6話 儒教と道教


 三国志の時代に触れるうえで、決して欠かせない知識というか常識が、この「儒教」だ。

 どれほど階級が低かろうと、この時代に生きていくのなら、絶対には避けて通れない。


 儒教にはそれほどの影響力があった。

 紀元前五百年程前に「孔子」が生み出した思想であり哲学であり倫理観。それがこの儒教である。


 言うて俺もそんなに知ってるわけじゃない。

 現代日本に生きていれば、深く知る機会にはめったに恵まれないからな。

 

 例えば、親を大切にしなさいとか、人の上に立つ者は人格者であるべきとか、正しく生きるためにはとか。

 そういう「真っ当な道徳」のルーツの原点に、この儒教がある。そして後漢末期は、その色が更に濃かった。


 何をするにも儒学の教えを遵守し、あらゆる礼儀作法もガチガチに定められるなどなど、その影響力はさらに増していたとか。

 そんな中で生まれたのが「太平道」という道教的思想だ。簡単に言えば、儒教は面倒だからもっと自然体に生きようぜって考え方だ。


「私にとって、いえ、黄巾党に属する者達にとって太平道の教えは、まさしく救いでした。曹昂様は、今の平民の現状をご存じで?」


「不作による飢饉、相次ぐ紛争、重税に次ぐ重税、守ってくれるものは誰もおらず、民は流民に、流民は賊になることでしか生きられない」


「まさしく。親が子を殺して食うなど、何も珍しい話ではありません。私もまた幼少の頃、激痛と共に両手が腐っていく病に侵されました」


 医者に診てもらいたくても金がなく、金を作るための作物も少ない。

 そして朝廷より「清廉で孝行者」と評価されたはずの役人が、平気な顔して、私の病など一切気にせず税を毟り取っていく。


 不其の目には、僅かに怒りの籠った涙が浮かんでいた。

 本当に地獄のような話だ。しかしこれが、この時代ではよく起きていた話なのだ。

 それに比べれば俺は、なんて恵まれた世の中で生きていたのかと、思わず目を伏せてしまう。


「そんな死にそうな私を、無償で救って下さったのが、大賢良師様でした。両腕は失いましたが、私は間違いなく、あの御方に救っていただきました」


「だから黄巾党に」


「今や朝廷は、儒学を学ぶ余裕があり、それを自分達の都合の良いように解釈し、法として万民に押し付ける者達によって動いています。ならば弱き人々に手を差し伸べる御方に従いたい。それが全てなのです」


 この世の全てが、弱者を更に弱い立場へと追いやっている。

 だったら、この世の全ての基盤となっている「儒教」を打ち砕くしかない。


 この乱世は彼女たちにとって災厄であると同時に、最後の希望でもあるというわけだ。

 貧しくて学も無くて儒教を憎む者が、平時に政権を動かせるはずもない。しかし乱世は違う。


 力を示せば、如何な人物でも成り上がることが出来る。この世の全てを覆すことだってできる。

 その夢を曹操に託し、未来の世代のために、命を捨てた。それが青州兵という狂犬の正体なのかもしれない。


「俺は、父と同じ道を進む。父が目指した新しき世を、見てみたいんだ。だからどうか、力を貸してくれ」


「曹操様には、神の加護が御座いました。烈火のごとく猛進する、人ならざる精気と、地を覆うほどの人情が御座いました。故に、夢を託しました」


「もう一度聞く。俺では、不足か」


「答えは変わりません。曹昂様には、曹操様ほどの恐ろしさを感じません。ですが、目を惹きます。あの曹操様の子息とは思えないほど、全てが真逆なのです」


「真逆だと? 俺の覚悟は本物だ。本気で、父上の目指した世界を夢見ている」


「その割には曹操様の死を悲しんでおられない。この危機的状況下で、愚かなほどに落ち着いている。曹操様が大火ならば、曹昂様はまるで冬山のようです」


 すると不其は急にその細い足をグッと上げ、垂れ下がった袖の中を器用にごそごそと漁り、何か小さなモノを取り出した。

 白くて四角い、そう、例えるのならサイコロだ。しかし各面には何やら、よく分からない漢字のような、抽象画のようなものが記されている。


「ですので、こちらで占います。曹昂様が果たして、曹操様に代わりうる器であるのか」


「簡素過ぎて少し、怖いな」


「天意は天意です。工程に差などない、というのが私の持論なので。では」


 指に挟まれたサイコロが、鞭のようにしなやかな足からを俺めがけて投げられた。

 本当に目とかに入ったら危ないような速度。思わず俺は手を前に出し、目をギュッと瞑りながら、そのサイコロを受け止めた。


「危ないだろ!!」


「ふふっ、すいません。では、手を広げてください」


 少女らしい笑顔を前に、これ以上怒ることも出来ず、俺は言われた通りに手を開いた。

 数字じゃないからよく分からないが、いかにも気持ちの悪い、虫を思わせるような抽象画が上を向いていた。

 それを見た不其は少し目を見張り、そしてまた噛み殺したように笑いだす。


「あまり、いい結果を生む絵には見えないが、どうだったんだ」


「そうですね。結果としては、まぁ、最悪です。前途多難、四面楚歌、批判、ありとあらゆる不幸を予知しております。手を握る相手としてみるなら、絶対に避けた方が良い目です」


「そんなもん今更だろう。俺も、お前らも」


「その通りです。今、私たちが居るのは地獄なのですから。そして、曹操様も同じ目を出していました」


「ほぅ」


「他の面には、不幸を避けるべく立ち止まるようにとか、大切なものを失ってしまうとか、そういう意味を含むものもあります。しかしそれは出なかった。ならばこの地獄に曹昂様が耐えうるか否かは、神すらも分からないということ」


「確かなのは、待ち受けるのは困難である、ということか」


「まさしく。自分の運命は自分で切り開くべきということです。果たして曹昂様、その覚悟は御座いますか?」


「覚悟なんて決めなくても、最初から戦うしか選択肢はないんだ。ただ、その戦場に青州兵がいるなら、これ以上に心強いものはない」


「口が達者ですね」

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