63話 徐州平定
一夜にして、城の外は水面へと変化した。まるで下ヒの城は、湖に浮かんでいるかのようである。
誰もがその光景を見て、落ち込むでも、怒りを覚えるでもなく、ただただ口を開くことしか出来なかった。
「高順殿、如何なさいましょう」
「曹性将軍、兵糧はあとどれほどだ」
「蓄えもほとんどなかったので、もってあと数日。切り詰めて、明後日まで」
「そうか」
もはやここまでか。城壁に腰を下ろし、高順は大きく息を吐いた。
三日を過ぎれば、兵士達は飢え、死した仲間の肉を喰らうようなはめになるだろう。
呂布への忠義を貫くのであればそれも止む無しだが、流石に、戦友を食うことは出来ない。
辺りが水没した現状では包囲の突破を図ることも、秘かに兵糧を運び込むことも不可能であった。
「小舟の備蓄は」
「百名の兵が乗るぶんほどしか」
「今宵、小舟に乗って堤防の破壊を試みる。それが出来なくば、降伏してくれ」
「……高順殿は」
「殿との約束がある。死ぬほかあるまい。だがお前はまだ若い、ついてくることは許さないぞ」
「それは、命令ですか」
「そうだ」
土色に濁った水面が、朝の日の光を照り返していた。
その日の光の中に、小舟が一艘だけ浮かんでいるのが見えた。こちらに、近づいてくる。
曹性も同じく気づいたのか、兵たちに弓の用意をさせるが、高順はそれをやめさせた。
小舟に乗っているのは。恐らくだが、張遼だ。高順は遠目を凝らして、全てを悟る。
「曹性将軍、兵たちに装備を解かせ、残った食料も肉も酒も、全てふるまえ。あと、縄梯子を用意しろ」
「よろしいのですか」
「あぁ、戦は終わった。しばらく一人にさせて欲しい」
「……御意」
無機質な顔を浮かべたまま、曹性はその場を後にする。
近づいてくる小さな舟を遠くに眺めながら、高順は鼻を啜り、とめどなく涙を零した。
◆
色々と予定は狂ったが、下ヒ城は落ちた。あまり水攻めは意味を成さなかったけれど。
数多の犠牲を払いながら、呂布も討ち取った。全身に矢を受けながらの、壮絶な最期であった。
そして城を護っていたもう一人の英雄「高順」もまた、そんな呂布に殉じて自害したとか。
本来であれば助け、共に戦ってほしかったし、その為に説得の使者として張遼を選んだのだが、駄目だったらしい。
呂布軍残党の主力軍は張遼が、そしてその他の部隊を曹性が引き継ぐ形で、俺は呂布軍の兵士の降伏を許した。
徐州の群雄としては少ない、総勢およそ二千ほどの呂布軍。だが生き残っていた者達は皆、天下に誇るべき精鋭揃いだ。
「殿、本日の謁見は以上です。早く寝室へ」
「肩を貸してくれ、朱頼」
「私の背にお乗りください」
許チョに代わって今後、俺の護衛に当たるのは朱頼となっていた。これは許チョからの強い推薦である。
確かに定陶での防衛戦では、非常に冷静な視野と、豪胆な手腕を見せてくれた。信頼に足る猛将だ。
心配そうな面持ちで、荀攸が横を歩いていた。
こんな顔をしていながら、戦に勝つために俺の命を策の道具として使ったんだ。少し笑えてくる。
頼もしい。これくらい狂っていなければ、軍師は成り立たない。
後は全て荀攸に任せても良いだろう。
「俺は、このまま都に戻る」
「はい。一旦は劉延将軍を殿の代理とし、杜襲殿、陳珪殿、臧覇将軍を補佐に置き、ひとまず徐州の安定化を図ります」
「呂布軍残党は、都に送らせ、再編成をする。いいな」
「しかとそのようにお伝えしておきます」
「後は頼んだぞ。他に、俺が聞いておくべき話はあるか」
「……御座いません。ご安静になさってください」
劉延将軍を代理にするということは、それなりの役職も用意しないといけないはずだ。
まぁ、そのあたりは予め、荀攸や荀彧が手配してくれているのだろうな。
俺がやるべきはまず、体調の回復を図ることだ。
傷口がまだ化膿し、癒えてはいない。医者が言うには毒が抜けきっていないとのこと。
この辺りの知識が乏しい俺には、どうすることも出来ん。
山場は越えたと周囲は言ってくれるが、実感はあまりない。ずっと意識は朦朧としたままだ。
自分の体を信じ、癒えるのを待つ他無いが、正直ずっと寝たきりだと身体だけでなく心まで弱ってくる。
せっかく危険を冒してでも戦を早く終わらせたのだ。挫ける時間なんてないというのに。
「朱頼、明日の予定は、どうなってる」
「明日から彭城へと移ります。既に都より名医を多く派遣していただいておりますので、ご安心を」
「そうか」
「中には、名医と名高い張長沙太守も居られるようで。殿の病もこれで回復に向かいましょう」
聞いたことがあるような、無いような。駄目だ、上手く頭が回らない。
ようやく、曹操が成そうとしていたことを一つ成せたんだ。頼むから早く、俺の体を元に戻してくれ。
もはや怒りにも似た祈りを、一度も信じたことが無い神にぶつけてみた。
当然、返事が聞こえるわけもなく、俺はただ朱頼の背で揺られていた。
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