盛政は勝家に奇襲のチャンスだと進言するが、罠ではないかと勝家は疑っている。秀吉ともあろう者が、最前線をガラ空きにしてしまうのか。だが、確認すると、たしかに羽柴軍は美濃に進軍している。


 勝家の持久作戦に業を煮やしていた佐久間盛政の執拗な進言に、勝家はついに出陣を決意する。


「ただし、一撃を加えたら直ぐに引け」


 盛政は柴田軍精鋭の半分、八千を率いて出陣した。


 この奇襲は予想以上の成果を上げることになった。羽柴軍の砦は落とすが、それを知った勝家は直ちに撤収せよと指示。しかし盛政は動かない。


「トキ」

「なあに」

「今回も頼むぞ」

「分かっているわ」



 奇襲に成功して機嫌の良い盛政は、勝家の撤収指示を無視している。だが前線に留まった盛政に予想外の事態が起こる。砦を占拠したその夜に、秀吉軍が突然来襲して来たのだ。

 秀吉軍が高松城前から姫路城に急行軍したのと全く同じパターンだ。勝家はそれを知っていただろう。にもかかわらず秀吉はそんなに早く戻れないと勝手に判断し、盛政の独断を許してしまう。秀吉の行動が時代の常識から離れ過ぎている。勝家は全く秀吉の発想に付いて行けなかった。



 人は思い込みをする生き物で、同時に感情が先立ち、物事を客観的に見れないと科学的に解明されている

 確証バイアスは、自分の仮説・信念を支持する証拠ばかりに注意が向かって、それらを否定する都合の悪い事実を無視してしまう認知の偏りを意味する。

 バイアスによって、客観的な判断や推測ができなくなっているのだ。

 勝家は考える。中国大返しのような事は滅多に起こらないはず。いや、何かの間違いだろう。何故ならあの様な成り上がり者にそんな事が出来る筈が無いではないか。勝家の持つ強い信念が、その自分の考えを否定する材料など、無意識に目に入らない状態に働いている。


 勝家の生きた時代は戦場での経験が全てであり、特に経験の浅い若者にとって歴戦の勇者は神のような存在である。まさに勝家は自分こそ尊敬されるべきであって、理解に苦しむようなとんでもない事ばかりやる秀吉は、目の上のたんこぶなのであった。

 目の前にとんでもない優秀な教師が居るというのに、それが全く目に入って来てはいなかったのだ。

 確かに秀吉の先進性に戸惑うのは、勝家だけでは無い。あの時代にあっては誰も理解出来なかっただろう。



 快勝の美酒に酔いしれ、昼間の疲れから寝りこけている盛政達は、いきなり現れた羽柴軍に驚愕する。盛政達は敵に包囲され孤立してしまったのだ。

 その後、前田利家らの部隊が撤退した為、盛政の部隊と勝家の本陣の連絡が断たれた。

 敵陣のただ中で狼狽する勝家側の兵士達は、一気に統率を失い崩壊してしまい、後は皆散り散りに逃げて行く事となる。

 やがて佐久間盛政は落武者となって捕らえられた。


 落ち延びる途上、盛政は越前府中付近の山中で郷民に捕らえられた。秀吉に引き渡されたとき、なぜ自害しなかったのかと聞かれたが、「源頼朝公は敗れたとき、洞に隠れて逃げ延び、後に大事を成したではないか」と言い返し、周囲をうならせたという。

 秀吉は盛政の武勇を買って肥後一国を与えるので家臣になれと誘った。しかし盛政は秀吉の好意を感謝しながらも、武士として死罪を願った。秀吉はその心情を賞賛して切腹を命じたが、盛政は敗軍の将として処刑される事を望んだのだった。

 佐久間盛政の娘虎姫は父の死後、秀吉のはからいにより中川清秀の二男秀成(豊後国岡藩初代藩主)の正室となった。


 この時代の女性といえば、お市の方や細川ガラシャ夫人などが有名ですが、虎姫も数奇な人生を歩んだ女性でした。盛政が大岩山砦を攻めると、守っていた中川清秀は自害。家臣のほとんどが討ち死にした中川家にとって、佐久間氏は不倶戴天の敵となる。

 ところが秀吉は何を思ったのか、虎姫の嫁ぎ先を盛政により自害に追い込まれた中川清秀の二男秀成とした。中川家がその命令に逆らうことなど出来るはずもなく、まもなく二人は結婚する。

 やがて秀成は兄秀政の戦死により家督を継ぎ、岡藩初代藩主となる。しかし虎姫は敵将の娘という負い目からか、中川家中を慮り、京、大坂に住み、終生岡藩竹田の地を踏むことはなかったといいます。五百キロ以上も離れた土地を秀成は往復していた事になる。それでも虎姫と秀成の夫婦仲はいたって良く、二人の間には7人もの子供が生まれたんだと。

 嫡子久盛も元気に育ち、中川家の跡取りの心配もなくなった虎姫には積年の悲願があった。それは、父盛政の菩提寺を作ること、そして佐久間の家を再興することだった。しかし、その願いは叶うことなく7人目の子供を産んだ日、その出産が原因で京都屋敷で亡くなった。

 夫秀成は妻の悲願を聞き入れ、7人目の子供内記に佐久間家を継がせた。そしてもう一つの悲願、盛政の菩提寺は虎姫の死から34年後の寛永21年に嫡子久盛により建立された。



 盛政部隊の混乱した撤退劇は、勝家本陣の軍までも悲惨な撤収に繋げてしまっている。

 結果勝家は北ノ庄まで撤退して、落城の際に妻・お市の方と共に自害したが、娘三人は逃がされた。また、離反した家臣に対して恨み言は言わず、最後まで付き添ってきた勝家の家臣たちには、生き延びろと言っている。

 実を言うと、勝家とお市の方も出来れば助けたかった。だがそれを言い出すのは逆効果になるだろう。ここで秀吉から情けをかけられる事は、二人にとって屈辱でしかない。この先どんな辱しめを受けさせようと言うのかと……



 一方賤ヶ岳の戦いでは全く名前の上がって来なかった家康は、織田信雄と秘密裏に同盟を結び、毛利、長曾我部、北条などに密使を送っている。やはり信長に対して謀反を起こした光秀とは違い、前もってしっかり手は打っている。

 さらに紀州の雑賀党などに反乱を勧めているらしい。織田信雄との同盟などは、明らかに考え抜いた一歩を踏み出しているではないか。

 しかしその信雄は凡庸な御曹司で、秀吉と家康の駒として、いいように利用される運命が待っている。既に織田の家運は消えているのだ。


 そしてもちろん家康の存在をおれ秀吉は十分承知している。しかし家康が本気で秀吉を敵と見なすのなら、賤ヶ岳の戦いで動くべきであった。その機を彼は逃している。少なくとも家康は高見の見物を決め込む気でいたのではないか。織田家内紛による共倒れを。ところがそんな思惑とは違い、勝家は呆気なく倒れてしまう。

 だが今となってはもう遅い。秀吉が既に掌握した諸国の地固めはしっかり進めている。家康に比べて、こちらは二倍から三倍の兵力を動員出来るだろう。家康はまだ気付いていなかったのだ。秀吉がどれほど切れ味の凄い男なのか。どんなに時代の先を行っている者なのかを。家康が何年もかかって手に入れるものを、秀吉はほんの数ヶ月で手に入れ、けろっとしているのだ。チャンスとみれば一足飛びも、二足飛びも躊躇わずにやってしまう。その差がここに来て出たのだ。

 だからと言ってこのまま手をこまねいていれば、ジリ貧となり秀吉の軍門に降るのは分かりきっている。そうなる前に強烈な一撃を食らわせてやる必要がある。頭を下げるのはその後でも遅くない。家康はそう考えているに違いなかった。

 ただし、未来から来たおれ秀吉の前では、そうはいかない。

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