第7話 勘兵衛
おれの前に竹中半兵衛がいる。もう何度も言うが、はっきり言ってこの男、やはりイケメンだ……
「半兵衛」
「はい」
「今、上杉謙信と事を構えるのはどう思う?」
「無駄とは申しませんが、状況をよく認識しておく必要が御座います」
「…………」
「上杉家は足利宗家の外戚として知られております。後嵯峨天皇の第一皇子である宗尊親王の関東下向に供奉して武家になったとされ、足利氏との血縁から関東管領を世襲した名門であります。格式の低い新興勢力と見下している信長様が、宗家を思うがままに振り回している事に対して、決して良い感情は抱いていないでしょう」
「だろうな」
上洛を急ぐ謙信の次の狙いは、能登国の平定であった。謙信のもとに、足利義昭や毛利輝元から早期の上洛を促す書状が届いている。
信長は包囲されている七尾城を救援すべく、軍勢の派遣を決定。謙信との戦いに踏み切った。秀吉にも出陣命令が届き従軍している。
総大将柴田勝家の下、羽柴秀吉ら三万余の大軍は、越前北ノ庄城に結集しつつ進軍した。
だが史実で上杉謙信は天正五年春日山城に一時帰還し、次の遠征を準備中に倒れ死去した。その後は血で血を洗う内乱によって上杉家の勢力は大きく衰えることとなる。
上杉勢がこのまま西に向かわないのは分かっていても、上様の命とあらば従わぬ訳にはいかない。それでも半兵衛に愚痴の一つも言いたくなる。もっともそれはおれが歴史を知っているから言える事で、当時の信長としては、背後の脅威である上杉勢を叩かざるを得ないのは仕方のない事だった。
「上様は何を考えておられるのだ」
「……殿は何かご存じなのですか?」
半兵衛がおれの顔を覗き込んでいる。もちろん時代は既に下克上の世の中である。格式など信長にとっては何の意味もない。
「謙信はこれ以上西には来んよ。なのに今もたもたと、こんな大軍で北に向かってどうするんだ」
しかしそんな事を言っても、今の状況では仕方がない。それにしてもここに長居は無用だ。おれは総大将の勝家に喧嘩を売って、ケツをまくることにした。一芝居打つ事にしたのだ。
軍議を開くと言って重臣達を招集した勝家の前で、おれはいきなり仁王立ちとなり、
「勝家殿、一体何を考えておられるのですか」
「――――!」
「言いたくはないが、大将のあんたがだらしないから、謙信なんぞに舐められているんだ」
「なんだと!」
重臣達皆の見守る前で、いきなり勝家に面と向かい、あからさまに非難罵倒したのだ。新参者のおれが古参の重臣達から嫌われているのは百も承知。そのおれがいきなり堂々と大口をたたき出した。
勝家などはチャンスが有れば潰してやろうと、手ぐすね引いて待ち構えていたタイミングだっただろう。その武者人形のような荒々しい顔色が見る見るうちに変わってきている。
ここは一気に行く。
「何を言うか!」
「ああ、何度でも言ってやる。こんなところでもたもたと、あんた何をしているのだ、今更軍議も何もない。やるべきことは決まっているではないか。それとも知恵が無いのか」
その後はもうめちゃくちゃな言葉をまくしたてた。内容なんかどうでもいい。とにかく罵詈雑言を言い続けたのだ。
「このやろう!」
思惑通りに勝家は烈火の如く怒ると、おれに掴みかかって来た。周囲を取り巻く皆に引き離される騒動となってしまう。
よし、これで単独撤退の口実が出来た。
だが、半兵衛は、
「しかしこれは上様が黙っていないかもしれません」
勿論勝手な単独撤退は明らかな軍規違反で、軍法会議ものだ。どう断罪されようと文句は言えない。
「かまうもんか」
「ははっ、確かに。たとえ命令違反をしても、他に利用価値がありさえすれば、上様はまた違う判断をされかもしれませんな」
半兵衛は頷いた。
その後は畿内を平定した後に、信長が西に向かわせた武将は秀吉だった。敵前逃亡とも思われかねない、単独撤退をした武将だったのに。他の重臣達の誰もが唖然とする中、秀吉は意気揚々と出陣して行く。喧嘩を止めた重臣たちにとって、秀吉の勝手な振る舞いは迷惑至極だったとか言われている。
一方信長にとっては秀吉が勝家と喧嘩をしようと、単独で戦線を離脱しようと、そんな事はどうでもいい。それよりも肝心なのは西に向かう人選だった。「秀吉しか居ない」それが信長の出した結論だったのだ。
秀吉が勝家を罵倒して去った後の織田軍は、手取川の戦いで上杉軍に大敗する。勢いに乗って追撃する上杉勢に追われ勝家の軍は飛ぶように逃げ帰ったと言われている。その挙句に憎き秀吉はのうのうと新天地に出征するではないか。敵前逃亡をしたはずの秀吉がである。勝家の憤懣やるかたないとはこの事だった。
そして播磨国で秀吉の軍を迎える者の中に、黒田官兵衛がいた。勘兵衛は何度か安土に来ているから、秀吉とも初対面ではない。
その勘兵衛が秀吉にいきなり声を掛けている。
「上手くいきましたな」
「はははっ」
秀吉は勘兵衛と同じく、顔を崩して笑い出した。側で見守る半兵衛は、一人取り残されたように複雑な顔をしている。
官兵衛が離れ、二人だけになると、半兵衛が聞いてきた。
「殿は……」
「半兵衛」
「はい」
「其方とあの者との違いは何だと思う」
「…………」
竹中半兵衛と黒田勘兵衛は、どちらも類い稀な能力の持ち主である。それは間違いないだろう。おれは半兵衛に言って聞かせた。
「其方は、この先どんなにチャンスが巡ってこようと、私に代わって天下を狙う事はないだろう」
「…………」
「だがあの者は違う。必ずおれに取って代わろうとするに違いない」
その黒田勘兵衛も、播磨国では調略に腕を振るい、流石の半兵衛の出る幕は無かった。しかし勘兵衛には放言癖があったように思える。自らの能力を過信している。それを裏付ける出来事が起こってしまった。
史実では織田家の重臣で摂津国を任されていた荒木村重が信長に対して謀反を起こし、有岡城に籠城した。この時、勘兵衛は「儂に任せろ」と村重を翻意させるために有岡城に乗り込んだが、逆に水牢に幽閉されてしまったと言うのだ。
信長は、黒田官兵衛が寝返ったと勘違いして大激怒。官兵衛の息子・黒田長政を殺すよう秀吉に命じる。
しかし、1年後有岡城が陥落し、黒田官兵衛は奇跡的に救出された。
秀吉は官兵衛が寝返っていなかったことを知り、官兵衛の息子を処刑したことを泣いて詫びたと伝えられています。しかし実は、秀吉が処刑するように言った半兵衛は命令に反して殺さず、匿っていたと判明する。半兵衛は黒田官兵衛が裏切っている訳はないと、息子の黒田長政を守っていたのだった。
これを知った黒田官兵衛はもちろん、秀吉も半兵衛に心から感謝したとのこと。
黒田官兵衛などは、竹中半兵衛への感謝の気持ちを忘れないために、竹中家の家紋「石餅」を使うようになったと言われています。これ以降、秀吉は黒田官兵衛を重用するようになる。
だが、そんな敵方に捕らえられた官兵衛をいつまでもほっておく訳にはいかない。
「半兵衛、儂が伊丹城に乗り込む事にする」
「えっ、殿、それは危険過ぎでは」
「大丈夫だ、勘兵衛もまだ殺されていないのなら、儂を殺す事も無いだろう」
だがおれは無事戻って来れたが、勘兵衛は解放されなかった。仕方がないので奥の手を使うことにした。
「トキ、頼む、勘兵衛を救い出してくれ」
「分かったわ」
もちろんトキによって救い出された勘兵衛は訳が分からないという顔をした。
「勘兵衛」
「はい」
「なにをキョロキョロしておるのだ」
「えっ、あっ、その……」
その後勘兵衛が自信を取り戻すまでに要した時間の長さは、彼の名誉の為にここでは内緒にしておこう。
そしてこの後に起こる三木城の兵糧攻めでは、城主の別所長治を説得して多くの城兵たちや、女子供を救わなくてはならない。
「勘兵衛、城兵と女房供、子供たちを助けるぞ」
「長治の切腹と引き換えに城兵を助けるのですか?」
「いや、全員だ」
「…………」
「降伏すれば、全員の命は助けると言え」
史実で秀吉は城主の切腹と引き換えに城兵たちを助けるとの約束を、度々反故にしていたようです。
なお半兵衛は播磨三木城の包囲中に病に倒れ、陣中にて死去した。美人薄命ならぬ、イケメン薄命であった。
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