4話 青州兵


 予想外のことが立て続けに起きた。典韋、曹安民、曹洪、程昱、そして曹操。

 失ったものはあまりに大きい。こんなに酷い惨敗に、これから耐えられるだろうか。それは分からない。


 陣営から離反する者、裏切る者、付け入ってくる者。陣営は根本から揺らぐかもしれない。

 この世は甘くない。弱ったヤツを食い物にしていくのは人も動物も変わらないのだ。むしろ人間の方が残酷かもな。


 そんな中で、夏侯惇が指揮権を担う二万余りの本軍は順を追って、徐々に許昌へと帰還していった。

 残るは于禁直属の精鋭部隊の三千。外様の武将の中では、最たる実力者として信任を受けていることがよく分かる。


 于禁と言えば、史実では無様に関羽に降伏した、非情に情けない武将としてのイメージが強い。

 ただ実績で言えば曹操軍の中ではトップクラスだ。関羽との一戦、それさえなければ曹操軍最強の男として歴史に名を刻んでいただろう。


「張繍は、攻めて来ないのか」


「恐らく大丈夫でしょう。攻めてくるなら、昨夜、曹洪殿の部隊を壊滅させた時点で行動を起こしております」


 相次ぐ不幸で乱れに乱れていた自軍の中、ただ于禁の部隊のみが隊列を乱さず、張繍軍を食い止めていた。

 張繍軍が更なる追撃に移れないでいるのは、于禁が居るからに他ならない。


 白が数本混ざった髭を蓄え、眉間には深い皺の刻まれた壮年の軍人。とにかく顔が怖い。

 部隊に乱れが無いのも、厳格な于禁が引き締めを強くしているからであり、敵味方問わず恐れられていた。


「加えて、張繍軍はあくまで荊州を抑える劉表の客将という身分。傭兵がこれ以上の働きをすることを、劉表が抑えてるのかと」


「それじゃあ、俺達が退けば、あっちも退くのか」


「油断は禁物です。体勢を崩さぬまま規定通りに引き揚げます」


 兵車で座る俺の隣、馬上で背筋を伸ばす于禁は、真っすぐに砂煙の立つ戦場を見つめていた。

 平和な世界。戦争を知らずに育ってきた。そんな俺には今、何が起きているのかが分からない。


 曹昂の記憶を辿れば、この時代の戦争の雰囲気は分かるが、それはあくまで知識の上での話だ。

 ここで一気に両軍の激突が起こった時、果たして俺は正気を保てるのか。今は、とにかく于禁を頼る他ない。


「殿、ひとつ、よろしいでしょうか」


「于禁将軍、貴殿には遠慮してほしくない。好きに言ってくれ」


「殿は青州兵の現状をご存じでしょうか」


 曹操軍において、最も勇猛で、最も精強で、そして最も凶悪な部隊。その部隊は「青州黄巾兵」と言われたりする。

 かつて曹操軍が根拠地とした兗州に、百万を号する盗賊が雪崩れ込んできたことがあった。


 その百万の敵を降したことで曹操軍は一気に精強となり、天下に名乗りを上げることになった。

 青州兵は、そのときに曹操に降伏し、そして曹操軍を天下に押し上げた、諸刃の剣とも言える部隊であった。


 元々、流民や盗賊上がりの兵士達だ。その部隊に規則など存在せず、戦場での略奪や虐殺などは当たり前。

 だからこそ青州兵は強いという面もあり、曹操ですらこの部隊の扱いに困っていたという記録がある。


「青州兵が、どうかしたのか」


「続々と軍から離反し、脱走を図っております。彼らが言うには、契約を終えた、と。曹操様より何か、伺っておられますか」


「契約、か」


「脱走兵は見つけ次第捕縛しておりますが、如何せん数が多く。夏侯惇将軍も、頭を悩ませておりまして」


 残念だがそういった類の話は、遺言には無かった気がする。

 しかも青州兵の管轄を受け持つ于禁が知らないとなると、本当に曹操しか知らないような話なのだろう。


 ただ、思い当たることはある。

 史実でも青州兵は曹操が没すると、全員が勝手に郷里に帰ったとされている。


 一代限りの契約。だが、その内容を知る術は既に無い。


「青州兵の代表者、それと会うことは出来るか?」


「彼らは余所者を受け入れず、その内情もあまり分からず、各部隊長はいても大将が居りません」


「困ったな」


「ですが一人、心当たりはあります。両腕の無い若き巫女ですが、青州兵は皆、その少女を尊重しておりました」


「今、青州兵を失うのは惜しいと、俺は思う。于禁はどうだ」


 于禁は青州兵の取り扱いの難しさをよく分かっている。加えて、于禁は確か兗州の出身者だったはずだ。

 兗州はこの青州黄巾兵によって甚大な被害を受けた土地。だからこそだ。今は厳しい視点での意見も必要だった。


「青州兵は、強い。ですが彼らが戦えば戦うだけ、我らは民の信望を失います。殿が王道を進まれるなら、要らぬ兵かと」


「されど戦に勝たねば、民に徳は示せない。覇道でもって乱を鎮めた後に、王道を示しても遅くはないと、俺は思う」


「……曹操様も、同じことを言っておられました」


「そうか。すまない」


「いえ、私は軍人です。命を全うするのが責務、天下を語るなど分不相応なことをしました。では、ただちに巫女を連れてきます」


 この時代は電話もネットも無ければ、監視カメラや探知機も衛星も存在しない。

 そんな中で素行の荒い部隊を統率するというのは、非常に難しいものがある。


 低偏差値の不良学校で、武器も何も持たない一般の教師が、生徒をまとめきれないのと同じだ。

 うーん、教育って大事。

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