辰砂ジンジャー辛苦味 3

 薬草を刻んではボウルに入れ、また刻んではボウルに入れるを繰り返すこと数十分。

早速今日から出された学校の宿題をどうしようかな、なんて頭の中で考えながら姉の手伝いをする私の耳を、「あっ、しまったわ!」という言葉が貫いたのは、そろそろ三皿目のボウルが山に差し掛かる頃だった。


「おねえちゃん、どうしたの?」


 特に物が割れているわけでもなし。

絶賛煮詰め中のポーションを焦がしてしまったわけでもなさそう。

それなのに、姉の失敗を嘆く叫び声が響いてきたのは、どういうわけだろうか。


「いやだわ、今日、せっかく協会の方に行ったのだったら、ショウガの仕入れをお願いしてくるんだった」

「ショウガ?」


 私の頭の中ははてなで埋まる。

ショウガなら、普段買い物をしているスーパーでも買えるのに、なぜ、と。

そんな私に、姉は困り眉で答えてくれる。


「ちょっと特殊なショウガなの。ダンジョンの中で育てているショウガで、普通のものよりも大きく育つのよ」

「ダンジョンの中で?」

「言ってしまえば養殖ね。魚じゃないけど」


 地上から持ち込んだタネをダンジョンの中で育てるダンジョン栽培。

そういうものがあるらしい。私は初めて知った。


「ただ、普通のものよりも品質が高くなることはたしかなんだけど、その分収穫するまでに時間がかかるのよ。それこそ、冬に使いたければ今の時期に注文しておかないと間に合わないくらいにね」

「去年の残りとかはないの?」

「こういうものは人気なのよ。来年に取っておきたくても、すぐに売れてしまうって聞いているわ」


 姉は溜息を吐く。

これは困っているというよりも……。


「また明日行かないとだめね。あーあ、面倒くさいわ」


 うん。

やっぱり面倒くさがっているため息だった。


「……でも、何でショウガ?」


 家で食べる生姜焼きのため?

いや、たかだか家庭料理にそんな高級品を持ち込むわけがない。

そんなことをしていれば、あっという間に家計は破綻してしまう。


「ジンジャーシロップを作るのよ」


 姉の返答はシンプル。

シロップ・メディの商品を作るためだった。


「まだ暑いのに、もうジンジャーシロップのことを考えないといけないんだね……」

「ダンジョン栽培品は時間がかかるって言ったでしょう?」

「聞いているだけで暑いよ、おねえちゃん」


 室内は冷房を効かせているとはいえ、外で搔いた汗のにおいは消えず。

ほんのりにおってくる汗のにおいは、主に脇から。

一度気にすると、いつまでも気になる嫌な残り香は、残暑と言えどまだ夏である現実を突き付けてくるようだ。


「あー、暑い! プール行きたい気分」

「あ、プールと言えば、陽夏ちゃん元気だった?」

「うん、元気だった。あ、でもちょっと疲れてたみたい」

「あら、夏バテ?」


 心配そうに小首を傾げる姉に、私は首を振る。


「多分、講習疲れだと思う」

「講習疲れ?」

「陽夏、ダンジョンに入るための但し書きで、指定の講習を受けるようにって。だから夏休み、ずっと講習の課題? みたいなものでダンジョンに潜ってたんだって」


 本来一週間程度の所を二週間に増やされたらしい、とか。

講習を受けるついでに夏休みの自由研究を関連付けて終わらせたようだ、とか。

そんなことを話しながら作業を続ける。

いつの間にか、手元にはポーションの入った桃色の瓶がいくつも並んでいた。


「瓶の色、変わったんだね」

「ええ、やっぱり、低級回復ポーションの瓶だと混ざって分からなくなる可能性があるからって」

「あれ? 可能性? 一度やらかしたんじゃないの? 協会長が」


 モモ級回復ポーションは夏休み中、しばらくの間、低級回復ポーションの瓶に入れて出荷をしていたのだが、調合師協会会長がうっかりそれを交ぜてしまったことがあったらしい。

それで中身が分からなくなってしまい、鑑定を使える人を派遣してもらうなど、てんやわんやの騒ぎになったのだとか。

その苦い経験を生かし、モモ級回復ポーションは別の色の瓶に詰めてもらう、と規定が変わったのだと、姉の愚痴を聞いたことがある。


「そうなる可能性は誰が考えてもあったんだから、さっさと規定を変えればよかっただけの話よね」

とは姉の弁である。


「やらかしたことは黒歴史らしいわ。彼の中では、あくまで可能性だって話らしいわよ」

「あっ、そうなんだ」


 あまり触れない方がいい気配がした。


「恵美、明日は予定何かあるの?」

「学校帰りにパルクールクラブ寄るよ。陽夏は水泳再開するって言ってたから」

「あら、それなら、もしネアに会ったら伝言をお願いしたいんだけど」

「いいよ、なに?」

「『できたから受け取りに来い』って」


 ……何を? とは聞いてもいいのだろうか。

しかし、姉がニコニコ笑いながら、「ネアなら分かるわよ」と言うものだから、私は口を噤んだのだった。

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