66話 まずは外見から
暇だ。とかく、それに尽きる。
とにかく気を荒立てず、十分な休息と睡眠だけを強いられるというのも、酷な話だ。
張機の腕は見事であった。治療の甲斐もあって、今まできつくてしょうがなかった体も回復していってるのが分かる。
というより、今までが忙しすぎたし、気を張り詰め過ぎていたのだろう。
「左腕の感覚は、如何ですか」
「痺れはまだ取れない。動かそうと思えば、僅かに動きはするが」
「ふむ」
「馬に乗れるようにだけはしておきたい」
手は握れる。しかし感覚が無く、力もほとんど入らない。これでは手綱は握れない。
それどころか剣も扱えるかどうかわからなかった。どうにかしたいが、張機の表情は曇ったままだ。
「以前にも申し上げましたが、完治は難しいかと。後はどれだけ勘を取り戻せるか、ですね」
「そうか……俺はいつ、都に戻れる。仕事に復帰できる」
「良いですか、曹車騎はここ一年で急激に生活の変化がありました。普通の人間であれば、いつ壊れてもおかしくないほどの重責です。休み無しに走り続けた馬は心臓が急に停止し、死亡します。人間もまた同じ、焦ってはなりません」
「それでも、役割がある。俺が隠居の身であればいくらでも休んでやるが、そうもいかない」
「私としては、二月は完全な休養をおすすめし、一年は安静に過ごしてほしいと思っています。お立場上それが難しいのは分かっておりますので、復帰の判断は荀録尚書(荀彧)に委ねています」
俺が前に出ずとも、まだ官僚達の動きだけで事態への対処が色々と可能という段階なのだろうか。
僅かにだが、胸に燻ぶる思いがある。荀彧らは、俺をこのまま表舞台から排除することも出来るな、と。
分かっている、それがくだらない妄想であることくらい。荀彧はそういう人じゃない。
だが数多の歴史上の「君主」達が、猜疑心に駆られて暴君に堕ちてしまう心情も、理解はできる。
やはり、権力というのは危険だ。積み重なったものが目を曇らせ、いつしか取り返しのつかない結果を産んでしまう。
中央集権の極地である皇帝制を採用する以上、こうした危険と常に隣り合わせな場所に、俺は身を置いているんだ。
「熱病も収まってきましたので、新たに配合した薬湯を置いておきます。就寝前にお飲みください」
「それは、苦いのか」
「前ほどではありませんが、苦いです」
一礼し、部屋から出ていく張機と入れ替わるように、今度はルンルンと袁瑛が部屋に入ってくる。
今、暇をしている俺の気を紛らわせてくれているのは、間違いなく彼女であった。
そして彼女の後ろには、数多の衣類を抱えた女中の林さんが、可哀想な感じになっていた。
もう引っ越し業者かよってレベルで荷物持たされてるじゃん。お嬢様が過ぎるぜ、それはよぉ……
「あの、林さん、大丈夫ですか?」
「お気遣い、なく……もう、慣れております」
「瑛さん? あのぉ、林さんが重そうだし、次からはもう少し従者を増やそうね?」
「あら、そうですね、すっかり舞い上がってしまいました。でも林が、一人でも大丈夫って」
何というか、責任感が強いというか、瑛さんの前では「出来ない」なんて言えない性格なんだろうな。
とはいえ、一回りくらい年上の人に山盛りの荷物を持たせるのは、流石に止めさせよう。うん。
ドサドサと衣類を床に落として、肩を落とすほどへとへとになりながら林さんは部屋を出ていく。
これらの衣類は全て、袁瑛が自らデザインしてプロデュースしたものばかりである。
良いものに沢山触れてきたのだろう。彼女の美的なセンスというのは非常に優れたものがあった。
おまけに本人が何を身に着けても似合うモデル体形の大人な美人だ。しかも自身もお洒落が大好きらしい。
「先日、子修様が仰っていた通り、子修様に似合う衣服を揃えてみました。鎧の上からでも着用できるものばかりです」
「本当に助かる。というかよく数日でこんなに……」
「お父様の名前を出せば、冀州の商人は手を尽くしてくださいます。それに私の連れてる女中は皆、裁縫に長けた者ばかりですので」
さらっと凄いこと言ってるな。
もう袁紹の名前が、水戸黄門の印籠レベルの影響力を持ってんのか。
まぁ、それはさておき、袁瑛が広げてみせてくれる戦袍(陣羽織)はどれもシンプルかつカッコいいものばかりだった。
やはり見た目が与える影響力というのは、古今東西、非常に大きいものがある。イケメンや美女が優遇されるように。
だとすればやっぱり、それを積極的に取り入れた方が良い。つまり俺が目指すのは「制服」である。
まとまりを欠く現在の軍隊を一つにまとめるための施策の一つといってもいいかもしれない。
こうしたシンプルかつスタイリッシュな衣服で、俺の陣営の幹部格や側近を統一させる。
組織を運営していくうえで、この「統一感」というのは大きな意味を持つものになるだろう。
「細身に見せるのであればやはりこちらの、黒を主体とした戦袍もよろしいかと」
「良いものばかりで、目移りしてしまいますね。やはり瑛さんを頼って正解でした」
「光栄に御座います」
正直なところ、オシャレとか全く分からん。まぁ、瑛さんがおススメしてくれるものはどれも良いものなのだろう。
とりあえずは複数枚作れるレベルにシンプルで、周囲の目を惹けるものを目指していこうか。
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