Chapter7 7,14,17,19,あとはさよなら-B
揺れる黒髪。
苑宮葛である。
既に痛くなってきた胃を擦りながら、一縷は微笑んだ。
「こんにちは、葛ちゃん」
「こんにちは、一縷さん」
葛はヨキに軽く目を遣って、尋ねてきた。
「恋人さんですか?」
「親戚だよ。そこまで落ちてない」
「そうですか、良かった」
夏の風が目の前の美少女を撫でる。
「それで、生きている意味は見つかりましたか?」
「さあ……有ったとしても、言わないかもね」
「そんな意地悪しないでください」
死活問題なんです、と葛は言った。
「誰の?」
「わたしの」
「ところで、どうしてこんなところにいるの? 葛ちゃん」
「勘です」
「よく当たる勘だな……」
一縷はヨキに葛を紹介した。
「こちら、苑宮葛ちゃん。先日死体を一緒に目撃した仲」
「どんな仲だよ。よろしく、葛ちゃん」
「どうも、よろしくお願いいたします」
葛はヨキに向かって軽くお辞儀をした。
「早く、答えを出してくださいね。一縷さん」
「うーん……」
一縷は曖昧に微笑んだ。答えを出す気は特に無かった。それよりも、腹の底でとぐろを巻くおどろおどろしい感情をどうにかしたくていっぱいだった。
考えるのをやめるのはやはり今の自分には難しいらしい。
この苑宮葛という少女が、若く美しく賢い限り、一縷の脳は劣等感に苛まれ続けるだろう。
「あ、やっぱりそうだ! 一条一縷博士ですよね?」
不意に声をかけられた。
振り返ると、そこにはヨキと同じくらいの年の青年が立っていた。
「サインください! ファンなんです」
柿崎氏が思い出されて思わず苦笑する。
「サイン? いや、もうそんな大層な者じゃないから」
「大層な方ですよ! 俺が人工知能の道を志したのも一条博士の影響です」
「うーん……」
「お願いします、昔はサイン本買えなかったんです。式日以降はオークションでも見かけなくなってしまったし……」
「……何に書けば?」
「ありがとうございます!」
サインペンを渡されて、ノートに軽くサインを書いた。
「一生の宝ものにしますね! 肆戸島に来てよかった、ありがとうございました」
そんな家宝にするような価値のあるものではないのに。
一縷はため息を吐いた。
「やっぱり、一縷さんは天才をやめるべきではなかった」
葛はどこか遠くそう言った。
「そんなことはないよ」
「どうして天才を辞めたんですか?」
「正確に言えば、辞めたわけじゃない。辞めようと思って辞められるものじゃないからね、脳の問題だし。少しずつ鈍らせて、頭の領域を使わなくなっただけ。理由は……秘密」
「……そうですか」
「でも、今の私が天才と呼べるようなものじゃないのは本当。人格が断絶しているのも本当。もう鈍ってしまったからね」
行こうか、ヨキ。
声をかけて、一縷は葛に背を向けた。
/*== ==*/
「さっきの子?」
「ああ」
「偏執入ってんじゃねーの? 正面から受け止めるなよ」
「受け止めなくちゃいけないんだよ。後続の天才の言うことは」
私が逃げた代償を払い続けている世代の子達だ。
「ただ、それはそれとして、ラーメン吐きそう」
「真剣に受け止めるからだって」
「ヨキ、なんかいい気晴らしを提案してくれ」
「はあ? ゲーセンとか?」
「昨日行った」
「あ、じゃあ肆戸大祭の準備手伝いに行かねえ? 白夜公と、運が良ければ諌名御前が居るはずだぜ」
「ああ、白夜はともかく諌名には会いたいな……行こうか」
偏執狂が蔓延るこの島で、白夜の存在は異色であった。彼の気の向きようによっては島の一角が吹き飛ばされてもおかしくない、爆弾のような存在であるのに、ふらふらとそのへんを歩いていたりする。
その彼を制御できるのは、この島の土地神本人である諌名しかいない。
その諫名の数少ない友人のうちに数えられているのが一縷である。
今日は夏用の黒い訪問着を身につけていた彼女は、相変わらず見ていて不安になるほどの美しさだった。一縷も外見には自信があるが、それでもこの神と比べられるのは御免である。
大きな黒い瞳が一縷を捉える。
彼女は日傘をさして、立ち上がった。
「一縷ちゃん」
消え入りそうな声で名を呼ばれて、一縷は片手をひらりと振った。
働く青年達を横目に拝殿の縁側で涼みながら、一縷はこれまでのことを諌名に話した。諫名の向こうに座る白夜とは特に仲がいいわけでもないので会話はしなかった。
「それで、一縷ちゃんは困っているのね」
「困っている……のかな。それも正直わからないんだ」
「人は神様のところに来るとき、わからないことを聞きに来たりしないわ。本当はわかっていることを確かめるために聞きに来るのよ」
一縷は諌名の顔を見た。そこには長い睫毛に縁取られた深い黒の美しい瞳があるだけだった。
「五年も神様やってたらわかるもの?」
「毎日祈りが届くから」
毎日他人の願いを聞くなんて神様は大変だ。
毎日他人の期待を背負う天才みたいだ。そう思った。
自分と諌名を友人たらしめているのはそんな共感からだったのかもしれない。
「ありがとう、諌名。少し楽になった気がする」
「何もしていないわ」
「話を聞いてくれただけで」
「神様ってそういうものよ」
そう言って彼女は珍しいことに柔らかく笑った。
「或いは、友達もそうかも」
一縷も微笑み返した。
/*== ==*/
受信音が鳴ったので携帯端末を確認すると、秋赤音からだった。ドッペルゲンガーが一斉に全消失したらしい。對偏執部隊が仕事をしたのかな。
「胡蝶の夢――なんてな」
「んで、少しは楽になったかよ?」
帰り道、ヨキはそう言った。
「ん? ああ、神様って偉大だな」
少しは自分で考えないといけないけど、とつけ足す。
「考えないといけないことが分かっただけ――」
言いかけて、一縷は立ち止まった。
その視線は少し先のビルに釘付けられている。
外付けの非常用階段の三階くらいに身を乗り出している、一人のセーラー服の少女に、釘付けられている。
「ヨキ、救急車を呼んで!」
叫んで、全速力でダッシュ。階段を駆け上がる。鈍った体は思うように動かず、三階まで辿り着く頃には肩で息をしていた。
少女が一縷と目を合わす。
その目から涙が一粒流れ落ちた。
泣くぐらいならどうして飛ぼうとする。
「七階までも行けなかった。わたし、オリジナルにはなれない」
少女は言った。一縷は必死で返す。
「当たり前だ。ユニークであることが人間の有り様なのだから。君は既にオリジナルだよ」
「もう、わたしは十五歳になってしまった……」
「待て、」
「さようなら」
それは別れの言葉。平常からの別れの言葉。
ゆっくりと、重力に任せて背中から彼女は落ちていく。
飛ぶことでしか得られない特別を、彼女は欲したのだろう。投身自殺なんてものが実は誰にでも選びうる日常の一環であるとも知らずに。純粋に、ただ、それが特別と信じて。
階段にへたり込む。
止められる気でいたのだろうか?
ユニークであることが人間の有り様? 当たり前のことだ。コンピュータのほうが得意で、けれど人間のほうが優れているのはその部分。
では人間と人間とを比べることは?
ナンセンスなのだ。どうしてそれに気づけないのだろう。
それは自分の心にも棘として刺さった。
いつまでも葛や昔の自分との引き比べを止められない一縷が誰の何を止められるというのだ。
一縷は自分で自分の頬を叩いた。
叩いた部位がじんじんするだけで、何程の変化も感じられなかった。
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