65話 身に余る
マズいことになったと、荀攸は頭を抱える。
袁術が死んだ。劉備軍を阻むために出陣し、そのまま持病で絶命したというのだ。
誰にも支持されぬ皇帝であった。己が信じた天命だけを見たまま、夢の中で息絶えた。
乱世に生まれなければ。袁術と親しかった陳珪は、その一報を聞いて、そう漏らしていた。
そして誰にも支持されていないが故に、誰もが袁術の後継者を立てようとはしなかったという。
有名無実とはいえ、漢王朝を慕う人間はまだ多い。四百年もの歴史を、覆すのは容易い話ではない。
その結果、袁術陣営は一夜にして瓦解し、その軍もまた霧散した。
誰よりも早く、この機に乗じたのは勿論、対袁術戦線を担っていた「劉備」である。
劉備は一気に袁術軍残党を蹴散らし、吸収しながら淮南郡を手中に収めたのだという。
危急の事態であるからといい、朝廷の許可も得ないまま寿春一帯を実効支配。これがマズかった。
「どうなされた、軍師殿」
「急な訪問、申し訳御座いません、劉延殿。少し厄介なことになりまして」
「劉備か」
「まさしく」
寿春は、中華の南方の要ともいうべき都市である。
淮水を通して徐州南部とも繋がっており、寿春が上流に位置する以上、無視することは出来ない。
そして劉備は、かつては徐州を統括していた過去があり、徐州の有力者達からの支持も篤い。
また、朝廷から与えられている肩書きは「豫州牧」であり、それを掲げれば豫州にも影響を及ぼせる。
その気になれば劉備は、一気に勢力を塗り替えることすら出来るという不穏分子になったのだ。
本来であれば主力軍を徐州に割き、警戒を払うことも出来るが、今、そのようなことが出来る情勢ではない。
「先日、急ぎ本軍を帰還させました。張繍の北進に対応するためです。そして直に私も都に戻らねばなりません。その後は将軍が、徐州の一切の権限を握ることとなります」
「徐州の軍部は今、臧覇殿と陳登殿の影響が極めて大きい。彼らの補佐があってこその、徐州だが……」
「二人とも、劉備とは非常に親しい関係にあります」
荀攸は目の前の、人の好さそうな大柄の武人を見据える。
臧覇や陳登を御し、劉備への対応を真っ先に担うことになるであろう役目を、果たして担えるだろうか。
勿論、現在の劉延の本来の職務は洛陽の守護だ。徐州の管轄は一時的なものである。
だが安定するまでの間は、やはり呂布を討った軍の長である劉延が担っていかないといけない。
「臧覇将軍が徐州北部を、陳登将軍が徐州南部を実質的に統轄し、劉延将軍はその二人を御する役目。我々としては、この二人に偏っている実権をこちらに引き寄せたい」
「そんなことをすれば反感を抱くだろう。なるほど、つまり私が下手をうてば、劉備が公的に徐州までも手中に収めかねないと」
「現地の声に従って、という建前で朝廷に強く訴えれば、こちらも譲歩せざるを得ないので」
「難しいな」
「それでもやっていただかねばなりません。劉備は野心溢れる男です。決して、人の下風に立つ者ではない。徹底的に、封じ込めねば」
曹昂が君主となり、一年余りで急に立場が飛躍したという将軍であった。
州を束ねるような難題を前に、果たして上手く立ちまわることが可能かどうか。
しかし他に選択肢はない。一応、杜襲を含めた潁川郡の官僚達はいくらか残していくつもりである。
しばらくの間、容体が落ち着くまでは曹昂も彭城に居る。危急の際は、頼ってみても良いかもしれない。
「陳珪殿は確かに劉備とも親しいですが、公私を弁えておられる賢者です。信頼に足る御方ですので、大事の相談は彼に」
「分かった」
「あとは、臧覇将軍ですね。あの将軍を、どう見ますか」
「戦上手だと、私は思う。豪族としての経験も長く、人を統べるのにも向いている。配下も優秀な将が多く、まるで一個の群雄の様に見える」
「殿か、劉備か。どちらかを選べと言われた時、臧覇はどう動くでしょうか」
「分からない。臧覇は殿を選びそうだが、臧覇の配下は劉備支持者ばかり。配下に詰め寄られた時、臧覇が殿につくと断言はできない」
それに、臧覇は長く徐州北部を実効支配していただけに、先を見る目も確かだ。
長期的に見て、利が大きいのはどちらか。臧覇ならばそういった時勢を読んだうえで判断するだろう。
思えば臧覇は、あの呂布ですら御し得なかったのだ。
徐州を治めるには、この将軍をどう扱うかにかかってくるだろう。
「ひとまず善後策は朝廷で判断し、将軍にお伝えします。将軍もまた何か意見があればお伝えください」
「私の進言を、直接?」
「そうです。後任は朝廷から派遣されると思いますが、将軍の近くに推薦したい人が居るのなら、それをお伝えください。その貴方の進言は、最も重要な判断材料となりますので」
「……身に余る大役ばかりが、降ってきますな」
「それをこなす力量をお持ちなのですから、胸を張っていてください」
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