67話 用は済んだ


「呂布と袁術が死にました」


「まさかこれほどあっけないとはなぁ。せめて一年は粘ってくれると思っていたんだが、なんとも不甲斐ない」


 広い幕舎の中、数多の書簡が並ぶ机の前に座り、袁紹は大きなあくびをかました。

 若い頃は兄弟として共に過ごしていた袁術の死を聞いても、何ら変わりない様子のままだった。


 曹操の死を聞いた時も、同じだ。きっと誰であろうと袁紹は同じような反応をするのだろう。

 傍らに立つ逢紀は、そんな主君に些かの畏怖を感じながら、僅かに目線を落としていた。


「それで、婿殿(曹昂)の様子は?」


「調べによれば呂布との戦で毒矢が命中し、未だ完治には至らず、彭城で療養中と。命に別状はないようですが、すぐに動ける身体ではないみたいです」


「呂布は、最低限の戦いはしたみたいだな。しかし問題は公路(袁術)のやつだ。あれでは、無様もいいところだろう」


「袁術亡き淮南は今、劉備が実効支配しております。彼は人心を得るのがやはり上手い。新たな君主を民は喜んで迎えているとか」


「さてさて、どうしたものか。天下を治めるというのは、些か骨が折れる」


 冗談なのか、本気なのか。逢紀はとりあえず、同調するように軽く笑うしかなかった。

 もう、幽州の雄「公孫瓚」の籠る易城を取り囲み、五年の月日が経とうとしている。


 落とそうと思えば、もうすでに二年前には落とせていただろう。

 しかし袁紹は行動に移さなかった。迷っているわけではなく、公孫瓚は生かしておくだけで利益になると思っていたのだ。


 公孫瓚は対立していた幽州牧「劉虞」を殺した。劉虞は異民族からも慕われる仁君であった。

 それを殺したのだ。公孫瓚を憎いと思っている人間は多い。袁紹はここに目を付けた。


 ならば公孫瓚を生かしておけばおくほど、河北で公孫瓚へ不満を抱く者を味方に受け入れやすくなる。

 おかげで河北の統治は驚くほど順調に運んだのだ。大悪を滅ぼす正義。袁紹はこうした構図を形成するのが上手かった。


「これほど事が早く進むのだったら、婿殿に兵糧や資金を与えるべきじゃなかったな。損の方が大きい。他に気になる動きは」


「張繍が許昌へと侵攻中。今、最も天下で動きの激しい有力者は、彼でしょう」


「前までは私に頻繁に使者を送り、頭を下げ、誼を通じていたくせに、今となっては何の音沙汰もない。小悪党らしいな」


「ですが今の張繍はそこまで大きくはありません。曹昂を使えば、張繍も滅ぼせましょう」


「いやいや、そうなれば大きくなりすぎるだろう。婿殿にはここらで止まってもらわなければ」


 心底迷惑そうな顔で眉をひそめながら、袁紹は逢紀のほうへと向き直る。

 袁紹の最古参の配下として長く仕えてきたから分かる。こういう時の袁紹が、どういう結論に至るのか。


「うーん、用済みかな。逢紀、婿殿を殺せるか?」


「……瑛様は曹昂を慕っており、曹昂もまた同じと聞きます。両家の関係も悪くない今、何故、事を荒立てるのでしょうか」


「呂布も、公路(袁術)も死んだ。曹昂も死ねば、中原は曹昂残党と劉備と張繍で荒れ放題になる。そこで私が堂々と婿殿を助ける形で軍を出し陛下を手にすれば、天下統一は成る。あぁ勿論、私のあずかり知らぬ形で殺してくれよ?」


 袁瑛の気持ちはどうなるのか、と逢紀は聞いたつもりだったが、どうやら伝わっていないみたいだ。

 勿論、袁紹の言っていることは正しい。天下統一のための戦略として、何一つ間違ってはいない。


 この「寸分の狂いもない正解」が、袁紹という男をここまで大きくしていった。

 しかしたまに不安にもなる。正解を導いたはずなのに、董卓に政権を奪われたあの日のことを思い出してしまう。


「どうした? 逢紀、謀略はお前の仕事だろう? 難しいのか?」


「いえ、出来ます。直ちに取り掛かりますか? あと瑛様は、どのようにいたしましょう」


「すぐ取り掛かれ。瑛は、そうだな、婿殿の死後その残党に干渉する口実が欲しいし、そのまま曹家に置いておくか」


「かしこまりました」


 袁紹は開いていた書簡を閉じ、左手側の箱の中に投げ入れ、右手側に詰まれた別な書簡を手に取り、開く。

 王と臣下の立場は違うのだ。自分はただ、この主君に従っていればいい。それで間違いはない。


 逢紀は深く頭を下げ、そのまま幕舎を出ようとした。

 そこでふと、袁紹が逢紀を呼び止める。


「そうだ、沮授と田豊と許攸も呼んでくれないか」


「承知しました。軍議ですか?」


「おう、もうそろそろ公孫瓚を生かしておく理由もなくなったからな。南下を視野に入れるなら、ここらで滅ぼしておきたい」


 少しずつだが、確実に天下の戦乱は終息しつつある。袁紹という巨星を中心として。

 乱世を平定する為だ。些かの犠牲は仕方あるまい。逢紀はそう、思い直すこととした。

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